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第二十二話 白薔薇の夜会(後編)

※長めのお話です。

 宵の帳が落ち始めたサードニクスの皇城は、宝石を散りばめたようにきらびやかな光で満ちていた。


 大広間の奥の階段へと繋がる廊下。

 王族だけが通ることを許されたその場所に、私達はいた。


 目の前のアイスブルーの瞳は、まるで熱に浮かされたかのように私を見つめている。


「皇帝陛下……?」


 その声に彼は瞳を揺らすと、わずかに頬を赤らめて視線を落とした。


「すまない……エメロードがあまりに美しくて……」


 そう低く落ちた声に、私まで熱に浮かされたような心地になる。


「そのオパールもドレスも……全てよく似合っている」


「ありがとうございます……皇帝陛下」


 皇帝陛下が仕立ててくださったドレス。

 真珠色の裾が揺れる度に白薔薇の刺繍が煌めき、胸がときめく。


 私は、皇帝陛下の隣を静かに歩き始めた。ドレスの裾が、かすかな衣擦れの音を響かせる。

 歩幅が合うはずもなく、彼は意識して私の歩調に合わせてくれているようだった。


「エメロード……緊張しているのか」


「……はい」


「私が傍にいる。心配はいらない」


 皇帝陛下が気遣うように、私の肩をそっと抱き寄せた。

 その優しい仕草と淡く香った白薔薇の香りに胸が高鳴った。


「ありがとうございます。皇帝陛下……」


 微笑んでお礼を言うと、彼は優しい眼差しで私を見つめた。


「皇帝陛下、失礼致します! たった今、ご準備できました……!」


 廊下の向こうから、息を切らせたエドモンが駆けてくる。

 エドモンが差し出した銀のトレイには、白薔薇が二輪乗せられていた。


(魔法のように綺麗な薔薇だわ……珍しい品種なのかしら)


 その瑞々しい白薔薇は、初めて見る品種だった。幾重にも重なった白い花びらの縁が淡く煌めいている。


「エメロード、これを……」


 皇帝陛下は一輪を、私の髪にそっと挿した。甘く澄んだ香りがほのかに漂う。

 彼はもう一輪を手にし、再び私の髪へと挿そうとした──


「それは、皇帝陛下の分ですよ」


 エドモンの言葉に、皇帝陛下ははっとしたように顔を上げた。

 私は、彼に手を差し出した。


「皇帝陛下、よろしければ私が……」


 白薔薇を受け取ると、皇帝陛下の胸元に白薔薇をそっと挿す。彼のまとう濃紺の生地に、白薔薇の花弁がかすかに煌めいている。


「こんなに綺麗な薔薇は、見たことがありませんわ……とても不思議な薔薇ですのね」

 

「これは──新しい品種の薔薇だ。……咲いたらすぐに持ってくるよう頼んでいた」


 「エメロードのために……」と低い声が落ちて、頬が熱くなる。


(私のために、新しい薔薇を……)


 胸がじわりと暖かくなり、私ははにかんだ。


「さぁ、もう時間だ。……行こう」

「はい」


 大広間へ続く扉の前。

 皇帝陛下に差し出された大きな手に、私は絹の手袋に包まれた手をそっと乗せた。

 微笑み合った私たちの背後で、かすかに笑んだエドモンが深く腰を折る。


 そして、扉が大きく開かれた瞬間、ざわり、と会場の空気が揺れた。


「──まあ、お美しい! まるで、白い薔薇のような御方ですわね」


「あのティアラやネックレスは……まさか、オパールじゃなくて?」


 令嬢たちから、羨望の眼差しが向けられるのがわかった。

 天井で煌めくいくつもの灯りが、まるで私にだけ暖かな春を告げているかのように感じられた。


 かつては、視線も合うことのなかった皇帝陛下の和らいだ眼差しと優しい仕草。会場にいる人々の視線が私たちに集まっていた。

 緊張に、少しだけ足が震える。


「エメロード」


 皇帝陛下の穏やかな声が、私の名を呼んだ。

 淡く微笑んだ彼は、私の手を取ると、大広間の階段をゆっくりと下る。

 皇帝陛下のエスコートに、令嬢たちは皆釘付けになっているように見えた。

 すらりと背が高く、煌めく白銀の髪に彫刻のように整った顔立ち。令嬢たちが彼に見惚れるのも無理はないと思った。

 けれど──


(どうして……? 胸が落ち着かないわ……)


