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第一話 皇后選定の儀

「これより、“皇后選定の儀”を執り行います。選定を受けられるご令嬢は、玉座の間へお集まりください」


 雪の降り積もるサードニクス帝国の都ディアマン。

 都の北にそびえる凍てつく皇城には、冬の冷気が満ちていた。


 白い息が淡く立ちのぼる玉座の間の奥、群青色の垂れ幕で隠すように仕切られた小部屋には、蒼い石が敷き詰められている。その中央には、白孔雀のような美しい聖鳥──オパリオスが翼を休めていた。


「あれが聖鳥オパリオス……わたくし、初めて拝見しましたわ」


 聖鳥を前にし、令嬢たちが囁き合う。

 その紫水晶のような瞳は、まるで人の心を映す鏡のようだった。嘘を見抜き、真実だけを選び取る──帝国を守ると伝えられる聖鳥。

 白金の羽根が揺れるたび、淡い虹色の光が波紋のように広がる。ただの鳥ではなく、聖なる存在であることが誰の目にも明らかだった。


「一体、どなたが“聖鳥の皇后”に選ばれるのかしら……」


 この日、即位したばかりの若き皇帝アズールの伴侶を決めるため、玉座の間には国中から名門の令嬢たちが集められていた。

 聖鳥オパリオスによる、皇后選定の儀が執り行われるのだ。

 誰もが息を潜め、オパリオスが白い羽を震わせるたびにさざめく。


 『聖鳥に選ばれし者は皇后となり、神の加護を受け、帝国を更なる繁栄に導く』──それが、千年以上続くこの国の掟であり、言い伝えだった。


 群衆のざわめきが満ちる玉座の間で、アズールだけが微動だにしなかった。

 玉座の間に満ちる沈黙は、雪のように冷たかった。

 アズールがわずかに視線を上げただけで、廷臣たちは息を呑む。

 誰もが知っている──この若き皇帝の前で、軽々しく言葉を発してはならぬと。

 その美しく冷ややかな瞳に一瞬でも捉えられれば、心の奥まで見透かされるようだった。


(父上は、聖鳥に選ばれた皇后を愛さず、母上は……)


 ──幼い日々、独り耐え続けた記憶が胸を刺す。

 アズールは、思考を凍らせるようにまぶたを伏せた。

 愛も信仰も、王を縛る聞こえの良いだけの鎖に過ぎない。聖鳥も皇后も、ただの飾り──彼は、そう信じていた。


 雪のような白銀の髪に、冷ややかなアイスブルーの瞳。アズールのその氷のような眼差しは、聖鳥オパリオスでも令嬢たちでもなく虚空を見ているようで、誰も声を掛けられなかった。


 * * *


 オパリオスの前に進み出た令嬢たちは、鳴きも動きもしない聖鳥を目にし、皆落胆した様子で戻っていった。


(いよいよ、わたくしの番だわ……)


 沈んだ顔で戻る令嬢たちには目もくれず、堂々とした優雅な佇まいで聖鳥を見つめる令嬢がいた。

 皇后候補の筆頭として有力視されている、公爵家の令嬢であるローズ・サーペンタイン──その煉瓦色の大きな瞳は、自信に満ちている。

 

(わたくしこそが、“聖鳥の皇后”になれるのよ──この瞬間のために、生きてきたのだから)

 

 集められた令嬢たちは皆聖鳥から選ばれず、残すはローズだけだった。

 ローズは微笑んで一礼すると、静かに歩み出る。結い上げられたストロベリーブロンドの髪が、シャンデリアの灯りを弾いて煌めいた。

 『社交界の薔薇』と謳われる人目を引く華やかな美貌と、洗練された美しい所作は周囲の視線を攫った。


「ローズ様よ……」


「やはり、ローズ様が選ばれるのね」


 ローズは聞こえてくる小さな囁き声に優雅に微笑むと、聖鳥へ向かい真っ直ぐに歩く。

 だが、微笑みを浮かべたローズが近付くと、聖鳥は伏せてまぶたを閉じた。まるで「皇后はお前ではない」と告げるように。


(嘘でしょう……?)


