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夫と義姉が「人が死ぬのってあっけないもんだ」といって嘲笑う中、苦しみと絶望に苛まれて死んだ私。そして、そこからすべてがはじまった

「なーんだ、ずいぶんとあっけないのね」


 義姉タルサの声。それから、彼女の笑い声が聞こえる。いつもの甲高い、それでいて意地悪全開の爆笑だ。


「人の死は、ほんとうにあっけないのさ。見ろよ。こいつ、ピクリとも動かない」


 いまのは、王太子にして夫であるレイモンドの声。彼もまた、快活に笑った。


 彼は、幼い頃からの婚約者だった。そして、彼とわたしは二年前に結婚した。その長い付き合いの間、彼の笑い声なんてほとんど聞いたことはない。訂正。それは、あくまでもふたりきりのときはだ。とにかく、そんな彼の笑い声なんて、いつぶりに聞いたのか思い出せない。


「こんなことなら、もっとはやくやればよかったわね。あなたが臆病なせいで、ずいぶんと不自由な思いをさせられたわ」

「そう簡単にはいかないさ。いくらおれが王太子だからといって、かりにも王太子妃を事故死させることは簡単じゃない」


 タルサとレイモンドの声が遠くなってきた。


「ねぇ、この馬はどうするの? バカみたいね。脚が折れているのに、必死で立とうとしてる」

「これじゃあ、もう生きている意味がないな。馬は、脚が折れたらアウトだから。せめてもの情けだ。主人と一緒に逝かせてやろう」


(キング、ああ、キング)


 わたしの最高の相棒にして親友のキング。


 そばによりたくても、なにもできない。


 かろうじて耳だけが聞こえる。音だけが勝手に耳に入ってくる。


 あまりの無力さと非力さでどうにかなってしまいそうなわたしの耳に、鈍い音が入って来た。それから、キングの息遣いとが。


 愛馬キングの息遣いが弱まっていき、ついには聞こえなくなった。


 いや。わたしが息絶えたのかもしれない。


 この日、わたしは死んだ。


 愛馬キングと乗馬を楽しんでいる途中の事故で。


 事故死としてあつかわれるのだろう。


 しかし、わたしは知っている。


 王宮の森に罠が仕掛けられたことを。その罠にキングが脚を取られて全力で倒れ、わたしは空中に放り出され、地面に激突し、死んだことを。


 わたしは、夫のレイモンドと義姉のタルサに事故死に見せかけられ、殺されたのだ。


 人の死は、ほんとうにあっけない。


 タルサの言ったことは、まさしくその通りだった。


 死にゆくわたしにすれば、そんなこと知りたくも経験したくもなかったけれど……。



「……!!」


 唐突に目が覚めた。


 読書中に寝落ちしたというような目覚めではない。うまく表現出来そうにないけれど、長い長い眠りから覚めた、という感じだろうか。悪夢の中にいて、ようやく現実に戻って来たといってもいいかもしれない。


