第二十九話 断罪
【第六章 雪解けの皇城】のあらすじ
青かった木々が紅く染まり、やがて凍てつく冬がまたやって来る。
影に翻弄される二人に、雪解けの季節が訪れる──
夏の暑さが和らぎ始めた頃──
「まさか、公爵家が……」
皇城は、朝から異様な緊張に包まれていた。
宮廷の回廊では、貴族や廷臣たちが小声で噂を交わし、誰もが“皇帝の裁き”を恐れていた。
皇帝の愛する白薔薇を侵そうとした毒花の影が、ついに玉座の間へと呼び出されたのだ。
凍てつくような静寂が、玉座の間を支配していた。
高い天井には白銀の光が差し込み、磨かれた床に映るそれはまるで氷の湖のよう。
中央の玉座には、蒼の外套をまとった皇帝アズールが座している。
その足元で、震えながら膝をつくのは、サーペンタイン公爵夫妻。
並ぶ廷臣たちは息を呑み、ただ玉座から落とされる言葉を待っていた。
「罪状を読み上げよ」
アズールのその声は、氷を砕く刃のように低く響いた。
侍従官エドモンが羊皮紙を広げる。
「──サーペンタイン公爵家当主バヤール・サーペンタイン及び、その令嬢ローズ・サーペンタイン。
一、皇后への窃盗並びに傷害未遂。
一、皇帝への傷害罪。
一、帝国の威信を損なう陰謀および虚偽の流布。
以上、数々の罪により、サーペンタイン公爵家は断絶とする」
朗読が終わると、槍の石突が一度だけ床を打ち鳴らした。静まり返っていた玉座の間が、さらに冷えた。
アズールはゆっくりと立ち上がり、冷ややかな視線を公爵夫妻に向ける。
その眼差しに宿るのは、怒りではなく──凍てついた静寂。
「……私の皇后を害した罪は、帝国に仇なすよりも重い。サーペンタイン一族は国外追放とする」
その言葉に、廷臣たちの間から安堵の吐息が漏れた。
だが、誰ひとり知らない。
アズールが口にした、“国外追放”の真の意味を。
──密命は、すでに下った。
氷の玉座の下、彼の影が降雪のように音もなく動き始めていた。
* * *
数日後──
淡く光が差し込む執務室に、エドモンが静かに入ってきた。
整えられた、少し癖のある茶色の髪はわずかに乱れている。
その手には、封蝋の施された文書がある。
「皇帝陛下。……トリフェーン王国より、訃報が届きました」
アズールが顔を上げる。
エドモンは一礼して、低い声で続けた。
「──王妃アデル殿下と、第一王女アンブル殿下が、流行り病にて急逝されたとの報が……葬儀は行われず、速やかに埋葬されたとのことです」
その報告に、冷ややかな沈黙が落ちる。
「……流行り病、か」
アズールの瞳が、遠くを見るかのようにわずかに細められた。
「皇帝陛下……?」
「帝国には影響が及ばぬようにしておけ。……それと、流行り病ならば──皇后に移っては困るな」
「はっ」
アズールはトリフェーンからの封書を一瞥すると、机の上に静かに置いた。淡く輝く緑色の封蝋には、翼に守られるように包まれた宝石の意匠が刻まれている。
それを見つめる横顔には、怒りとも哀しみともつかぬ影が浮かんでいた。
「──帰らせるわけには、いかないな」
封書に視線を落としながら呟かれたその一言に、エドモンは短く息を呑み、静かに頷いた。
* * *
白薔薇が咲き誇る中庭。
昼の光が淡く差し込む回廊を歩きながら、私はふと立ち止まった。
(お母様と、お姉様が……)
侍従から聞かされた母と姉の訃報に、私の胸は重く沈んでいた。
淡いラベンダー色のドレスが風に揺れ、白い花弁が、ひとひら頬に触れる。
「……エメロード」
背後から聞こえた声に振り返ると、陛下が立っていた。その氷のように澄んだ瞳が、私を見つめている。
「──トリフェーンから、訃報が届いた」
「はい……伺っておりますわ」
私は俯き、両手を胸の前で重ねた。
唇が、それ以上の言葉を紡げずに震える。
「……帰らずとも、良いか」
その言葉に、私は顔を上げた。
袖口に添えた細い黒のリボンが風に揺れる。声に出すこともできない、せめてもの喪の印だった。
「はい……流行り病を、この国に持ち帰るわけには──」
「エメロードが罹っては、いけないからだ」
「私の大切な皇后だ……何かあっては困る」と付け加えると、陛下は一歩、私に近づいた。
淡い陽光の下で、氷のような瞳が優しく揺れる。
「帰らせてやれず、すまない……」
その言葉に、私は小さく頷いた。
それでも、微笑もうとする唇の端がかすかに震える。
陛下は黙ったまま、私の肩にそっと手を置いた。その手は、温もりよりも静かな誓いを伝えるようだった。
「……私はずっと、お前の傍にいる」
短く、それだけを告げると、陛下は私をそっと抱き寄せた。
私は目を閉じ、流れ落ちる涙を押し殺すように小さく息を吸う。
お母様から受けた仕打ちは、未だに忘れることができない。亡くなった二人との間に良い思い出など一つとしてなかったが、胸の内には、突然に命を失った彼女たちへの追悼が刻まれていた。
「エメロード……」
低く、憂いを帯びた声が落ちた。
陛下の手が、私の髪をそっと撫でる。
私は、その温かな胸にすり寄るように身を預けた。
──白薔薇が風に散り、二人の間に雪のように舞い落ちた。
その静寂の中で、氷の皇帝はただ一人への愛を胸に刻んだ。
* * *
その頃、帝都ディアマンから遠く離れた北西の荒地。
「一人いないぞ……!」
倒れ伏した頭数を数えていた黒衣の男が叫んだ。
「誰が足りない?!」
冷たい風が拭き、砂塵が舞い上がる。
「──ローズ・サーペンタインだ」
サードニクスの辺境の地で、密かに葬られたサーペンタインの一族。
ただ、ローズの姿だけが──霞のように、消え失せていた。
不意に差した黒い影に黒衣の男たちが顔を上げると、一羽の大きな烏が天高く飛び去った。
風が吹き抜け、荒野に散った灰が、白く空へと舞い上がる。
その行方を、誰も知らなかった。
次回、第三十話「交わす心、交わらぬ想い」