 思わず、陛下の手を握る指に力が入った。


 階段を降りると、皇帝陛下は私の腰に手を添えた。そのまま私達は会場中央へとゆっくりと進む。

 歩幅を合わせるために、皇帝陛下はほんのわずかに歩調を緩めた。誰にも気づかれぬほど自然に。だが、それは確かに彼の優しさだった。

 彼の眼差しや仕草ひとつで、自分が深く愛されているのだと──そう自惚れてしまいそうだった。


 * * *


「なんて可憐なんだ……」


 華やかなドレスをまとう令嬢たちの中で、白薔薇のようなドレスに包まれたエメロードは一際目を引いた。

 ふたりが中央へ進むにつれ、若い貴族令息たちの視線が、花に群がる蝶のようにエメロードへと吸い寄せられていく。

 その一つ一つを、アズールの瞳は静かに捉えていた。


 アズールは顔色をほとんど変えないまま、エメロードの腰へ添えた手にほんのわずかに力を込める。

 だが、男たちは遠慮がちに遠巻きながらも彼女を盗み見る。白薔薇が飾られた、その可憐な微笑みに見惚れるように。


(……不愉快だ)


 アズールはエメロードに向けられる視線に眉をひそめると、彼女に見惚れる貴族令息たちを牽制するように、冷たい視線だけで彼らを一瞥した。

 睨まれた男たちが、慌てて視線を逸らす。


「あのご様子では、とても近づけないな……」

「あれで、()()などとは……」


 いくつも囁きが走った。

 アズールはその視線すら煩わしいと感じたように、エメロードの体をそっと抱き寄せる。

 その仕草に、エメロードは少し驚いたようにアズールを見上げる。


「……皇帝陛下?」


「人が多い。……離れるな」


 そこへ、ゆっくりと歩み寄ってきたのが、ローズ・サーペンタイン公爵令嬢だった。

 エメロードはその姿を目にし、わずかに肩を揺らした。その様子に、アズールはローズをちらりと一瞥した。

 『社交界の薔薇』と讃えられるその美貌と装いは、まさに赤い薔薇のようだった。


「皇帝陛下。今宵、お会いできるのを心待ちにしておりましたわ」

「……ああ」


 アズールはそれだけを返した。そして、ほんの一瞬だけローズに向けられたその眼差しは、氷柱のように凍てついていた。

 アズールの冷ややかな様子にわずかに怯んだローズの視線が、隣に立つエメロードへと向けられる。


 ──『まるで、白い薔薇のような御方ですわね』


 先程、誰かが口にした言葉がローズの胸に深く突き刺さる。


(薔薇は……わたくしの象徴のはずだったのに)


 淡い金の髪を飾る瑞々しい白薔薇を見つめるその目は、美しい花弁に隠された棘のように鋭かった。


「皇后殿下……お会いできて光栄ですわ」


 美しく微笑んだローズから放たれたのは、心にもないはずの言葉。エメロードはそれに何も返すことができず、表情をこわばらせた。

 その様子を見て、ローズの瞳がわずかに弧を描く。


「皇后殿下──」

()()()()は、慣れぬ場で少し緊張しているようだ」


 ローズの声を遮るように、アズールがエメロードの肩を抱き寄せた。

 その姿に、周囲が息を呑む。


 不本意に集まった好奇や嘲笑の視線に、ローズの体がわずかに震える。扇が、折れてしまいそうなほど強く握られた。


「……まぁ。随分と、ご寵愛が深いようですわね」


 二人を見つめるローズの微笑みは優雅に保たれている。だが──その瞳は笑っていなかった。


(皇帝陛下も、同じ薔薇を……)


「珍しい薔薇ですわね……初めてお見かけしましたわ」


 アズールの胸元を飾る白薔薇が淡く煌めいた。


()()()()()だ」


「え……?」


 わずかに眉をひそめたローズ。

 エメロードは、不思議そうにアズールを見上げた。


「この薔薇の名前だ……皇后の名を付けた」


 その言葉に、あたりがざわめいた。


(この薔薇に、私の名前を……?)