「ブルルルル」


 キングのプニプニする鼻が頬を撫でた。


「キング? あなた、生きて……。あーっ! わたし、いえ、わたしたち、生きているの? というか、ここはどこ?」


 バネ仕掛けの人形のようにピョコンと跳ね起きていた。


「そうだ。わたし、いえ、わたしたち、死んだ、のよね?」


 頭の中の霧が徐々に晴れていく感じがする。それにつれ、わが身に起こったことが思い起こされる。


「ブルルルル」


 キングのプニプニの鼻が、また頬を撫でた。


「キング、よかった。あなたが生きていてくれて。とりあえず、落ち着くわね。ここは、いったいどこなのかしら?」


 周囲を見渡すと、眼下に森が広がっている。


「ああ。ここは、王家直轄の狩場の森ね。そして、ここはわたしのお気に入りの場所。ということは、午後の陽気に誘われ、眠ってしまったってことね」


 この王家直轄の狩場にあるこの丘の上には、大木がある。その大木に登ったり、木陰で読書や書類仕事をするのがささやかな楽しみだ。とはいえ、ほとんどできないけれど。


「ブルルルル」


 キングは、またプニプニする鼻を頬におしつけてきた。


 そんな可愛い彼の鼻面を右手で撫でながら、草の上に散らばっている紙片に気がついた。


「狩猟大会?」


 かがんでその一枚を取ると、その紙片には狩猟大会に参加する国内外の有力者たちの名が記されている。


「これって……」


 開催日を確認した。それだけでなく、参加者たちの名も。


 狩猟大会が開催される前、下見と気分転換を兼ね、時間をつくってひとりでここにやって来た。


 こういった行事だけでなく、王太子としての政務のほとんどを丸投げされていたから。


 夫であるレイモンドに。


「まさか、まさか、アレはほんとうのことだったの? 夢ではなく、実際にあったことなの?」


 信じられないことだ。しかし、あれほどリアルな夢はこれまで見たことがない。リアルすぎてムカムカするほどだ。


 もう一度、手元の書類に目を落した。


「キング。ああ、キング。どうしましょう? わたしたち、死んでしまったのよ。いえ。死んでしまうのよ。違う。殺されてしまうのよ、あいつらに」


 なぜかわからないけれど、過去に戻ってしまったのだ。


 夫であるレイモンドと義姉のタルサに殺される三日前に。


 わたしは、王家主催の狩猟大会の途中、あいつらに落馬事故に見せかけて殺される三日前に戻って来たらしい。



「キング、ゆっくり戻りましょう。どうせまたタルサが宮殿に来ているはずよ。わたしに会いに来ているふりをしてね」

「ブルルルル」


 キングは、森の中をゆっくり歩いている。


 わたしは、その馬上でずっと考えている。


 これまで、見て見ぬふりをしていたのが悪かったのだ。感じようとしなかったのが悪かったのだ。


 夫であるレイモンドと義姉であるタルサ。


 ふたりの関係を知らぬふりをしていたわたしが、一番悪かったのだ。


 それをいうなら、わたしの努力が足りなかった。それから、可愛い気も足りなかった。他にもまだあるだろう。


 なにもかもわたしのせい。


 ふたりが禁断の恋に陥ったこと。わたしを殺す羽目に陥ったこと。


 すべてわたしのせいなのだ。



 生まれてすぐ、公爵家のひとり娘だったわたしは婚約した。もちろん、わたしの意志ではない。さらには望んだわけでもない。


 王家との取り決めのひとつにより、王太子になる王子と婚約が定められていたのだ。


 いわば運命、というわけだ。


 三歳のとき、三つ年長のレイモンドに会った。


 彼は、最初からわたしのことが気に入らなかったのだろう。それでも、乳母たちが面白いことを言うと、わたしの前で笑うことはあった。


 そのあとから、わたしの王妃教育がはじまった。


 たったの三歳のときから、だ。


 それはもう過酷だった。それ以上に自由がなかった。


 それでも運命に逆らうことはなかった。というよりも、それが当たり前だと思い込んでいた。


 その間、レイモンドは宮殿の侍女を追いかけまわしていた。


 彼は国王や王妃からの愛情に飢えていて、寂しさをまぎらわせたいのだろう。ある程度の年齢になったら、落ち着くだろう。


 教育係に罵られ、ぶたれながら、宮殿内を走りまわる彼を見るたび、そう思っていた。いや。期待していた。


 が、ある程度の年齢になっても変わらなかった。彼自身、公務に携わることになってもなお、さまざまな遊びや快楽にのめりこんでいた。


 王太子、ひいては国王を支えるのが未来の王妃、つまりわたしの役目である。


 王妃教育が終わるとすぐ、彼の代わりに公務に携わることになった。


 その頃には、彼はタルサと出会っている。


 三歳のとき、彼に会っただけではない。母が亡くなった。まだ喪も明けていないどころか、葬式の日にタルサと義母になるレディがやって来た。


 父は、病弱だった母と結婚したときにはすでに愛人がいたのだ。わたしが生まれたときには、二歳になる娘がいたのだ。


 よくある義理の娘虐めである。


 書物や子ども向けのお話にあるのとまったく同じことが、わたしの身にふりかかっていた。


 王宮から屋敷に戻ると、わたしは奴隷以下の存在。


 それは、レイモンドに嫁ぐまでずっと続けられたのだ。


 いや。いまでもそれは続いている。


 たしかに、さすがに王太子妃のわたしに肉体的物理的にどうのこうのということはない。とはいえ、レイモンドの命令で王太子妃というのに護衛のひとり、補佐官のひとりさえつけてくれていないので、肉体的物理的に危害を加えることは簡単だけど。


 実際、加えられて死んでしまったから。


 もっとも、たとえ護衛がいたとしても、彼らはどうとでもできる。つまり、意味はないということだ。


 それはともかく、父は、義母や義姉を注意するどころかまったく無視していた。関わろうとしなかった。


 父は、義母と義姉を何年も屋敷に呼べなかったことで負い目を感じているのだろう。同時に、ふたりのことを愛しすぎているのだろう。


 それでなくてもわたしのことをほとんど顧みてくれなかった父は、ふたりが屋敷にやってきて以降はいっさい顧みてくれなくなった。


 それでも、わたしはまだ王妃になるという切り札があった。


 それがなかったら、とっくの昔に屋敷を追い出されていただろう。あるいは、売り飛ばされていただろう。


 そんなタルサも婚約者ができた。


 もうひとりの王子アーサー・キングスリーだ。


 が、その王子は病弱で表舞台にはいっさい出られない。実際、王宮の旧宮殿にひきこもっていっさい社交や公式の場には出てきたことはない。


 そんなアーサーのことをタルサが気に入るわけはない。


 顔合わせをすることさえしなかった。婚約者というのは、形だけだったのだ。


 アーサーは、ひとり王宮の森の奥でひっそりと暮らし続けているのだ。


「キング、予定変更よ。アーサーのところに行きましょう」


 王宮への出入りは、裏門を使っている。


 この王宮の使用人たちの多くが、レイモンドを怖れている。


 これが書物なら、自分にも他人にも厳しい有能な王太子ということになる。が、レイモンドの場合は違う。王太子としては無能きわまりなく、他人にたいしてだけ厳しすぎるのだ。幼い頃、彼はまだ子どもだからああなのだ。成長すれば落ち着き、思いやりや人の痛みのわかる人になると信じていた。その彼は、いまもまだ三、四歳の子どものままなのだ。


