第7話 セピアの正体と、揺れる想い
その夜、私は一人で時計塔の資料室にいた。《写し世》について、もっと知りたくて。
「こんな時間に勉強熱心だね」
振り返ると、セピアが立っていた。相変わらず足音がしない。
「セピアこそ、眠らないの?」
「僕は、眠る必要がないから」
そう言って、私の隣に座る。開いていた本を覗き込んで、セピアの表情が少し曇った。
「《アーカイブ》の記録か」
「うん。私のカメラとか、この世界の成り立ちとか、知りたくて」
セピアは少し迷ってから、口を開いた。
「ユイ、僕のこと、どう思う?」
「え?」
突然の質問に戸惑う。
「どうって……優しくて、ミステリアスで、ちょっと寂しそうで」
「寂しそう?」
「うん。いつも微笑んでるけど、なんか……一人ぼっちに見える時がある」
セピアの瞳が揺れた。
「……鋭いね」
窓の外を見る。その姿に、やっぱり影がない。
「ユイ、僕の正体、知りたい?」
心臓が跳ねた。
「もちろん知りたいけど……話したくないなら、無理しなくていいよ」
セピアが振り返る。その顔は、いつもより少し悲しそうだった。
「僕はね、『最初に消去された人間の記録』なんだ」
「最初に……?」
息を呑む。セピアは静かに続けた。
「《アーカイブ》が完成した時、システムの実験台にされた。僕の父さんに」
「お父さんが……?」
「父さんは《アーカイブ》の開発者の一人だった。完璧な記録システムを作るために、誰かの完全な記録が必要だった」
セピアが自嘲的に笑う。
「父さんなりに、僕を永遠に残したかったんだと思う。でも——」
「でも?」
「記録は記録でしかない。僕は『セピア』という少年の記録であって、本物のセピアじゃない」
だから影がない。だから足音がしない。だから、写真に写らない。
「現実世界では、僕はとっくに忘れられてる。ここでしか存在できない、ただの記録」
「そんな……」
胸が締め付けられる。
「でも」セピアが私を見る。「ユイと出会って、少し変わった」
「え?」
「君は僕を『記録』じゃなくて『セピア』として見てくれる。それが、嬉しくて」
扉が勢いよく開いた。
「セピア様! ユイ!」
ミルが飛び込んでくる。パジャマ姿で、髪はぼさぼさだ。
「また二人きりで! しかも夜中に!」
「ミル、起こしちゃってごめん」
「起きてました! なんか胸がざわざわして眠れなくて!」
ミルは私とセピアの間に割り込んで座る。
「大体、夜中に二人きりなんて不健全です!」
「別に何もしてないよ」
「何もしてなくても雰囲気が! 雰囲気がいけません!」
必死に主張するミルを見て、セピアが優しく微笑んだ。
「ミル、嫉妬してるの?」
「し、嫉妬!?」
ミルの動きが止まる。そして、自分の胸を押さえた。
「これが、嫉妬……」
ミルが自己分析を始める。
「体温上昇、視覚情報処理の偏向、セピア様とユイの距離に対する過敏反応……」
そして、小さく微笑んだ。
「なるほど、これが嫉妬という感情プロセス。非効率的で、論理的でもない。でも……」
ミルが私たちを見る。
「悪くないです。むしろ、この非効率さが心地いい」
急に大人しくなったミルを見て、私とセピアは顔を見合わせる。
「ミル?」
「分かりました」ミルが顔を上げる。「これが嫉妬という感情なんですね」
そして、真剣な表情で宣言した。
「でも、私は諦めません!」
「諦めないって、何を?」
「セピア様も、ユイも、両方大切にします!」
あれ、なんか話がずれてる?
「でも、それって……」
「欲張りだって分かってます。でも、どっちも選べません」
ミルの瞳に涙が浮かぶ。
「だって、セピア様は私にとって特別な存在だし、ユイは私に心をくれた人だし……」
なんだか、ミルの告白大会になってきた。
セピアが優しくミルの頭を撫でる。
「ミル、それでいいんだよ」
「え?」
「大切な人は、一人じゃなくてもいい」
私も頷く。
「そうだよ。みんなで仲良くすればいいじゃん」
「みんなで……」
ミルが考え込む。そして、パッと顔を上げた。
「じゃあ、三人でずっと一緒にいましょう!」
「うん」
「いいね」
その時、ミルが何かに気づいた。
「あ、そういえばセピア様、何か大事な話をしてたんじゃ……」
セピアが苦笑する。
「もう話したよ。僕の正体のこと」
「正体?」
私が簡単に説明すると、ミルの顔が真剣になった。
「セピア様が、最初の実験体……」
「うん」
「でも」ミルが力強く言う。「セピア様はセピア様です。記録でも、人間でも、関係ありません」
「ミル……」
「私だってAIです。でも、今は心がある。それと同じです」
ミルの言葉に、セピアの目が潤む。
「ありがとう、ミル」
「それに」私も付け加える。「いつか必ず、セピアを現実世界に連れて行く」
「ユイ……」
「約束する。三人で、現実世界で遊ぼう」
「不可能です」ミルが冷静に分析する。「技術的に、記録を完全に実体化するなんて——」
「不可能を可能にするのが、私たちでしょ?」
ミルが驚いた顔をしてから、にっこり笑った。
「そうですね。ユイとなら、できるかもしれません」
三人で手を重ねる。
「約束」
「約束」
「約束だよ」
深夜の資料室で交わした、小さな誓い。でも、とても大切な約束。
「ところで」ミルが思い出したように言う。「明日の予定ですが」
「また訓練?」
「いえ、記録商店街に買い物に行きましょう」
「いいね!」
「セピア様の服も買いたいです」
「え、僕の?」
「だって、いつも同じ服じゃないですか」
確かに、セピアはいつも白いシャツと黒いズボン。
「別にいいよ、僕は」
「ダメです! もっとおしゃれしてください!」
「そうそう! セピアは素材がいいんだから」
「二人して……」
でも、セピアも嬉しそうだ。
夜更けまで、三人でおしゃべりは続く。服の話、料理の話、これからの話。
セピアの正体を知っても、何も変わらない。むしろ、もっと大切に思えるようになった。
最初に消去された記録。でも、今は違う。
セピアは、私たちの大切な仲間。それ以上でも、それ以下でもない。
「そろそろ寝ようか」
「そうですね」
「うん」
部屋に戻る前、セピアが小さく呟いた。
「ありがとう、二人とも」
「何が?」
「僕を、受け入れてくれて」
「当たり前でしょ」
「そうです。感謝される理由がありません」
セピアが幸せそうに微笑む。
きっと、ずっと一人で抱え込んでいたんだろう。自分が記録でしかないという事実を。
でも、もう一人じゃない。
「おやすみ、セピア、ミル」
「おやすみなさい」
「良い夢を」
明日は、三人で買い物。セピアに似合う服を探そう。
そんな普通の計画が、とても楽しみだ。




