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第二十七話 赤い薔薇と皇帝の怒り(前編)

※流血描写を含みます。

 穏やかな風に、白薔薇の香りが漂う皇城の庭。

 鐘の音が三度、鳴り響いた──


 私がアモリットの闇市から救い出されて、ひと月が経った。

 昼下がりの陽光が、白薔薇の庭を柔らかく照らしている。白い東屋を穏やかな風が吹き抜け、花々の香が淡く漂っていた。


 その中で、私は白い円卓に着き紅茶の香を楽しんでいた。

 傍らでは、ニーナがカップを並べ、静かに茶器を整えていた。

 後方にはルイーズが立ち、オスカーとロジェは遠巻きに護衛として立っている。


「エメロード」


「陛下。ようこそいらしてくださいました」


 白薔薇のアーチをくぐり現れた陛下に、私は微笑んだ。陛下が現れると、この薔薇園が一層明るく感じられる。

 微笑んだ彼は小さく息をつき、私の隣の席に静かに腰を下ろした。


「休憩に来た。……少し、ここにいても構わないか」


「ええ、光栄ですわ」


 いつもの幸せな時間。

 微笑む私に、陛下が柔らかな表情を浮かべる。

 ニーナが紅茶を淹れ、桃のタルトを陛下の前に差し出した。 


「とても瑞々しくて、美味しい桃ですのよ……陛下は、桃はお好きですか?」


 そう問いかけると、陛下がかすかに笑う。


「普段はあまり食べないが……こうして見ると、美味しそうに見えるな」


 桃の甘やかな香りが漂い、陛下はフォークを手に取った。小さく切った一欠片を口に運んで、しばしの沈黙。


「……お口に、合いませんでしたか?」


 不安げに尋ねると、陛下は小さく笑った。


「甘いな……だが、たまには悪くない」


 その柔らかな笑みに、胸が高鳴った。

 穏やかな午後。小鳥のさえずりとそよ風が木々を揺らす音だけが流れていた。


 白薔薇を眺める陛下の、その横顔とアイスブルーの瞳に私は見惚れた。


(今日は、あのことを話さないといけないわ……)


 私は、小さく手を握った。


「あの……陛下」


 おずおずと呼び掛けると、陛下は微笑み返してくれた。


「どうした、エメロード」


「その……以前、ルベライトでいただいたネックレスを、失ってしまいましたの……」


 「随分探したのですが、申し訳ありません」と謝ると、陛下が優しい眼差しで私を見つめた。


「伝えておらず悪かった。あれは、この庭園で見つけた。……鎖が切れていたから、修理に出している」


 そう言って、陛下は一瞬だけ視線を落とした。光を受けたアイスブルーの瞳に、あの宝石と同じ静かな輝きが宿っている。

 私は、心から安堵に包まれた。


「まぁ、陛下が見つけてくださったのですね……ありがとうございます」


 私たちが微笑み合った。

 ──そのとき。


 白薔薇の茂みが風に揺れたかと思うと、その向こうから、ひとりの少女が現れた。

 まだ五から六歳ほどに見える、小さな少女。純白のモスリンのドレスをまとい、やわらかに波打つ金の髪には白い薔薇を挿している。

 どこから来たのかも分からないが、その笑顔はあまりに無垢だった。


「──まあ、可愛らしい子……桃のタルトはお好きかしら?」


 私は柔らかく微笑むと、少女を手招きした。

 突然現れた小さな訪問客に、陛下はわずかに怪訝そうに眉を寄せた。けれど、私が彼に微笑みかけると、かすかに微笑んで少女を見つめた。


(皇帝陛下は、子どもが苦手なのかしら……)


「皇后殿下によく似たご令嬢ですね」


 ニーナの言葉に、「そうかしら」と私は微笑んだ。

 隣をうかがうと、わずかにこわばっていた陛下の表情も少し柔らかくなっていた。彼はカップを手にすると、静かに口にする。


「確かに……こうして見ると、エメロードによく似ているな」


 そう言って微笑んだ陛下に、私は小さく笑った。


「皇帝陛下と皇后殿下に姫君がお生まれになったら、きっとこのように愛らしい──」


 ニーナが言い終わる前に、紅茶を口にしていた陛下が突然に咳き込んだ。


「陛下、大丈夫ですか?」


 陛下は私から顔を逸らすと、「問題ない」と低く呟いた。


 そのとき、強い風が吹き、白薔薇の茂みを揺らした。白い花びらがいくつも舞い落ちる。


「あら、座らないの?」


 用意した席に座ることもなく、少女は黙って立っていた。

 澄んだ青い瞳が、真っ直ぐに私を見つめている。


「こうごうさま、どうぞ」


 少女が小さな手でそっと差し出したのは、一輪の赤い薔薇だった。


「まぁ、綺麗な薔薇……」


 白薔薇の庭を渡る風が、一瞬だけ冷たくなった。

 オパリオスの羽音が遠くで聞こえた気がして、私は振り返る。……けれど、そこには何の姿もなかった。


「こうごうさま、あかいバラはおきらいですか?」


 風に揺れる赤い薔薇に、私は「ありがとう」と微笑みながら手を伸ばす──


「皇后殿下、私が確認をさせていただきます」


 発されたルイーズの声に、手を止めた私は振り返る。


「ルイーズ、心配し過ぎだわ」

「ですが……」


 ルイーズが、ちらりと陛下を窺い見た。

 彼は、向けられた視線にかすかに微笑む。


 「大丈夫よ」と口ごもったルイーズに笑いかけると、私は少女へと向き直る。


「赤い薔薇も大好きよ。とても嬉しいわ」


 私はその薔薇に触れた。


「──っ………」


 ──その瞬間、指先に鋭い痛みが走った。

 鋭い棘が皮膚を裂き、血が一滴、地に落ちていた白い花弁に滴る。


(棘が、あったのね……)


「エメロード!」


 陛下が即座に立ち上がり、ルイーズや侍女たちも駆け寄る。


「大丈夫ですわ。このくらい……何ともありません」


 そう言って微笑んだけれど、何故か私の声は震えていた。

 陛下はすぐに私の手を取り、血のにじむ傷口を確かめる。


「すぐに城へ戻る。エメロードの手当てを」


「陛下は、心配性ですわね……」


 私が小さく笑ったその直後、体から力が抜け、視界がぼやけた。


「陛下……」


「エメロード?!」


 陛下の腕の中で、私の意識は闇に沈んだ。

 そして、傍らにいたはずの小さな少女は、いつの間にか姿を消していた。

次回、第二十七話「赤い薔薇と皇帝の怒り(後編)」


※夕方5時10分に投稿予定です。

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