 彼がクズなのは、わたしを含めた周囲の人たちのせいでもある。


「わたしってば、すっかりクズ呼ばわりしているわね」


 声に出して笑っていた。


 彼にたいして批判的であらゆる負の感情を持つこと。いや。そもそも彼にたいしてなにかしらを思うことは、以前はほとんどしなかった。というか、しないようにがんばっていたのだ。


 それがいまは、思いまくっている。感じまくっている。


「もう遅いってやつね、キング?」

「ブルルルルル」


 キングの耳は、「そんなことない。いまからさ」と言ってる。


 馬は、耳でなにを言っているのかわかるのだ。


 そうこうしているうちに、アーサーの住む旧宮殿に到着した。 


「王太子妃殿下」


 彼はまるでだれかが自分を訪れて来ることを知っていたかのように、崩れかけた石段の下にいた。


 正確には、ここを訪れる人はわたし以外にいない。


 まだ幼い頃、王妃教育で教育係に叱られてぶたれ、泣きながら森を彷徨っていたときに出会った。幼いながらに彼の境遇を知り、心を痛めた。というか、自分と同じで寂しくつらく惨めな思いをしていて、王宮にいるかぎりは、それらは一生涯つきまとうのだと仲間意識を抱いた。


 以降、ときどき彼のもとへ訪れては、楽しいひとときをすごしている。


「王子殿下」


 キングから軽快に飛び降りると、彼が近づいて来て握手を交わした。


 成人するまでは、挨拶はハグだった。それをいうなら、子どもの頃は手の甲や頬へのキスだった。


 おたがいに年齢を重ねるごとに遠慮するようになった。心にやましいことはなく、それどころかいっさいそんな気持ちはないのにかかわらず、おたがいの立場がそうさせたのだ。


 アーサーもわたしもじつに危うい。立場だけではない。生きていることじたいが、である。いつなんどきどうなるかわからない。ときおり、わたしが彼のもとへ訪れるのでさえ、レイモンドやタルサにとっては格好の断罪の理由となる。


「王子殿下はやめてほしいな」

「じゃあ、王太子妃殿下をやめてほしいわ」


 おたがい、昔のように呼び合おうと決めている。決めているが、いつもこうやってやり取りをするのだ。


「アーサー、調子はどう?」

「おれの? それとも作物の?」

「作物にきまってるじゃない」


 森の奥深くには、わたし以外足を運ぶ者はいない。


 彼は土を耕し、さまざまな作物を作っているのだ。


「なーんだ。おれじゃないのか」


 アーサーは、ガッカリしている。


「冗談よ。あなたと作物、どちらもよ」

「調子はいいよ。とくに作物はね。トマトは、ちょうど食べ頃だよ。自生のラズベリーもちょうどいい感じだ」

「トマトは大好きよ。ラズベリーもね」

「知っている。だから、トマトはきみといっしょに収穫しようと思ってね。ラズベリーは、すこし前に摘んでおいた。行こう。キング、きみも来いよ。ニンジンを準備しているよ」

「ブルルルル」


 気遣い抜群の彼らしい。


 崩れかかった石段を通りすぎると、昔の庭園をリメイクした畑や花壇がある。


 キングがニンジンを堪能している間に、アーサーとトマトを収穫した。


 夕陽よりも真っ赤なトマトをもぎながら、こういうことは早朝するもんじゃないのかとふと考えた。


「うまい」


 アーサーは、すでにかじりついている。


「ほんと、美味しいわね」


 わたしもトマトにかじりついた。


 甘い。これならいくつでも食べられそう。


「トマトソースを作ろう」

「パスタ、ピザ。肉や魚のソースにもいけるわね」


 つまみ食いが終ると、トマトでいっぱいになったカゴを胸元に抱えて運び込む。


 旧宮殿ではそこそこ広い。その中でも、アーサーが使っているのは厨房だったところと執務室と寝室のひとつ。それから、談話室を居間代わりにしている。それ以外のスペースは、劣化や損傷が激しくて使えない。彼がいま使っている部屋も、限界が近づきつつある。


