表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
26/42

第二十一話 溶けた眼差しと変わっていく皇城(後編)

※少し長めのお話です。

 窓から柔らかな陽射しが差し込む、昼下がりのこと。

 皇帝陛下が、私の部屋を訪れた。


「エメロード、好きな宝石を教えてほしい」


「宝石……ですか?」


「ああ」


 私は、胸元で輝くアイスブルーダイヤにそっと触れた。


「それは……」


 皇帝陛下の視線が落ち、その瞳がかすかに揺れる。


「もう、十分ですわ」


 そう答えると、皇帝陛下が困ったように微笑んだ。


「そういうわけにはいかない。皇后には必要だ」


「ですが、宝石はたくさんいただいております」


 私は、チェストの上に置かれた宝石箱に視線を向けた。中には、皇帝陛下から贈られた宝飾品がいくつも並んでいる。


「エメロードのために新しいものを作るんだ。……何かないのか。例えば、トリフェーンのもので好きな宝石は」


(トリフェーンの、宝石……)


 宝石をたくさん持っていたお姉様を思い出す。

 私は、トリフェーンのものに限らず、宝石について詳しくはなかった。人が身につけているものしか見たことはなかったからだ。


(確か、昔……)


『エメロードが大きくなったら、これをあげるわ……』


(あの、お母様のネックレス……)


「オパールが……とても綺麗だと思っておりましたの」


 幼い頃、母がいつも身につけていたネックレス。あれは、“オパール”だったはずだ。


「わかった。オパールだな」


 嬉しそうに笑った皇帝陛下は、すぐに部屋を出ていった。


(皇帝陛下も、あんな顔をなさるのね……)


 私は、高鳴った胸を落ち着かせるように、胸元のネックレスを握った。


 ──でも、あのネックレスは……。


「どこに、あるのかしら……」


 そう呟いた声は、窓辺を訪れた小鳥のさえずりに紛れた。


 * * *


 ──あれから数日が経った。


 皇城の中庭にある、硝子の温室。

 柔らかな陽射しに満ちた静けさの中に、靴音が響いた。


「エメロード、ここにいたのか」


「皇帝陛下……」


 振り返ると、皇帝陛下が入ってきた所だった。

 私の前にある白い花に、その視線が移る。


「……白薔薇が、好きなのか」


「ええ……それに、皇帝陛下がくださった香水と同じ香りですもの」


 私がそう返すと、アイスブルーの瞳が揺れた。


 あの日、皇帝陛下から贈られたトリフェーン王国の白薔薇で作られた香水。白薔薇は元々好きな花だったが、皇帝陛下を思い出す特別な花になった。


「あれは──……気に入ったなら、また贈ろう」


「とても嬉しいですわ」


 私が微笑むと、傍らに来た皇帝陛下も淡く微笑んだ。


「……エメロードは、白薔薇のようだな」


「そのような……」


 恥ずかしくなった私は、視線を落とした。目の前の白薔薇を見つめることしかできなかった。


 あの日、引き裂かれたドレスと、部屋中に充満した白薔薇の香り。白薔薇を見る度に、あの出来事を思い出すのではとずっと不安だった。

 けれど、皇帝陛下からもかすかに同じ香りがすることに気がついて、心が満たされるような幸せに包まれた。


(同じ香りを、身につけてくださるなんて……)


 胸の奥が、じわりと温かくなる。

 

「もっと、白薔薇を増やそうか……エメロードのために」


 低く呟かれた言葉に、頬が熱くなる。

 そっと見上げると、顔を逸らした皇帝陛下の頬も少しだけ赤くなっているように見えた。


「皇帝陛下……?」


「執務へ戻る……また、夕食で」


 そう言うと、皇帝陛下は足早に去って行った。

 まるで、自分の頬の熱を見られたくないかのように。


 私は、皇帝陛下の背中を見送ってから、再び白薔薇を見つめる。

 その白い花弁にそっと指先で触れると、ひんやりとした感触の向こうに、かすかに皇帝陛下と同じ匂いがした。


(これがきっと、“幸せ”と言うのだわ……)


 私の心は、皇帝陛下の優しさに包まれるように温かかった。

 だが、胸の内に漂う不安を拭い去ることはまだ出来なかった。


 * * *


 一方その頃、トリフェーン王国。


 薔薇園に面する部屋に用意されたサロンでは、王女アンブルが侍女たちを従えて昼下がりの茶会を開いていた。

 薔薇で彩られたテーブルには、招かれた高位貴族の令嬢たちが並んで座っている。


「サードニクスの皇帝陛下が、エメロード殿下を深く寵愛されているとか……」


 令嬢のひとりが、紅茶のカップを置いて囁く。

 その言葉に、アンブルの瞳がぴくりと動いた。


(エメロードは、皇帝に気に入られたようね……)


 アンブルの薔薇の花弁のような赤い唇が弧を描いた。微笑みを浮かべたまま、カップに指をかける。


「そのお話は、わたくしもお聞きしましたわ。何でも、皇后殿下にオパールを贈られるとか……」


「まぁ! オパールはもう採れなくなりましたのに……随分と深く愛されておいでですのね」


(オパール? わたくしでも見たことがないのに……。まぁ良いわ。老いた皇帝に貢がれたって、ちっとも嬉しくないもの)


