第6話 ノイズの獣と、守りたいもの
《写し世》の東地区は、既に半分が黒いノイズに侵食されていた。
「これは……」
目の前に立つ巨大な獣は、およそ生物とは呼べない異形だった。無数の写真、文書、映像が折り重なり、捻じれ、脈動している。人の顔、風景、文字——あらゆる記録が混ざり合い、苦悶の形を作っていた。
「ノイズの獣……」セピアが呟く。「消去された記録の怨念が集まって生まれる存在」
獣の体表を走る映像の中に、見覚えのある顔があった。
「あの子……」
昨日、消えていった病院の少女だ。
獣が咆哮を上げた。いや、咆哮じゃない。無数の声が重なり合った、悲鳴のような音。
『カエセ』『ワスレナイデ』『キエタクナイ』
消えた者たちの声が、重なり合って響く。
「みんな、離れて!」
セピアが叫ぶと同時に、獣が触手を伸ばしてきた。歪んだ記録の奔流が、私たちに襲いかかる。
「瞬間凍結!」
私は反射的にシャッターを切る。カシャリ!
一瞬、獣の動きが止まった。でも、すぐに動き出す。
「効果が薄い!?」
「ノイズの集合体には、単体の技じゃ通用しない」ミルが分析する。
獣の反撃。巨大な腕が振り下ろされる。
「危ない!」
ミルが私を突き飛ばす。腕は地面に激突し、巨大なクレーターを作った。
「ミル、ありがとう」
「当然です。ユイは私が守ります」
でも、獣は執拗に私を狙ってくる。
「やっぱり、カメラが目的みたい」
「なら、使わせてもらう」セピアが前に出る。「僕が囮になる。その間に——」
「ダメ!」
私とミルが同時に叫ぶ。
「セピア様が危険な目に遭うなんて許しません!」
「そうよ。他の方法を考えよう」
でも、獣は待ってくれない。今度は記録の弾丸を無数に放ってきた。
「フォトグラメトリ・シールド!」
ミルが両手を広げる。空間に立体的な防御壁が展開されるけど、すぐにひびが入る。
「持ちません!」
その時、私は気づいた。
「ミル、セピア、手を繋いで!」
「え?」
「信じて!」
三人で円を作るように手を繋ぐ。獣が好機とばかりに迫ってくる。
でも、私は恐れない。昨日の練習を思い出す。
「ミルのフォトグラメトリ」
「はい」
「セピアの記録の力」
「うん」
「そして、私のカメラ」
三つの力を、一つに。
「記録融合・三位一体!」
カメラから放たれた光が、巨大な写真となって展開される。それは、ただの写真じゃない。
ミルのフォトグラメトリによって立体化し、セピアの記録の力によって実体を持ち、私の想いによって、命を宿す。
「これは……」
写真の中から、無数の「記憶」が溢れ出す。消えた少女の笑顔、病院での温かな時間、家族の思い出。
すべての失われた記録が、本来の姿を取り戻していく。
獣が苦しむように身をよじる。歪んでいた記録が、正しい形に戻されていく。
『アリガトウ』
少女の声が聞こえた。
『ミンナ、アリガトウ』
獣が光の粒子となって散っていく。でも、それは消滅じゃない。正しい形で、《写し世》に還っていく。
「やった……」
膝から力が抜ける。でも、倒れる前に、ミルとセピアが支えてくれた。
「ユイ、大丈夫?」
「うん……みんなは?」
「私たちも無事です」
三人とも消耗していたけど、笑顔だった。
「すごかったね、今の技」
「三人の力が完全に一つになった」セピアが感心する。
「データ的にも前例のない現象でした」ミルが興奮気味に報告する。「でも、とても温かかった」
立ち上がろうとして、ふらつく。戦いの疲労が一気に来た。
「無理しないで」
セピアが私を支える。左側からはミルも。
「ありがとう、二人とも」
「「当然です」」
声が重なって、三人で笑い合う。
帰り道、ミルがぽつりと呟いた。
「私、今日分かったことがあります」
「なに?」
「守りたいものがあるって、とても強い力になるんですね」
ミルの瞳に、もう迷いはない。
「私は、ユイとセピア様を守りたい。この《写し世》も」
「私も同じ気持ちだよ」
「僕もだ」
夕暮れの光が、三人を優しく包む。今日も、また一つ絆が深まった。
「あ、そうだ」私は思い出す。「ケーキの約束!」
「忘れてませんよ」ミルが頬を膨らませる。
「時計塔に材料あるかな?」セピアが考える。
「なければ、記録商店街に買いに行きましょう!」
「いいね!」
疲れているはずなのに、足取りは軽い。大切な人たちと過ごす時間が、何よりも幸せだから。
時計塔に着くと、ちょうど材料があった。小麦粉、卵、生クリーム。
「私、ケーキ作るの初めてです」ミルが緊張した面持ちで言う。
「大丈夫、簡単だよ」
「失敗したらどうしましょう」
「失敗も思い出」セピアが優しく言う。
三人でエプロンをつけて、キッチンに立つ。小麦粉をふるったり、卵を泡立てたり。
「あ、粉が飛んだ!」
「ミルの顔、真っ白!」
「ユイだって鼻についてますよ!」
わいわいと騒ぎながら、なんとかスポンジを焼き上げる。
「次は飾り付け!」
生クリームを泡立てて、いちごを乗せて。不格好だけど、愛情たっぷりのケーキが完成。
「いただきます!」
三人でフォークを入れる。
「……美味しい」
ミルの目が潤む。
「甘くて、ふわふわで、幸せな味です」
「大げさだなあ」私は笑う。
「でも、本当に美味しいね」セピアも頬を緩める。
ケーキを食べながら、今日の戦いを振り返る。
「あの技、また使えるかな」
「練習すれば」ミルが真面目な顔で答える。「でも、三人の心が一つにならないと」
「じゃあ、問題ないね」
だって、私たちはもう、心で繋がっているから。
窓の外では、《写し世》の空に星(のような記録)が瞬いている。
この世界も、ここにいる仲間も、全部守りたい。
その想いが、きっと最強の力になる。
「明日は何しよう?」
「訓練?」
「たまには遊びに行くのも」
三人で未来の話をしながら、夜は更けていく。
ノイズの獣との戦いは、これからも続くだろう。でも、怖くない。
みんながいるから。