 お茶は、いつものように断った。


 ここは、居心地がよすぎる。彼と一緒だと心が安らぐ。なにより、孤独ではない。


 しかし、彼といっしょにいることで彼に迷惑がかかってしまう。


 だから、できるだけ長居はしないようにしている。


「メイ、なにかあったんだろう?」


 帰ろうとしたタイミングで、アーサーが尋ねてきた。


「……。なにもないわ。どうして、なにかあったって思ったの?」


 態度には出ていないはず。


 自分の身に起こったすべてのことについて、いまこのときは思い出さず、考えないようにしていた。


「いつもと違うからだよ」

「そうかしら。あなたは、病がちのわりにはすごく元気そうだけど?」


 そう揶揄い、話題をそらせようとした。


 彼がこんなところにいるのは、というか幽閉状態にあるのは、彼が体が弱くて静養しているわけではない。


 自分の身を守るため、彼は彼なりに考えてそうしたのだ。


 だから、ほんとうは体は弱くはない。


「そうだね。めちゃくちゃ元気だよ。来るべきときに備え、体も頭も心も鍛えている。きみが、彼らに殺され、戻ってくるのを待っている間に、準備万端にしていたわけだ」

「なんですって?」


 彼の言っていることが理解出来ず、おもわず頓狂な叫びをあげていた。


「今日、きみがここに来ることはわかっていた。だから、待っていたんだ」

「ど、どういう意味な……」


 アーサーは、手をあげてわたしを黙らせた。


「きみが彼らに殺された後、おれも殺されたんだ。よりにもよって、おれがきみを事故死に見せかけ殺したらしい。森から引っ張り出され、断罪された。斬首、というわけだ。斬首までの間、牢獄でカビたパンと泥水ですごした。その間、レイモンドとタルサは盛大な婚儀を執り行った。神もビックリのスピード婚だ。その祝いのイベントのひとつとして、おれの首が斬り落とされた。王都の人々が見守る中でね。正直、ゾッとしたよ。祝祭を血で染めるのだから。そうそう。もうひとつあった。おれの首が胴体から切り離されるまでに、病床の国王が都合よく死んだ。レイモンドは、同時に国王の座に就いたわけだ」


 アーサーの話の内容はわかる。わかるけれど、わからない。


 彼からしてみれば、ちゃんと聞いているのかって確認したくなるほど、口をポカンと開けているだろう。


「でっ、おれ? 首を斬り落とされ、気がついたらこの壊滅状態の旧宮殿にいたというわけだ」


 アーサーは、両肩をすくめた。


 しばらくの間、ただ見つめあっていた。


 彼の話を信じないわけじゃない。わたしだって彼と同じなのだから。厳密には、わたしの方が先に殺されたけれど。それから、「あっけない死」だったけれど。


 わたしの死後、アーサーにそこまで心労と苦労を強いていたとは、不可抗力とはいえ申し訳なさすぎる。


「その、なんて言ったらいいか……。なんだか、ごめんなさい」


 頭と心の中を整理し、いろいろ考えてみた結果、こんな陳腐な言葉しか出てこなかった。


「どうして謝罪するんだい? きみも被害者だ。というか、彼らに裏切られたんだ。さぞかし……」

「気がついていたの」


 彼をさえぎり、なかば叫んでいた。


「というか、気がついていたのに気がつかないふりをしていたの。ある意味では、彼らを見くびっていたのね。彼には顧みられず、彼女には憎まれてはいる。だけど、わたしは表立っては王太子妃。わたし個人というよりかは、王太子妃を害すなんてことするわけはないと思っていたの。たとえ王太子や王太子妃の義姉であったとしてもね。これは、誤算というよりかは油断ね」


 いっきに言い募った。肩で息をする勢いで。


「メイ……。彼らは、クズで愚かで欲まみれの人間だ。だからこそ、自分の欲を満たすためならなんでもする。きみやぼくが死んだ後のこの国がどうなったのか? 死んでしまった、いや、殺されたおれたちは知る由もないが、容易に想像ができる。メイ、きみはどうだい?」

「ええ。想像や予言ではなく、この国の未来を断言出来るわ」


 簡単なことだ。なにも司祭や聖女や大預言者でなくてもわかること。


 新国王であるレイモンドと新王妃であるタルサは、やりたい放題にやるだろう。そして、まだマシな方の未来は、彼らは内乱や反乱で首をバッサリ。もうすこし悲惨な方の未来は、疲弊しきったこの国に攻め込まれ、首をバッサリ。


 いずれにせよ、この国と彼らの未来は、悲惨な結末を迎える。けっしてハッピーエンドにはならない。


 アーサーやわたしのように。


 しかし……。


 正直なところ、レイモンドとタルサが死ぬのはかまわない。首を刎ね飛ばされようが吊られようが、わたしにはどうでもいいこと。そして、この国の未来についても、さほど興味はない。これまで、レイモンドに代わり、せいいっぱい頑張って来た。宰相や多くの貴族の不平不満は買っていたものの、国民が飢えずに生活出来るよう配慮した。とはいえ、お飾り王太子妃にできることは多くはない。国民たちの生活は最低レベルだった。だから、自分が思っている以上に国民から反感を買い、恨まれているだろう。


 無力さや情けなさを味わいつつ、それでも孤軍奮闘していた。


 それもまた、レイモンドやタルサにとっては気に入らなかったのだ。彼らからすれば、わたしはただの「ひとりよがりの偽善者」らしい。


 まぁ、そうなのかもしれないけれど。


「そう。わたしは、なにも見ず、聞かず、知らずでとおしてきたの」


 自分の愚かさを痛感せずにはいられない。


「バカだったわ。わたしがね。わたしがもっと努力すればよかった。死に戻ってから最初はそう思った。だけど、どれだけ努力しても無駄だということを、いまではわかっている。レイモンド好みの派手で媚びを売るレディになったとしても、彼は見直すどころか見向きもしなかった。そのことがよくわかったわ」


 たんなる愚痴だ。


 それでも、無性に誰かに聞いてもらいたい。思いの丈を訴えたかった。


「すべてがいまさら、だけどね。死んでから初めてわかるなんて、ほんとバカみたい。レイモンドやタルサのことは言えないわ」

「それは、おれも同じさ。殺されることになるのなら、病のふりをしてこんなところにひきこもらず、いっそ王宮から出て行けばよかった。あるいは、だれに何と言われようと、宮殿で戦えばよかった。根性と意気地のなさが、最低最悪の結果を招いたというわけだ。メイ、きみのことも守れなかったしね。おれこそが、ほんとうのバカさ」


