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第十話 始まる冷遇

 周りの空気が変わりはじめたのは、婚礼の儀から数日経ってからだったように思う。


 初めのうちは、侍女たちは皆、気の毒そうに私に微笑みかけてくれていた。

 彼女たちの視線には同情と哀れみが混じっていたけれど、それでも、誰かに優しくされることは嬉しかった。


「皇后殿下、本日の御食事はこちらでございます」


 侍女の一人が恭しく銀の盆を差し出す。

 私は「ありがとう」と微笑んだ。

 けれどその背後で、別の侍女の小さな笑い声が聞こえた。嘲笑うような、冷ややかな響き──


「そんなに丁寧にする必要、あるのかしら。皇帝陛下の御心に少しも入られていないのに」


 その言葉に、場の空気が凍りついた。私を見つめ薄く笑った黒髪の侍女の瞳には、侮蔑の色がにじんでいる。

 筆頭侍女のエリーズがすぐにその場を制した。


「口を慎みなさい。皇后殿下に対し、何と不敬な──」


 彼女の低く落ち着いた声に、他の侍女たちは一斉に頭を垂れた。

 けれど、伏せたままの彼女たちの瞳の奥には、もう昨日までのような温かさはなかった。


 それからの日々、彼女たちの態度はゆっくりと変わっていった。

 ブラシの歯が髪に引っかかっても謝らない。

 出されたお茶は既にぬるくなっている。

 遅れて運ばれる、冷めきった食事。

 小さなことが積み重なり、やがてそれが日常になっていく。


(どうして……? 皇帝陛下が、私に見向きもしないから?)


 胸の内で問いかけても、誰も答えてはくれない。


(……皇帝陛下には、想う女性がいらっしゃるのかしら……だから、あれほどに私のことを──)


 胸の奥底に浮かび続けるその疑問は、誰に問うこともできなかった。


 ──皇帝陛下の御心が向けられなくても、ただ、ここで穏やかに過ごせたら……。


 けれど、侍女たちに声をかけても、返ってくるのは事務的な返答と静かな微笑みだけ。その眼差しには、温かな温度は感じられない。

 彼女たちの笑顔が、以前とは違うものに見えた。


 それでも、筆頭侍女のエリーズだけは変わらなかった。

 朝、私が目を覚ますと、必ずそっと部屋の温度を確かめてくれる。

 夜は、侍女たちが下がったあとも、寝衣の裾を整え、静かに一礼して去っていく。

 彼女の瞳には、憐れみでも軽蔑でもない、静かな敬意が宿っているように見えた。


 けれど──その優しささえも、いつまで続くのか分からない。その不安が、私の胸の隅に翳りを作っていた。


 * * *


 その日の午後、部屋に戻ると、チェストの上に置いていた白い羽根が目に入った。

 聖鳥オパリオスの羽根。選定の儀のために訪れたあの日、城の外で舞い降りてきた一枚だ。

 あの瞬間を、私は今も夢のように思い出す。


(どうして、私だったの……?)


 あの日、聖鳥に選ばれたときは、こんなことになるとは思ってもみなかった。

 あの氷のような瞳の皇帝陛下に、皇后として歓迎されることなど考えたこともない。

 でも、侍女たちまでもが、私に冷たい視線を向ける──


 私は、凍てつく窓辺に近付いた。

 いまはただ、静かな雪と沈黙だけが私に寄り添っている。


 ──私は、何のためにここにいるのだろうか……。


 外では、今日も雪が降り続いている。

 凍てついた世界の中で、私は美しい羽根を手のひらに乗せ、そっと息を吐いた。

 その吐息さえも、白く凍るようだった。


 * * *


 その頃、皇城の政務室では、二人の忠臣が控えていた。

 一人は侍従官、エドモン。

 もう一人は若き近衛騎士、カミーユ。

 エメロードがこの城へ向かう道中、雪の街で白いケープを渡した、あの二人だった。


「王女殿下──いや、今は“皇后殿下”か……」


 カミーユがぼそりと呟く。

 机の上の報告書に視線を落としたまま、エドモンが銀縁の眼鏡を整えると小さく頷いた。


「皇后殿下へのご機嫌伺いの申し出は、今朝も退けられました。『余計な干渉は不要だ』──との陛下のお言葉です」

「……ですが、侍女たちの間でも噂になっているようです。婚礼の日から、あの方は……」


 カミーユのその言葉に、短い沈黙が落ちた。

 エドモンの眼鏡越しの瞳が、わずかに翳る。


「私たちには、どうしようもないでしょう……」


 エドモンは、報告書の束を整えると机の脇へと並べた。

 外では、雪が静かに舞っている。

 淡い光が差し込む窓辺に、カミーユが視線を向ける。


「あの方は……まだ、あのケープを持っておられると思いますか」


 その問いに、エドモンはわずかに目を細めた。新たな報告書を手を取ると、カミーユと同じように窓の外を見つめた。


「……あの雪の日のことを、忘れるような御方ではないでしょう」


 エドモンの静かな声音には、どこか祈るような響きがあった。


 ふたりの間に、短い沈黙が落ちる。

 暖炉の火がぱちりと弾け、古い時計が時を刻む音だけが響いた。


「……カミーユ」


 エドモンは報告書を置くと、窓の外に再び目をやった。

 そして、カミーユへと真っ直ぐな視線を向ける。


「いくら皇后殿下が気の毒とは言え、近付いてはいけませんよ」


 その言葉に息を詰まらせたカミーユは、エドモンを見つめ返した。


「どうして、そんなことを……」


 瞳を揺らすカミーユに、軽くため息を吐いたエドモンが言葉を続ける。


「皇帝陛下がいくらお渡りにならないとはいえ、あの御方は正式な“聖鳥の皇后殿下”です。若い近衛騎士が──それも皇帝の近侍きんじが皇后に近付けば、どんな噂が立つと思いますか」


 その言葉に俯いたカミーユは、静かに窓の外を見つめる。

 城の外では雪がしんしんと降り積もり、塔の屋根を静かに覆っていく。その白の向こうで、ほのかに灯りのともる皇后の居室が見えた。


「……もし叶うなら」


 カミーユが小さく呟いた。


「せめて……あの方の孤独を、少しでも和らげて差し上げたいのです」


「愚か者」


 エドモンの言葉は鋭くも、どこか哀しげだった。


「その想いは、皇帝陛下の──誰の前でも、決して口にしてはいけません……皇后殿下に、個人的な感情を抱くべきではない」


 二人の会話は、それきり途絶えた。

 ただ、雪の降る音だけが静かに降り積もり、城を覆うようにして、夕暮れ前の薄紅の光が淡く広がっていった。

次回、第十一話「嘲笑と悪意」


※1/3までは、朝の時間帯に更新します。


読んでくださって、ありがとうございます!

もうすぐ、ふたりの関係性が少しずつ変わり始めます。

じわじわ進んでいくふたりの物語を、少しでも楽しんでいただけると嬉しいです。

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