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第十三話 初めて触れた優しさ

 それは、雪解けの陽だまりのように、私の心を温かくした。


「皇后殿下! 皇帝陛下から、皇后殿下へと……!」


 珍しく、慌てた様子で飛び込んできたエリーズ。その後ろからは、皇帝付きの侍従たちが大きな箱をいくつも持って現れた。


「皇后殿下へ、皇帝陛下からの贈り物をお届けに上がりました」


 その言葉に、私は言葉を失った。


 開けられた箱には、それぞれ淡い色のドレスと美しい小箱が収められていた。


「これを、皇帝陛下が……?」


(夢でも、見ているのかしら……だって、皇帝陛下は……)


 不意に、挑戦的に微笑んだ煉瓦色の瞳が脳裏にちらつく。けれど、湧き上がりかけた不安は侍従の声で遮られた。


「皇后殿下、こちらも皇帝陛下からでございます」


 侍従の手によって開けられた美しい小箱には、ドレスの色に合わせた宝飾品が輝いている。続いて開けられた青い小箱には、いくつかの美しい硝子の小瓶や器が収められていた。


「トリフェーン王国原産の白薔薇から作られた、化粧品と香水でございます」


(トリフェーン……私のために、選んでくださったの……?)


 侍従の言葉と、差し出された贈り物に胸が震えた。


「心より、感謝いたします……皇帝陛下には、改めてお礼を……」


 微笑んでそう告げると、侍従たちは深く一礼して部屋を後にした。


「──皇后殿下……!」


 思わず頬を伝った涙を、エリーズがそっとハンカチで押さえてくれた。


「皇后殿下、大丈夫ですか」

「大丈夫よ……信じられなくて……」


 夢のようだった──いや、夢なのかもしれない。

 このような贈り物をもらったのは、母を亡くしてから初めてのことだった。


 青い小箱から取り出した美しい硝子細工の香水瓶。蓋をそっと開けると、澄んだ白薔薇の甘い香がふわりと広がる。


「とても素敵な、懐かしい香りがするわ……」


 澄んだ甘やかな香りに、幼い頃、母と過ごしたトリフェーン城の庭園を思い出す。

 まさか、あの皇帝陛下から贈り物を賜る日が来るとは考えもしていなかった。胸がいっぱいになり、白薔薇の香りにまぶたを閉じる。


(皇帝陛下に気に掛けていただけたことが、こんなにも嬉しいなんて……)


 たとえ、他に想う方がいるのだとしても──


「皇后殿下……本当に、ようございましたね……」


 エリーズも涙をこぼし、それをエプロンの裾でそっと拭った。


「エリーズまで、泣いているの?」


 笑いながらそう言うと、彼女も泣きながら微笑んだ。


 だが、それを影から見ている瞳があったことを、私たちは知らなかった。


 * * * 


 まだ雪が薄く積もる庭園で、エメロードが栗色の髪の少年と穏やかに言葉を交わしている。少年に目線を合わせるように屈むと、彼女は微笑んでその頭を撫でた。

 その姿を、離れた回廊から見つめている影があった。


「……あの方を、見ていたのですか」


 背後に落とされた静かな声に、カミーユが弾かれたように振り返る。

 そこには、エドモンが立っていた。


「自分は──ただ遠くから、見守っていただけです……」

「そうですか。……ですが、それが最も危ういのです」


 エドモンは、エメロードを気に掛けるカミーユに鋭い視線を送る。


「若さゆえに、心は理性に背くものです……その炎に、焼かれてほしくはないのですよ」

「エドモン殿、炎とは──」

「あの方に、懸想してはいけないと言っているのです」

「な……」


 目を見開いてから、「自分は、そのようなつもりは全く……」と俯きがちに返したカミーユの声は、小さくかすれていた。

 冷たい風に、カミーユの整えられた亜麻色の髪がかすかに揺れる。


「ただの憐れみのつもりが、変わることもある……あの御方に、決して近付いてはいけませんよ」


 エドモンの冷たい声音が、カミーユの心に深く突き刺さる。無意識に握られた拳を見て、エドモンが目を細めた。

 カミーユは一瞬だけエメロードを振り返ろうとして、わずかに俯いた。


「カミーユ、そろそろ交代の時間でしょう」


 「まだ、その時間では……」と言いかけたカミーユは、エドモンの鋭い眼差しに口ごもると、政務室へと足を向けた。

 近衛騎士のまとう群青色のマントを揺らし去っていく後ろ姿を、エドモンは憂いを帯びた瞳で見送る。


(皇帝陛下が、あの御方をもっと気に掛けてくだされば……)


 エドモンは振り返ると、アズールから密かに贈られたばかりの薄青のドレスをまとうエメロードを遠くから見つめた。

 まだ肌寒い日差しの中で、淡い金の髪が煌めいている。使用人の子どもに微笑みかける姿は、とてもこの帝国の皇后とは思えないほどに可憐で清らかだった。


(あの方は、危険だ……)


 カミーユだけではない。他の年若い騎士や侍従たちの間でも、皇后が噂になっていることをエドモンは耳にしていた。

 『皇帝に見向きもされぬ皇后』と囁かれながらも、彼女の姿は人目を引く。ただでさえ庇護欲の強い若い騎士であれば、見つめるうちに想いを募らせる者が出てくるのも当然だった。


(何か──嫌な予感がする……)


 回廊を吹き抜ける冷たい風にエドモンは瞳を伏せると、静かに踵を返した。


 * * *


 西棟の一階にある図書室──


(素敵……)


 目の前に並ぶたくさんの本に、私はため息をこぼした。

 ここは、エリーズに教えてもらった図書室。蔵書の数は少ないと聞いていたが、私には充分すぎる程の量だった。


「聖鳥、オパリオス……」


 私は、本棚に並ぶ一冊の本に手を伸ばした。


 ──『聖鳥オパリオスの伝説』


(聖鳥とは、一体どんな存在なの……?)


 どうして私が選ばれたのか、ずっと気になっていた。“聖鳥の皇后”のことも……。

 この本を読んだら、少しはわかるかもしれないという淡い期待が胸に灯る。


(サードニクスの植物と、帝国の騎士……)


 サードニクス帝国のことは、ほとんど知らない。だからこそ、私なりに少しずつでも知っていきたいと思って、数冊の本に手を伸ばした。


 “そんなことをしても、何の意味もない”と心のどこかで浮かんだ。私は借りた本を抱き締めると、その考えを振り払うように、図書室を後にした。


 * * *


 西棟一階の端にある小さな応接間。

 窓は厚いカーテンで覆われ、灯りもない薄暗い中に二つの影があった。


「何ですって……嘘でしょう?!」


 震える声で強く発された言葉に、もう片方の影が深く頭を垂れた。


「……全て、着られないようにしてちょうだい」


 女の命令に顔を上げた影が、わずかに瞳を揺らしている。


「ですが、皇帝陛下からの贈り物で──」

「いいから、おやりなさいと言っているのよ!」


 燃える瞳に睨まれ、影は再び腰を折った。


「宝飾品は……そうね。皇帝陛下からのものは全て持ってきなさい。他は捨ててしまって構いませんわ」

「……かしこまりました」


 影は震える声でそう返すと、深く頭を垂れて背を向けた。

 「絶対に、見られないようにするのよ」と掛けられた声に再び一礼すると、影は部屋を後にした。


 憎悪に燃える瞳が、薄暗がりの中で揺らめいていた。

 窓の外では、静かに淡雪が降り始めていた──それは、曇天から降りしきる灰のようにも見えた。

次回、第十四話「壊された想い」

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