 ふたりで同時に笑ってしまった。


 こんなところで、バカさ加減を披露しあっている自分たちにたいして、心の底から笑えた。こんなに笑ったのは、いったいいつぶりだろうか。


「メイ。これから、どうする?」


 おもいっきり笑った後、アーサーは表情をあらためて尋ねてきた。


 レイモンドは、顔だけはいい。しかし、アーサーは、レイモンドほど美しくも可愛くもない。平々凡々な顔といっていい。だけど、性格や頭の良さはまったく違う。なにより、わたしにとって彼との相性は最高にいいと断言できる。


 もっとも、アーサーには迷惑だろうけれど。


 じつのところ、レイモンドではなくアーサーの妻になれればいいのに、と子どもの頃からひそかに望んでいた。


 もちろん、それは心の奥底だけのことで、彼自身にも他のだれにも悟らせたことはない。実際、彼も含めてだれにも悟られたことはない。


「わたしが殺されるまで、あと三日なの。あなたも知っての通り、王家主催の狩猟大会の途中での事故で死んだから。アーサー、あなたはどうするつもり?」

「そうだね」


 彼は、居間代わりの部屋を歩きまわった。


 その行動は、思案中のときの彼の癖である。


「まず、何もせずに運命を受け入れる。つまり、彼らに再び殺されるということだ。それから、このままふたりで逃げ、他国に行ってやり直すかだ。おれがきみをさらって亡命したということにすれば、きみの名誉はある程度保たれる。彼らにとっては、都合がいいだろう。きみとおれを殺す手間が省けるんだから。あとは、先程きみに語った通りの未来を迎えるだろう。彼らは、かならずや自滅する。それを違う国、あたらしい人生の中で傍観する。あとは、運命を受け入れず、はたまた逃げださず、復讐を、というよりか、殺される前に殺すことだね。そうなれば、きみが殺されるまでの三日の間に準備しなければならない。あとは、そうだね。正直、思いつかないよ」

「アーサー、わたしも同意見よ。ただ違うのは、方法は三通りあっても、わたしには選択肢がひとつしかないということ」

「だろうね。そうだと思ったよ。自分で言っておきながら、おれも最初から方法は決めていた」

「じゃあ、それできまりね。じゃあ、さっそく宮殿に戻って準備をするわ。あとは、わたしに任せておいて」

「おれが動いたら怪しまれるからね。すまない」

「気にしないで」


 アーサーと握手をし、彼に背を向けた。


「メイ」


 呼ばれたので、振り返った。


「きみは、その、死んでからかわったね。強くなった。それから、しぶとくなった。それと、意地悪で陰険で怖くなった」

「まぁっ! それって、最低最悪の悪女じゃない。義姉のタルサ、そのものよ。そうね。死んでほんとうに自分に生まれかわったのかもしれないわね。だけど、それはあのふたりにたいしてだけ。アーサー、あなたにたいしてじゃない」

「よかった。それを聞いて安心したよ」

「でも、油断しないでね」


 ウインクし、彼に背を向けた。


 キングの背に跨って駆けだしてからもずっと、アーサーの笑い声が背中にあたっていた。




 レイモンドとタルサに殺される前のわたしは、自分でいうのもなんだけど控えめで気遣い抜群で思いやりがあり、聡明で機転が利いて空気が読めて、と一応王太子妃として相応しいレディを演じてきた。というか、そうしなければならないと思い込んでいた。


 一方、レイモンドは王子として相応しい人物とはかけ離れすぎている。そのことは、この王宮で、いや、このランドルフ王国の中で知らぬ者はいない。


 訂正。本人以外は知っている。本人だけは、自分こそが「キングオブ王太子」だと勘違いしているのだ。


 レイモンドは、とにかく遊び以外のことは嫌いだ。なにもしない。婚約者、あるいは妻のわたしにすべて丸投げし、自分は遊び惚けている。


 この国の状態などなにもわかってはいない。それどころか、王宮内のことさえ何も知らない。


 もっとも、それは競争する相手がいないからだろう。もしもアーサーがいまの境遇に甘んじているのでなければ、レイモンドもすこしはマシだったかもしれない。マシにならなければ、とっくの昔に廃位の上国外に追放されていただろう。


 逆にいうと、アーサーこそが王太子に、いや、国王にふさわしい人物だといえるのだ。


 そのアーサーとわたしは、レイモンドとタルサに殺された。してやられたといっていい。ふたりが生きているうちに戻ってこれたのは、意味があるのだ。


 神のいたずらか、あるいはわたしたちに与えた試練なのか……。


 どちらでもいい。やるべきことは、たったひとつなのだから。


 この機会に以前のような気弱で善良なわたしでは、この三日間とそのあとに続く処刑イベントをのりきることはできない。自分がかわらねば、また死んでしまう。というか、殺されてしまう。


 復讐に燃えるいまのわたしであれば、大胆で残酷なことだってできそうだ。思いやりの欠片もない意地悪な王太子妃になれそうだ。


 いいや。そうならなければならないのだ。


 それは、自分自身のためだけではない。アーサーのためでもある。


 決意は、どんなかたいものよりもかたい。そして、鋭く冷たい。


 というわけで、夜半、国王の寝所に赴いた。


 さいわい、国王は愚かな息子のことやわたしのことをわかってくれている。国王を味方につけることこそが、二度目の人生の運命を決定づけるのだ。


 顔見知りの近衛兵たちに挨拶をし、国王に会いたい旨を伝えた。これは、あくまでもプライベート。王太子妃が国王に望んでいるのではなく、娘として義理の父親に会いたいのだと伝えてもらった、


