第二十二話 白薔薇の夜会(前編)
淡い花々が香る、春の皇城。
その日は、朝早くから城内が慌ただしかった。
侍女たちは念入りに床や窓を磨き、侍従たちも燭台を磨いて回った。
昼過ぎには、白薔薇を抱えた侍女や侍従たちが大広間へと走った。
すべては、今宵開かれる、皇后が初めて顔を出す夜会のためだった。
* * *
エメロードの部屋──
「……これを、私に?」
私の目の前には、美しい真珠色のドレスと宝飾品が並んでいた。ドレスには白く煌めく糸で薔薇の刺繍が施され、白銀の宝飾品には白い宝石が煌めいている。
(これは……お母様のネックレスと同じ……)
「宝飾品は、オパールで作らせた。……気に入ってくれただろうか」
「はい……幼い頃、お母様がいつも身につけているのを見て……憧れていたのです」
淡い虹色に煌めく白い宝石──そのネックレスを手にすると、目の奥が熱くなった。
「ありがとうございます」と皇帝陛下を見上げると、淡く微笑んでくれた。
「確か、エメロードの母君は……」
「十一年前に……旅立ちました」
「そうか……辛いことを思い出させてしまったな」と呟くように言った皇帝陛下に、私は静かに首を振った。
「母のことは、良い思い出だけが残っていますの……幸せな記憶しかありませんわ」
そう告げると、皇帝陛下はかすかに微笑んだ。
* * *
陽射しが差し込む北棟の広間に、私たちはいた。
「あの、時間はまだ大丈夫でしょうか……」
皇帝陛下のリードでステップを踏みながら、私はそう問いかけた。「問題ない」と微笑んだ皇帝陛下に、安堵する。
毎日必死に練習を続けたワルツ──けれど、私はまだ自信がなかった。
「……時間があまり取れず、すまなかった」
「いえ、そんなことはありませんわ……こうして踊れるようになったのは、皇帝陛下のおかげですもの」
ダンスに不慣れな私のために、皇帝陛下は毎日のように練習に付き合ってくださった。
(本当に、お優しい方……)
私は、思わず小さく笑った。
「どうした? エメロード」
「いえ、何でもありませんの……」
(あの時……)
思い出したのは、ワルツを教わり始めたばかりの頃のこと──
「ワルツの練習……ですか?」
近衛騎士のロジェがわずかに目を見開いた。
「ダンスは……俺は、あまり得意じゃありませんが……」
オスカーは頭をかきながら言葉を濁した。
「それじゃあ……ロジェにお願いできるかしら」
「皇后殿下のお望みとあらば」
ロジェは微笑むと、優雅に腰を折った。
それから、私は広間でワルツを練習するようになった。
「皇后殿下、姿勢はこのように──」
「何をしている」
広間に入ってきたのは皇帝陛下だった。いつもは完璧に整っている白銀の髪が、どこか乱れているように見える。
「あ、皇帝陛下……ワルツがまだ覚えられなくて──」
「何故、私に言ってくれないんだ」
近付いてきた皇帝陛下に、ロジェは静かに私から離れた。
「皇帝陛下は、お忙しくていらっしゃるので……」
「そんなことはない。私が相手になろう」
手を差し出した皇帝陛下。
ロジェは一礼すると、広間から出た。
「皇帝陛下!」
ロジェと入れ違いに入ってきたエドモンは、書類の束を抱えていた。
「エメロード……少し待っていてくれ」
(皇帝陛下……)
二人の会話は、離れていた私には聞こえなかった。
「そんなにはかからない。少しなら構わないだろう」
「皇帝陛下……そう仰られても──」
「溜まっているものは、今週中に片付ける」
「寝ないおつもりですか」
皇帝陛下は、エドモンと何か話し込んでいる様子だった。
(何のお話をされているのかしら……やはり、お忙しいのでは──)
振り返った皇帝陛下が、淡く微笑んでこちらへ戻って来る。
「待たせてすまない」
「皇帝陛下、本当によろしいのですか?」
「ああ、大丈夫だ。さぁ、練習しよう」
私は、差し出された皇帝陛下の手に触れた。その手は、とても温かかった。
「──エメロード……?」
響いたその声に、私は顔を上げた。
広間は、いつの間にか薄紅色に染まり始めていた。
(今日の夜会では、今までで一番上手に踊れるはず……)
「ありがとうございます……皇帝陛下」
見上げると、皇帝陛下は淡く微笑んだ。
そのとき、軽快なノックの音が響いた。
「失礼いたします。そろそろ、皇后殿下のお支度のお時間ですよ」
笑顔で広間に入ってきたニーナに、私たちはステップを止めた。
* * *
「皇帝陛下が、皇后殿下をお披露目されるとか」
今宵は皇城で開かれる、皇帝アズールの即位後初の夜会。そして、エメロードにとっては初めての夜会だった。
白い大理石の敷かれた皇城一階の大広間には、壁一面に白薔薇が飾られていた。
「でも、“聖鳥の皇后”とは名ばかりで、皇帝陛下から冷遇されているそうですわよ」
「それは、お可哀想……」
「あら、皇后殿下は寵愛されておいでだと伺いましたわ」
令嬢たちは、噂の的となっている皇后の話題にいそしんでいた。
表向きは同情や関心する素振りを見せながらも、楽しげに話す姿が多く見受けられる。
その様子を、静かな眼差しで見つめる美しい令嬢が一人。艶やかな真紅のドレスをまとい、優雅に歩いてきたのは、ストロベリーブロンドの髪を結い上げた美しい令嬢だった。
「ローズ様よ!」
令嬢たちが、ローズのために道を開けた。
彼女の髪を彩るのは、ドレスと同じ真紅の絹地で作られた薔薇の髪飾り。花びらに宿る夜露のように、細かなダイヤモンドが散りばめられている。
「さすが、“社交界の薔薇”。本当にお美しいですわね……」
「ローズ様が、選ばれるべきでしたのに」
令嬢たちの囁き声に優雅に微笑んでみせると、ローズは広間の中央に歩みを進めた。
(わたくしこそが、あの方の隣に……)
そのときだった。
会場が一斉に静まり返る。
「あれは……」
小さく呟かれた声と、一点に集まる視線。
(嘘よ……)
見開かれた大きな煉瓦色の瞳が、激しく揺らいだ。
「あの方が、皇后殿下……?」
「あの皇帝陛下が、微笑んでおいでだわ……!」
顔を上げたローズの瞳に映ったのは、美しく着飾られたエメロードと、見たこともない穏やかな表情で寄り添うアズールの姿だった。
次回、第二十二話「白薔薇の夜会(後編)」
※午後5時過ぎに投稿予定です。