 信じがたい現実を目の当たりにしたローズは震えながら立ち尽くした。

 期待に満ちていたはずの視線が、一斉に冷めていくのを痛いほど感じながら。


「サーペンタイン家の令嬢に、見向きもしないなんて……」


 誰かの小さな囁きが玉座の間を駆け抜けた。その声が、ローズの誇りを深く突き刺した。


(どうして動かないのよ……わたくしこそが、皇帝陛下に相応しいのに!!) 


 ローズの心に焦りが生じ、彼女は思わずオパリオスへと手を伸ばした。

 その瞬間、鋭い鳴き声が響き、空気が裂けた。


「きゃっ……!」


 怯えて仰け反ったローズの手から、エメラルドのあしらわれた美しい金細工の腕輪が落ちる。

 甲高い音を立てて白い大理石の床に落ちたそれに、オパリオスがゆっくりとまぶたを開く。


「聖鳥が……!!」


 ざわめきの中、オパリオスが不意に立ち上がった。広げられた美しい羽に皆息を呑む。


 翼が風を切る音が、凍てつく空気を裂いた。

 白い羽が淡い虹色の光を散らし、まるで雪が舞い落ちるようだった。

 その羽ばたきに皇帝の白銀の髪と令嬢たちのドレスの裾がかすかに揺れ、聖鳥の美しい姿に皆感嘆のため息を漏らした。


(わたくしの、腕輪……)


 エメラルドの輝く腕輪に向かって、真っ直ぐに床に降り立ったオパリオス。腕輪を咥えて再び飛び立つと、アズールの元へと舞い降りる。

 ローズは、期待に満ちた眼差しでその様子を見つめていた。


「何だ」


 舞い降りたオパリオスと膝に置かれた腕輪を見下ろしながら、アズールの冷たい声が落ちる。

 アズールの傍らに控えていた側近が、腕輪にはめ込まれた翠色の宝石を見て口を開く。


「その宝石は、トリフェーン王国原産のエメラルドでは……」


「トリフェーンの、エメラルド……」


 そう小さく呟いたアズールを見上げ、オパリオスが高く一声鳴いた。

 「聖鳥が鳴いたぞ……!」と上がった声に、玉座の間のざわめきが増した。


 オパリオスの鳴き声に、一人の老臣が目を見開く。


「トリフェーンには、確かふたりの王女が……今度こそ、きっと聖鳥に選ばれし皇后が……!!」


 その言葉に、群衆は一斉に静まり返る。

 そして、老臣に視線を向けたオパリオスが再び鳴いた。


「直ちにトリフェーン王国に書簡を! ふたりの王女を招待するのです!」


 そう叫んだのは侍従官だった。

 アズールは冷たい眼差しのまま、手に取った金の腕輪を見つめている。


(“聖鳥に選ばれし皇后”だと? 馬鹿馬鹿しい……私はそんなもの、絶対に信じない)


 凍てつくようなアズールの瞳を見つめながら、ローズはわなわなと震えていた。


(トリフェーン……? 宝石しか取り柄のない、あんな小さな国の王女がこの帝国の皇后になるですって?!)


 ローズは、アズールの握る腕輪を見つめ、悔しそうに唇を震わせていた。

 彼女は帝国の名門サーペンタイン公爵家の一人娘。物心がつく前から、皇后になるために教育されてきた。

 その一歩が、家の未来と自らの誇りを左右する。失敗など許されない。

 だからこそ、聖鳥が彼女を無視した瞬間、全身の血が凍るようだった。


(誰よりも皇帝陛下に相応しいのは、このわたくしなのに……!!)


 アズールの手の中で、腕輪の翠玉エメラルドが淡く光を放つ。

 その煌めきはまるで、雪を透かして射し込む朝陽のように、玉座を優しく照らした。

 聖鳥オパリオスが再び高く鳴くと、アズールの瞳が伏せられる。

 誰もが、その瞬間を忘れられなかった。


 ──運命が、静かに雪を払うように、動き出した。

次回、第二話「宝石の国の王女」

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