 はたして、すぐに国王のもとへと通された。


「やあ、メイ。わたしの可愛い義娘よ。やっと来てくれたか。待てど暮らせど来ないから、もうやって来ないのかと思っていたところだ」


 国王は、文字通り両手をひろげて歓待してくれた。というか、わたしが来るのを待っていたようだ。


「わたしたちには時間がない。とくにきみに残された時間は、わずかだ。そうじゃないかね?」


 いくら王太子妃でも、さすがに国王の寝室には入れてくれない。いまも控えの間に通され、そこで国王が待ってくれていた。じつは、これまで国王の寝室を訪れたことはなかった。国王がわたしに用事があるときやわたしが国王に用事があるときは、すべて王宮の執事長を通して行われる。普段の生活の中で、国王の顔を見ることさえほとんどない。王宮で行われる政務や行事で顔を見るくらいである。そのときも会話を交わすことはほとんどない。


 今夜ここにやって来たのは、ダメもとだった。会えない可能性の方が高いと思っていた。


 とはいえ、この時間帯は執事長はいない。夜勤の執事がいるだけだ。そういった執事や近衛兵たちなら、なんとかやりすごせるかも。などという、甘い考えでやって来たのだ。


 それが意外にあっけなく会えた。会えたばかりか、まるでわたしを待っていたかのように歓待してくれた。


「わがランドルフ王国の太陽にご挨拶申し上げます」


 国王に問われているが、まずは挨拶。乗馬服姿のためドレスの裾をあげての挨拶は出来ないので、腰を落としてそれっぽくしておいた。


「陛下、このような恰好で申し訳ございません。おっしゃる通り、わたしには時間がありませんので、このような恰好で、しかもこのような時間帯にお目通りを願った次第です」

「うむ。堅苦しい挨拶や社交辞令は抜きだ。座りたまえ」


 控えの間にある長椅子に座った。国王は、ローテーブルをはさんだ向かいに座った。


「お茶やクッキーも抜きだ。なにせ時間がないからな」

「もちろんです。ですが、すこしだけ残念です」


 国王の淹れるお茶は、絶品らしい。


 彼と目が合うと、髭面のごつい顔にやさしい笑みが浮かんだ。


「さて、さっそく本題に入ろうではないか」

「はい」


 わたしがおしかけて来たのに、すっかり彼に主導権を握られてしまった。


「メイ、アーサーは? 彼は、来なかったのか? いや。彼は、戻らなかったのか?」

「陛下……」


 国王のいまの問いで、すべてを悟った。


 彼もまた、神のいたずらか、あるいは神の試練か、アーサーやわたしと同じように死に戻ったのだ。


「陛下。王子殿下もご帰還なさっています。そして、復讐のときを待っていらっしゃいます」


「ご帰還」という表現は、ちょっと違うかもしれない。しかし、わたし的にはまさしく「ご帰還」だ。


「そうか。よかった」


 国王は、髭面をクシャクシャにした。


 ホッとしたのだろう。


「惜しむらくは、リチャードが死ぬ前に戻れなかったことだ。彼が死ぬ前に戻ることが出来たのなら、彼を救うことが出来たのだ」


 国王のその言葉で、第一王子であるリチャードもまた、レイモンドに殺されたことを知った。


「陛下、残念でなりません。いっそ第一王子殿下も戻れたらよかったですのに」

「すまなかった。もう大丈夫だ。きみとアーサーだけでも戻ってくれて、ほんとうによかった。さて、本題に入ろう。メイ。きみは、あのクズどもを葬り去るための最高の演出を考えてくれているんだろう?」

「もちろんですとも、陛下」


 これで心おきなく事が運べる。


 復讐劇は、いよいよ開幕を迎えるのだ。


 

 狩猟大会は、頻繁に行われている。それは、わが国が馬の産地であること。狩猟国家であること。これらが起因している。他には、牧畜業も盛んだ。乳製品や肉は、重要な財源となっている。


 ランドルフ王国では、王家が主催するものをはじめとしてさまざまな口実をもうけては狩猟が行われている。結婚式や葬送式にまで行われるので、そんなときには他国の人々の反応を見るのが面白い。


 ちなみに、どちらの式でも参列者は乗馬服姿。死者はともかく、新郎新婦もちょっと豪華な乗馬服を着用する。


 そういうお国柄のため、この日の王家主催の狩猟大会も、当たり前のように行われた。王家直轄の広大な森には、国の内外より有力な人物やそうでない人物が招待され、おもいおもいに馬を駆り、狩猟を楽しんだ。


 鳥獣をいたずらに殺し、生き物の命をムダに奪っている?