 エメロードは、頬を染めて瞳を揺らしている。


「すまない……勝手に名付けてしまって」


 「いえ……光栄ですわ」と恥じらうように瞳を伏せたエメロードに、アズールが淡く微笑む。


(何かの、間違いよ……絶対に……)


 ローズは震える手で扇を握った。


「皇帝陛下。……少し、踊っていただけませんこと?」


 その言葉は、“自分こそが皇后に選ばれるべき”という、彼女に残された最後の誇りと願いだった。


 だがアズールは、不安げな表情を浮かべていたエメロードの手を取る。


「悪いが──皇后以外と踊るつもりはない」


 冷たく放たれたその言葉に、会場が凍りつく。


「っ……勿論、皇后殿下の後で構いませんわ」


 震える声でそう願い出たローズに、アズールの視線が真っ直ぐ向けられる。


(アズール皇帝陛下……)


 ローズは、小さく息を呑んでその瞳を揺らした。

 だが──


「私は皇后以外とは踊らない。今後、一切」


 アズールから返された言葉に、ローズの顔から血の気が引いた。薔薇のように鮮やかだった唇は噛み締められ、扇を持つ手は震えている。


「行こう、エメロード」


 アズールがエメロードの手を引いて大広間の中央へと進み出ると、弦楽の演奏が始まった。

 エメロードのドレスの白薔薇の刺繍が煌めき、その細い腰をアズールの手が支える。

 残されたローズは、ただ立ち尽くすことしかできなかった。


 アズールのリードで、二人はワルツを踊り始める。他に踊る者がいるはずもなく、会場中の視線が二人に注がれた。


 後方で呆然と立ち尽くすローズと、自分たちに集まるたくさんの視線。エメロードは不安げにアズールを見上げた。その手は、かすかに震えていた。

 彼女を安心させるように、アズールはそっと手を握ると淡く微笑んだ。


「大丈夫だ……私だけを見ていれば良い」


「皇帝陛下……」


 不安げな眼差しのエメロードの腰を、アズールがそっと引き寄せる。


「私に任せてくれ」


 二人の流れるようなステップに合わせて、アズールの黒いマントとエメロードの淡い金の髪が揺れる。

 エメロードの白いドレスの裾が花のようにふわりと広がる度に、その可憐な姿に視線が集まった。

 その場にいる誰もが、踊るふたりに目を奪われていた。


「あの皇帝陛下が、進んで踊られるとは……」


「素敵ですわね」


(皆が、見ているわ……ローズ嬢は──)


 周囲からの視線に未だ戸惑うエメロードの腰を、アズールはぐいと引き寄せた。


「エメロード、私を見ろ」


 真っ直ぐなアイスブルーの瞳が、揺れる翠玉の瞳を捉える。


 今までは気にも留めなかった令嬢や男たちの視線。だが、エメロードへ向けられる嫉妬や羨望の眼差しに気付いたアズールは、危機感とわずかな恐怖心を感じ始めていた。


「私が必ず守る……離れないでくれ」


「皇帝陛下……」


 いつになく切実なアズールの眼差し。

 エメロードは、淡く微笑むとアズールを見上げた。


 * * *


「素敵でしたわね……」


「皇后殿下も、とても可憐でお美しい」


「ご寵愛の噂は本当でしたのね」


 ふたりのワルツが終わり、会場中に大きな拍手と称賛の声が響く。

 エメロードのことを“冷遇されていた”などと口にする者は、もう誰一人としていなかった。


 そして、ローズの姿がないことに皆が気づいたのは、それからしばらく経ってのことだった。


「サーペンタイン公爵令嬢は?」


「お姿が見えませんわ……」


「途中で帰られたようですわね」


 『社交界の薔薇』と彼女を讃えていた声は消え去り、冷たい噂と嘲笑する声が会場を駆け抜ける。


「皇帝陛下に選ばれなかったからだろう」


「皇后殿下へ嫉妬なさったのかしら……?」


 その夜を境に、ローズは夜会へ顔を出さなくなった。


 社交界から姿を消した“赤い薔薇”。

 その沈黙が、後にこの皇城を大きく揺るがすことを、まだ誰も知らなかった。

想いを通わせ始めた二人を、待ち受けているものは……。

物語は、第五章へ──


次回、第二十三話「消えた白薔薇」

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