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第三十三話 雪解けの季節

 長い冬が過ぎ、皇都ディアマンには冷たさの和らいだ風が優しく吹き抜けていた。


 若葉色に染まり始めた皇城の庭では、白薔薇の枝にも新しい芽が顔を出し、春の訪れを告げていた。

 雪解け水が細い流れとなって石畳を濡らし、遠くでは雲雀の歌声が聞こえる。


「エメロード、肌寒くはないか」


「ええ、大丈夫ですわ。陛下」


 私は、春の柔らかな陽射しを受けながら、ふんわりとした薄桃色のドレスに身を包んでいた。

 仕立てられたばかりのそのドレスは、淡い薔薇の花びらのように裾が広がっている。いつも薄青のドレスばかりをまとっていた私にとって、珍しい装いだった。


 背中に垂らした金の髪と花びらのような淡いレースの裾が風に揺れる。

 陛下のアイスブルーの瞳にじっと見つめられ、恥ずかしくなった私は少しだけ俯いた。


「……春の薔薇のようだ」


 陛下が呟いた言葉に、私の頬は熱くなった。

 かつては凍てついた氷のようだった瞳が、今は穏やかな春の湖のように私を映している。


「お戯れを……陛下」


「戯れではない」


 陛下はかすかな笑みを浮かべると、私の手を取ってそっと口付けた。

 その手も、唇も──初めて触れたあの日よりもずっと温かかった。


 * * *


 サードニクス帝国南方、アジュリットの湖。

 一足先に暖かな春を迎えていたその地は、柔らかな霞に包まれ、青い湖面が光を受けて煌めいていた。

 かつて、私たちが初めて視線を交わした湖畔。

 昨年の同じ季節を、私は色鮮やかに思い出す。


「懐かしいですわ……一年前に訪れたときも、このように風が優しかったのです」


「よく覚えている。お前が花のように微笑んだ──あの日を……」


「陛下……」


 見上げると、わずかに瞳を伏せた陛下は、私から目を逸らすように湖の向こうへと視線を移す。

 「見せたいものがある」と、彼は私の背にそっと手を添えた。


 私たちは、寄り添いながら水辺を歩き出した。

 若葉色に染まる木々の下をくぐるように、ゆっくりと歩みを進める。

 柔らかな春風に、青い水面がかすかに揺らめいていた。


(この、お城は……)


 私の目の前に、湖畔に佇む城が現れる。

 若葉色の木々に囲まれて静かに建つその古城の前で、陛下は立ち止まった。


「この地で眠っていた古い城を修復し、お前のために甦らせた。……ここは、エメロードの城だ」


 私は、小さく息を呑んだ。

 磨かれた薄茶の壁に春の光が淡く反射し、城の周りには、前にはなかった白薔薇がほころび始めていた。

 再び息を吹き込まれたその城は、まるで長い冬眠から目覚めたように静かに息づいていた。白薔薇の木陰には、まだ溶け残ったわずかな雪がほのかに煌めいている。


「私の、お城……?」


「ああ。……エメロードが初めて笑ってくれたこの地を、いつでも訪れることができるように……」


 陛下の言葉に胸が熱くなり、思わず涙がこぼれた。

 陛下は私の涙をそっと拭い、微笑んだ。

 そして、私を見つめ、まぶたを伏せる。


「私は、お前に許されぬことを多くした……」


 陛下の低い声は、湖面の風のように静かで、どこか震えていた。


「出会った日から、私はお前を幾度も傷つけた。……あの日まで、私は聖鳥の皇后が信じられなかった」


 私は、陛下をただ静かに見上げていた。


「昨年の、まだ雪が積もっていた日……執務室の窓から、お前が使用人の子を庇う姿を見た」


(あのとき、陛下が……)


 雪の中、泣いていた少年と手を繋いで歩いた思い出が蘇る。

 私たちの髪を、湖を渡る風が優しく揺らした。


「あの日から、気付けばお前のことを考えるようになった……自分の行いを、どれほど後悔したか」


 「本当に、すまないことをした……」と掠れた声は、春風に溶けるように消えた。

 瞳を翳らせて俯く陛下を見上げ、私は小さく首を振った。


「私は、陛下のことを恨んだことなどありませんわ……でも、目が合わないことは、正直寂しく思っていましたの」


 私は微笑んで陛下を見上げ、大きな手をそっと包むように握った。

 滲んだアイスブルーの瞳が揺れている。

 それはまるで、硬く溶け残っていた氷が、音もなく崩れ落ちていくようだった。


「……エメロード」


 陛下は、私の頬にそっと触れた。


 そのとき、彼の脳裏に浮かんでいたのは、あの日にオパリオスが運んだ金の腕輪に輝いていた──玉座を淡く照らした翠の宝石だった。


(オパリオスは、出会う前からお前を選んでいたのか……。だが、もし聖鳥に選ばれていなかったとしても、私はきっと──)


「エメロード……お前こそが、私の──私だけの皇后だ……」


 陛下は私をそっと抱き締めた。


「もう決して離さない……絶対に──」


 私を包む腕が、わずかに強くなる。私はまぶたを伏せ、その胸に頬を寄せた。

 かつては遠すぎたその距離が、いま、ひとつになったように感じられた。


 そうして、湖の水面が薄紅色に染まる頃、私たちは湖畔の城へと入った。


 食事が終わり、湯浴みを済ませた私は、用意された部屋へと静かに入った。

 かすかに高鳴る胸に、そっとショールの胸元を手繰り寄せる。


 窓の外には春の月が昇り、淡い光が象牙色のレースのカーテンを透かして部屋を照らしていた。

 陛下の白銀の髪が、月明かりを受けた夜の雪原のように煌めいている。


「エメロード」


 名を呼ばれ、近付いた私は陛下を見上げた。

 その手がそっと私の頬に触れ、屈んだ彼の顔が近付く。


「エメロード……愛している……」


 その低い囁きは何より甘く、まるで誓いのように深く響いた。

 かすかに揺らめくアイスブルーの瞳から、瞳を逸らせない。


「私も……陛下を、お慕いしておりますわ」


 そっと陛下の唇が触れた瞬間──白薔薇の下で、名残雪が静かに溶けていくように感じた。

 重なる温もりに、彼の胸元にそっと両手で触れると抱き締められる。


「アズールと……呼んでくれないか」


 甘さを含んだその低い声は、少し掠れていた。

 熱を帯びた眼差しに見つめられ、私は息を忘れたように彼を見上げる。


「アズール、陛下……」


 甘く、囁くように紡いだ名に、再び口付けが落とされる。

 私は、優しい温もりと澄んだ甘い香りに包まれながらまぶたを閉じた。


 その夜、長く凍てついていた心に、ようやく春が訪れた。

  ──窓から差し込む春の淡い月明かりが、私たちを包み込んでいた。

次回、最終話

エピローグ「約束の冠 ― ふたりだけの結婚式 ―」


※ 明日、2/14(土) 朝7時10分に公開します。


 ◇ ◇ ◇


ここまでお読みいただき、本当にありがとうございます。


本作は、次話のエピローグにて完結となります。

なお、3/14より新作を連載予定です。

もしご縁がありましたら、ぜひまた覗いていただけるととても嬉しいです。

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