 たしかにそうかもしれない。しかし、けっしてムダにはしない。獲物はすべて、狩猟後にバーベキューの食材となるのだから。そして、毛は加工され、特産品として高値で売る。それもまた、貴重な財源となるのだ。


 どのような命でもけっしてムダにはしない。


 もっとも、レイモンドとタルサにとっては、国王や第一王子やアーサーやわたしの命はムダみたいだけど。


 とにかく、この日もわたしの采配で狩猟大会は滞りなく進んでいった。


 ちなみに、レイモンドとタルサは遅れてきた。病に伏せる国王の代わりとして、本来ならこの狩猟大会を采配をするはずのレイモンドは、大会の宣言をするどころか、みなが森に散らばった後にやっと現れた。


 彼は、馬ではなくタルサに乗っていたのだろう。


 そして、彼は国王になったつもりでいる。国王は、どのような場でも遅れてくるのが習慣になっている。だから、彼もその習慣にのっとってわざと遅れてきたのだ。


 まるで自分が采配しているかのような尊大な態度なのが気に入らない。


 そんなレイモンドやタルサとは関係なく、多くの参加者たちがおもいおもいに狩猟や乗馬を楽しんでいる。


 王宮には、狩猟のために王家専属の勢子と猟犬たちがいる。彼らは、犬たちを使って獲物をうまく追い込むのだ。


 レイモンドとタルサは、彼らを見かけた招待客たちからの挨拶を受けている。それはひっきりなしに続き、途切れることを知らない。しかも、招待客たちはウダウダと話を続ける。


 招待客たちは、本来わたしが立つべき場所、つまりレイモンドの隣にタルサが立っていることを、不思議に思うことはない。


 なぜなら、みんなが知っているから。


 王太子が王太子妃の義姉と不倫の関係であることを。王太子は、この晴れの舞台に王太子妃ではなく不倫相手を同道しているということを。


 招待客たちは、タルサを褒め称え、敬い、持ち上げまくっている。


 ふたりは、上機嫌である。離れた木の蔭から見ていても、ふたりが有頂天になっていることがわかる。


 が、ふたりは、そのうちイライラし始めた。


 ふたりは、いっこくもはやく見に行きたいのに違いない。


 このわたしが、彼らが仕掛けた物理的な罠にまんまとはまるところを見たいのだ。そして、わたしがあっけなく絶命する様を、「人の死ってあっけないのね」と嘲笑したいのだ。


 わたしは、そんな彼らのイライラが手に取るようにわかっている。


 わたしの頼みを聞いてくれた上位貴族や官僚たちが、レイモンドとタルサにおべっかを並べ立て、引き止めているところを嘲笑を浮かべて眺めた。


 そうこうしているうちに、遠くの方で叫び声や怒鳴り声がし始めた。


「事故だ。事故が起こったぞ」

「落馬事故だ」

「大変なことになったぞ」


 複数の叫び声が徐々に広がっていき、すぐ近くまで聞こえ始めた。


 レイモンドとタルサが顔を見合わせ、ニンマリ笑ったのがはっきりと見えた。そして、同時に肩をすくめたのもわかった。


 落馬事故の現場に居合わせることが出来ず、わたしの死に目にあえなかったことを残念だと、ふたりは暗黙のうちに慰め合ったのだろう。


「どうした、なにがあった?」


 わたしに丸投げしているとはいえ、レイモンドはこの狩猟大会の主催者。一応、それっぽく尋ねなければならない。


 彼の問いに、近衛兵の隊長が駆けつけて告げた。


「勢子の案内に従い、馬で向かった途中におおきな穴があったようで、馬がそこに落ち、騎手が落下したようです」


 隊長が報告した通りである。


 前のとき、わたしは勢子のひとりに案内され、罠が仕掛けられている場所へ連れていかれたのだ。


「そうか。もしかして、王太子妃か? それで、彼女は? 死んだのか?」

「やだ。義妹が? とんでもないことになったじゃない」


 クズで愚かなレイモンドとタルサは、どうやら大バカ者でもあったらしい。


 訂正。ふたりは、大バカ者だ。


 彼らのあまりのバカさ加減に、彼らの前に行って「バカじゃないの?」と嘲笑ってやりたい衝動をこらえねばならなかった。


「もしかしたら、だれかが義妹を殺すために穴を掘ったのよ。子どものイタズラみたいだけど、暗殺ということね。もしかして、『ひきこもり王子』の仕業じゃない?」

「ああ。そうに違いない」


 ふたりは、その場にいる全員が唖然としているのも気がつかず、「ひきこもり王子」の策謀だと騒ぎ立てている。


 そのとき、近衛兵が馬で駆けつけて来た。馬から飛び降りると、隊長に耳打ちした。


「ほら、やはり死んだんだろう? 気の毒な王太子妃。いや、元王太子妃だな。まっ、減税や福祉の充実など、生きる価値のないド平民どもの味方をしていた罰だろう。国王が崩御するのも時間の問題だからな。これからは、おれたち選ばれし者たちにとってよりよい国にしていく。みな、おれとタルサに忠誠を誓え。おれたちに従え。そうすれば、これから一生いい思いができる。忠誠を誓った者の家門は、さらに繫栄するぞ」

「お父様、聞きました? 可哀そうな義妹にかわってわたしが王太子妃、いえ、王妃になれば、お父様の爵位や地位があがるのです。お父様が、まずわたしたちに忠誠を誓うべきですわ」


