第三十一話 光を狙う闇(前編)
※流血描写を含みます。
秋の風が白薔薇の花弁をさらい、空はどこまでも高く澄んでいた。
その穏やかさの裏で、まだ誰も気づかぬ影が、静かに忍び寄っていた。
「──まだ、見つからないのか」
低く放たれた声に、執務室の空気が一瞬凍りついた。
机の前に立つエドモンが、深く頭を垂れる。
「はい。サーペンタインの残党はすべて処理済みですが、令嬢ローズのみ、依然行方が知れず。……北西の辺境からも、“若い女の遺体は発見されていない”との報告です」
「……影を更に増やせ。帝都周辺も抜かりなく監視しろ。奴が生きているなら、いずれまた──」
アズールは窓の外に視線をやった。
曇りのない空のはずが、遠くの雲が一筋、暗く垂れている。
(あれは……嫉妬に焼かれた魂だ。あの狂った炎が、消えることはない)
机上の封書に指先で触れる。赤い封蝋は、指先の体温を拒むように冷たかった。
胸の奥に、説明のつかないざわめきが走る。
(あのとき、ためらわずに斬っておけば……)
薔薇園でエメロードを庇ったとき、彼女の前だからと彼は剣を抜かなかった。
わずかに険しくなった顔を上げると、エドモンを見つめる。
「……エドモン、近衛の巡回を倍にせよ。そして、皇后の警護を更に強化するように」
「はっ!」
エドモンが退出したあと、アズールは椅子に背を預け、長く息を吐いた。
窓辺から差し込む陽が陰り、胸に不穏な影を描く。
(……妙だ。何故、こうも落ち着かない……)
視線を伏せたアズール。
机に飾った白薔薇が一輪、静かに花びらを落とした。
* * *
一方その頃、エメロードは玉座の間を訪れていた──
「それでは、私はこちらでお待ちしております」
「いつもありがとう、ルイーズ」
私がルイーズに微笑みかけ、その傍らの近衛兵たちに目礼すると、静かに扉が閉められた。
この場所で不思議な声を聞いて以来、私はオパリオスの元に毎日通うようになっていた。
玉座の間の奥には、陽光が淡く射し込み、オパリオスが静かに羽を休めていた。純白の羽根のひとつひとつが、まるで光そのもののように輝いている。
「……オパリオス」
私が名を呼ぶと、聖鳥はゆっくりと首をもたげた。
紫水晶のような瞳が私を見つめ、小さく鳴く。その様子には、いつもの穏やかさがなかった。
「どうしたの……? 何か伝えたいことがあるの?」
私は、羽にそっと触れた。その柔らかな感触を優しく撫でる。
けれど、オパリオスの体がどこか震えているように感じた。
紫水晶の瞳の奥に、何かが煌めいたように見えた。
それは淡く、銀色に瞬いた。
『──危ない』
どこからか再び聞こえた、不思議な声。
オパリオスは大きく羽を広げ、私を守るかのように立ち上がった。
その瞬間、扉の向こうから物音が聞こえた。
私は思わず振り返る。
扉の向こうから、わずかに話し声が聞こえる。
(誰なの……?)
扉の外には、ルイーズや近衛兵たちが待機しているはずだ。
(オスカーが、もう戻ったのかしら?)
この時間は、近衛騎士の休憩と交代の時間に充てていた。
だが、私の胸はざわめいていた。
近衛騎士も兵たちも、私がここにいる間は口を開くことがなかったからだ。
どこからか、かすかに風が吹き抜け、花瓶に活けられた白薔薇がひとひら舞い落ちた。
オパリオスの翼が、再び強く震える。
──誰かが、来る……。
胸の奥で、名も知らぬ恐れが滲むように広がった。
* * *
「清掃に参りました」
控えめな低い声とともに、黒髪の侍女が玉座の間の前に現れた。伏せられた白い顔には、長い前髪が掛かっている。
侍女の腰には、“臨時清掃”の通行札。
だが、その印影はよく見れば、わずかに滲んでいた。
扉を守っていたルイーズは警戒を崩さぬまま、侍女を見つめた。近衛兵が、「今は立ち入れません」と短く返す。
だが、次の瞬間、沈黙した侍女の袖の奥で密かにひらめいた銀の光。侍女は、近衛兵たちの腕を順に切りつけた。
ふらついた兵たちに、侍女が薄く笑う。
近衛兵が膝をつくと、絨毯に血が滲んだ。
刃が風を裂き、即座に剣を抜いたルイーズの腕を掠める。
「っ……!」
瞬く間に、ルイーズの顔から血の気が失せ、白く染まる。
(毒か……)
近衛兵たちは、呻きながら人形のように横たわっている。
侍女が手にするその刃先からは、暗緑色の液体がじわりと滲んでいた。
「誰か……! 曲者だ!!」
痛みに顔を歪めながらも、ルイーズは声を上げながら剣を振るう。
(皇后殿下……!!)
だがその刃が届くより早く、侍女は玉座の間の扉へと手を伸ばし──そして、ルイーズは崩れ落ちた。
次回、第三十一話「光を狙う闇(後編)」
※夕方5時10分に投稿予定です。




