第二十七話 赤い薔薇と皇帝の怒り(後編)
すぐにエメロードは寝室へと運ばれ、医官たちが駆けつけた。
薔薇の花を調べた結果──その棘には、全て毒が塗られていたことが判明する。
「幸い、量は少なくございます。すぐに解毒薬を……」
だが、薬を注がれても、エメロードは目を覚まさなかった。
安らかな寝顔のまま、かすかな呼吸だけが続いている。
その周りを、不安気な表情の侍女たちとルイーズが囲んでいた。
* * *
その頃、隣の執務室。
『微量ですが、薔薇の棘には植物由来の毒が塗られていました。先日お調べしたマルジャーン製の化粧品の成分と交じると、猛毒に転じるものです。……もし、皇后殿下が化粧品をご使用になられていたら、間違いなく──』
影からの報告を受けたアズールは、机の上に置かれた一輪の赤い薔薇を、無言で見下ろしていた。
「……皇帝陛下、危険です。毒が残っているかもしれません!」
エドモンの制止も聞かず、アズールはその花を素手で掴み上げる。指先や手のひらから血がにじんでも、彼は構わず握り潰した。
赤い花びらが、執務机へと舞い落ちる。
「この程度の毒……私には効かぬ。だが──」
その声は静かで、氷よりも冷たかった。
隣の部屋で、静かに横たわるエメロードの姿が浮かぶ。
(何故、彼女ばかりが……)
握った拳の中で、潰れた赤い花びらが血と混じり合う。
──サーペンタイン公爵家。
この件での確証はないが、間違いないはずだ。
「私の皇后に手を出した者は、必ずこの手で裁く」
冷たい怒りが、室内の空気を凍らせた。
アズールの瞳は、凍てついた氷のように鋭い光を宿していた。
* * *
一方、侍女たちは皇后の寝室で、祈るようにエメロードを見つめていた。
「皇后殿下は、大丈夫でしょうか……」
「大丈夫よ……皇帝陛下も、解毒薬が直に効くはずだと仰っていたでしょう」
黙って、眠るエメロードを見つめる侍女たち。
「でも、あんな愛らしい子に、こんなことをさせるなんて……」
ニーナの震える声が、静寂の中に落ちる。
ルイーズは静かに答えた。
「誰かが、あの子どもを使ったのでしょう。──許されざることを」
白薔薇の香が、静かに揺れた。
その香は、祈りのように漂っていた。
* * *
その頃──皇都のサーペンタイン公爵邸。
「お父様! あのトリフェーンの女が寵愛を受けているなんて、わたくしは耐えられませんわ!!」
ローズは公爵夫妻の部屋へ飛び込んでくると、声を荒げた。
帝国の名門に生まれた誇りと、生まれたときから培われてきた公爵令嬢としての自信が、胸の奥で焼け付くようにうずいている。
(わたくしこそが聖鳥の皇后になり、皇帝陛下の寵愛を受けるはずだったのに……。どうして、あの方もわたくしを見てくださらないの……?!)
「わたくしは、夜会にも顔を出せなくなりましたのよ!」
「すべて、あの女のせいですわ!!」と目を吊り上げて訴えるローズに、公爵は小さくため息を吐いた。
「ローズ、焦りは禁物だ。小国出の王女に、お前が負けるはずがない。もう少し待てば、必ずやお前が皇后に──」
公爵の言葉を、ローズは聞こうともしなかった。
燃えるような瞳のまま唇を噛み締めると、勢いよく部屋を飛び出していく。
「あなた……」と、不安げに公爵夫人が夫を見上げる。
深く息を吐いた公爵は、眉間に皺を寄せた。
「ローズがおかしな真似をせぬよう見張っておけ……。もし気付かれれば、サーペンタインはおしまいだ」
公爵の低い呟きが落とされた部屋には、ただ一輪、赤い薔薇の香だけが残っていた。
次回、第二十八話「愛の証」