 レイモンドとタルサは、もはや天に昇っているのだろう。頭の中は、お花畑に違いない。


 ムダにプライドが高く、欲まみれのお父様といえど、可愛い娘の勧めに手放しで従うわけはない。


 実際、お父様の顔は、苦虫を噛み潰したようになっている。


 さすがのお父様も、つぎからつぎへと失言を繰り返す、というか傲慢で不遜でだいそれたことをさえずるふたりにたいし、危機感を抱いているのだろう。


 その間にも、レイモンドとタルサは、友好的な笑みを浮かべて周囲の人たちに忠誠と恭順を求めている。


 そのとき、近衛隊長がわたしに視線を向けた。


 かすかに頷くと、彼もかすかに頷き返した。


「王太子殿下、盛り上がっているところ申し訳ありませんが……」

「なんだというんだ?」


 すでに国王気取りのレイモンドは、近衛隊長を睨みつけた。


「だれも死んではおりません」

「なんだと?」

「だれも死んではおりません、と申し上げました。人も馬も無事です。さらには、案内をした勢子と穴を掘った不届き者も捕らえております」

「な、なんだと?」

「それと、罠にかかったのは……」


 そのタイミングで、国王がやって来た。


 わたしも木陰から出て行く。


「ち、父上? それと、おまえは……」


 レイモンドは、国王とわたしを交互に見た。


 というか、彼はわたしの名前さえ忘れたらしい。顔だけは、かろうじて覚えているみたいだけど。


「あのような稚拙な罠を仕掛けよって……。わが愛馬ブラックストーンが良馬でなければ、大変な事故になるところだったぞ」

「ち、父上、どうしてここに?」


 レイモンドは、気の毒なほど狼狽え始めた。それはもう見事な狼狽っぷりだ。


「王家主催の狩猟大会だというのに、国王は出席してはならぬのか? このランドルフ王国では、そのようなきまりごとやしきたりがあったとは知らなんだ」


 国王は、周囲を見まわした。


 そのタイミングで、その場にいる全員が国王にたいして頭を垂れた。


 訂正。レイモンドとタルサを除いた全員が、である。


「つまらぬことで時間をムダにはしとうない。王太子、いや、レイモンド。貴様は、国王を害そうとした。それ以前に、親を殺そうとした。これが意味するところはわかるか?」

「へ? は? い、いえ、父上。なにも父上を殺そうなどとは……。おれたちは、その女を、そこにいる女に天罰を与えようとしただけで……」


 あっさり自供するなんて、レイモンドらしい。そのお茶目な愚かさに、この場にいる全員が感動しているかもしれない。


「だまれっ! すべてはあかるみにでておる。宮廷医を脅し、わたしに毒を盛ったことも含めてな。ここで、おまえの数々の罪状を読み上げるつもりはない。ヘンリー、このバカふたりを連れて行け」

「ちょっ、どこへ行くのよ。というか、陛下。わたしは、わたしは関係ありません。義妹を殺そうとしたのは、レイモンドなのです」


 レイモンドは、この期におよんで踵を返して走りだした。それに気がついたタルサは、自分は関係ないと訴え始めた。


「おっと、どこへ行くんだい、兄上?」


 逃げだそうとしたレイモンドの前に立ちはだかったのは、アーサーだ。


「どけっ! この出来損ないの忌み王子がっ!」


 逃げるのに必死のレイモンドは、拳を振りかざして殴りかかった。


「おっと、危ない」


 アーサーは、そのヒョロヒョロパンチを悠然とかわし、逆に顔面を殴った。


「ギャッ!」


 気の毒すぎるレイモンドは、尻尾を踏まれた猫のような悲鳴をあげ、地面に倒れ込んだ。


「残念だったわね。わたしを殺すはずが、自分が死ぬことになるなんて」


 ちかづいて両膝を折り、レイモンドにささやいてやった。


「お、おまえか? おまえがおれを罠にハメたんだな?」

「いやだわ。あなたがわたしを罠にハメたんでしょう? もっとも、手違いで国王陛下が罠のある場所に行っちゃったんだけど」

「あんた、妹でしょう? わたしを助けなさいよ」


 元夫婦の会話に、タルサが割り込んできた。


「元義姉さん。あなたも残念だったわね。ああ、でも、彼は譲るわ。よろこんでね。ふたり仲良く獄中で新婚生活をエンジョイして。首を落されるまでだけど。キングも『おめでとう』って言っているわ。『人の死って、ほんとうにあっけないのよ』と、いまのうちに伝えておくわ。つぎに会うのは、処刑台でしょうから」

「ブルルルルル」


 そのタイミングで、キングがおおきく鼻を鳴らした。


 だれかが笑った。すると、その笑いは伝染する。


 国王、それからアーサーも楽しそうだ。


 訂正。レイモンドとタルサは笑ってはいない。ふたりとも、なんともいえない表情でわたしを睨んでいる。それから、お父様も。


 実家は、公爵位を剥奪される。わたしは、他の公爵の養女になる予定だ。


 レイモンドとは、すでに離縁している。国王と密会した際、国王に離縁の承諾を得た。昨日、すべての手続きが終わった。


 そして、レイモンドは廃位となった。


 あたらしい王太子は、アーサー。そして、わたしは彼の婚約者となる。


 これからが大変だ。しかし、愚かでクズなレイモンドのお蔭で、わたしには経験がある。


 そのことだけは、レイモンドに感謝しよう。


『人の死って、あっけないのね』


 この教訓を教えてくれたことも。



                                (了)


 

 

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