 小さく鼻を鳴らしたアンブルは、笑みを保ったまま優雅な仕草で紅茶を口にした。


「まぁ、羨ましいこと。……わたくしの母方の縁戚がサードニクスの皇城に勤めておりますのよ。聞けば、それは美しく凛々しい皇帝陛下なのだとか」


 ──ガチャン。


 床に落ちたティーカップが、鋭い音を立てて砕け散った。紅茶が床に広がり、令嬢たちが一斉に顔を向ける。


「アンブル王女殿下、お怪我は……」

「……手が滑ってしまいましたの。大丈夫ですわ」


 アンブルは優雅に微笑んだが、その表情はわずかに引きつっていた。


(サードニクスの皇帝が、美しい……?)


 砕けた白磁の破片を見下ろす瞳が、激しく揺らいでいる。 


「アンブル王女殿下、すぐに新しいものをお持ちいたします」

「ええ……そうしてちょうだい」


 アンブルの血の気が引いた唇は、かすかに震えていた。


(どういうことなの……)


 うろたえるアンブルの様子には気付かず、令嬢たちは会話を続ける。


「サードニクスの皇帝陛下は、どのような御方なのかしら」


「詳しくは聞いておりませんの。冬に即位されたばかりでしょう? 王子だった頃は、噂通り城の奥で過ごされていたそうですもの……」


(王子……?)


 紅茶の香りが冷え、華やいでいたはずの空気が凍り付く。


「アンブル王女殿下、新しい紅茶でございます」


 侍女がアンブルの前に紅茶のカップを置いた。


(そんな……でも──サードニクスの王子は、その容姿のせいで“引きこもり”だと……)


「あら……サードニクスの王子殿下は、()()()()()()()()()()だと聞いておりましたわ」


「それこそ、偽りの噂でしてよ。“氷の皇帝”と評判の、とても素敵な御方だそうですわ」


 「羨ましいですわね」と囁き合う令嬢たちの会話に、アンブルの震える手が膝の上で強く握られた。噛み締められた赤い唇には、血がにじんでいる。


 ──エメロード……。


 アンブルの脳裏に、豪奢なドレスときらびやかな宝飾品で着飾ったエメロードの姿が浮かび上がる。若く美しい皇帝に抱き寄せられた彼女は、アンブルを笑って見下ろしている。

 

(許せない……一緒に登城していれば、わたくしが皇后になっていたはずなのに……)


 揺れる紅茶の表面に、アンブルの顔が映った。

 そこにはもう、王女の優雅な微笑みはなく──執念に染まった女の瞳だけが揺れていた。


 * * *


「陛下、ご存じだったのですか?!」


 玉座の間で、王妃アデルが声を荒げた。


「サードニクスの、皇帝のことを……!」


 目を吊り上げて睨み付けてくるアデルに、ジャッドは沈黙したまま重くまぶたを伏せた。

 アデルの隣で、アンブルは震える声でわめく。


「お父様!! どうして教えてくださらなかったの?! お父様のせいで、エメロードが──あの子が帝国の皇后になってしまったのよ!!」

「……寒い国に嫁ぎたくないと言ったのは、お前だろう」


 そう返したジャッドの声は、まるで春の終わりの風のように弱かった。

 胸の奥で、長く抱えてきた後悔と贖罪の念がうずく。


(せめて……この国を離れた今、あの子は救われているのだろうか)


 一瞬、ジャッドの視線が遠くを見た。

 だがその願いを、アンブルの嫉妬と憎悪の炎が焼き払う。


「お父様、わたくしは取り戻しますわよ……帝国の皇后の座も、皇帝陛下の寵愛も──すべてを」


 サロンに飾られた白薔薇が一輪、音もなく花弁を落とした。


 * * *


 夕暮れ時。

 再び、サードニクスの皇城。


 書簡を手に執務室に入ってきたエドモンに顔を上げると、アズールは手にしていた報告書を置いた。

 エドモンの穏やかな表情に、アズールはその眼差しを和らげる。


「見つかったか」

「はい。トリフェーンの古い宝石商に……ですが、もう採れない宝石だからと、かなり値段を吊り上げられましたが」


 「城が買えますよ」と付け加えたエドモンが書簡を差し出す。彼を一瞬見つめると、アズールはそれを受け取った。


 書簡が開かれる乾いた音に、エドモンは小さく喉を鳴らす。


「……この程度か」


 かすかに笑んだアズールは、「夜会に間に合うよう作らせてくれ」とエドモンに書簡を返した。


 その夜、皇城に吹く風はどこかざわめいていた。

 まるで、訪れたばかりの春の終わりを告げるかのように──


 そして、白薔薇が香り始めた皇城に、静かに影が忍び寄っていた。

次回、第二十二話「白薔薇の夜会(前編)」


※第二十二話は、前編・後編に分かれています。

 1/21(水)の朝夕に投稿します。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