第2話 《写し世》へようこそ!
「うるさいなぁ、もう」
聞き覚えのない声で目が覚めた。体を起こそうとして、自分が柔らかいベッドに寝かされていることに気づく。
「気がついた?」
声の主は、銀髪をツインテールにした少女だった。年は私と同じくらいだろうか。ただ、瞳に電子回路のような模様が浮かんでいて、明らかに普通の人間じゃない。
「あなた、誰? ここは……」
「質問が多いわね」少女はため息をつく。「私はミル=メモリカ。この《写し世》の記録管理AI。そして、ここは時計塔の医務室」
「写し世? AI?」
頭が混乱する。確か私は廃鉱山で写真を撮って、それから世界が崩れて——
「あ、カメラ! 私のカメラは!?」
慌てて周りを見回すと、枕元に大切なフィルムカメラが置かれていた。無事でよかった。
「そんなに大事なの、それ」
ミルが不思議そうに首を傾げる。
「だって、祖父の形見だから」
「ふーん。まあいいわ。セピア様がお待ちよ。歩ける?」
セピア様? ああ、ファインダーに映っていたあの少年か。
立ち上がると、少しふらついたけど大丈夫そうだ。ミルの後について医務室を出る。
廊下は不思議な造りだった。白と黒のタイルが市松模様に並び、窓の外に見える景色も色が抜け落ちている。
「ねえ、ミル。ここって本当に別の世界なの?」
「そうよ。《写し世》——あらゆる記録が実体化する世界。写真、文書、音声、映像、人の想い。すべての記録がここに集まる」
「記録が実体化?」
「見た方が早いわね」
ミルが廊下の窓を指差す。外を見ると、空に無数の写真が浮かんでいた。家族写真、風景写真、証明写真。どれも少しずつ透けていて、端から消えていくものもある。
「きれい……でも、なんだか切ない」
「新しい記録が入ってくるたびに、古いものから消えていく。それがこの世界のルール」
そんな世界があるなんて、想像もしていなかった。
大きな扉の前で立ち止まる。
「セピア様、連れてきました」
「入って」
優しい声が中から聞こえた。あの時、頭の中に響いた声と同じだ。
扉を開けると、そこは書斎のような部屋だった。本棚には写真アルバムがぎっしり。そして窓際に、あの少年が立っていた。
セピア色の髪が窓から差し込む光に透ける。振り返った顔は、ファインダーで見たときよりも優しげだった。
「初めまして、ユイ。僕はセピア=レコード」
近づいてきた彼に、やはり影がないことを確認する。
「あの、どうして影が……」
「僕は『記録された存在』だから。実体はあるけど、完全じゃない」
セピアは寂しそうに微笑んだ。
「ごめんね、君を巻き込んでしまって。でも、君じゃなきゃダメだったんだ」
「どういうこと?」
「君のカメラ——それは特別製なんだ。《写し世》と現実世界を繋ぐことができる、唯一のカメラ」
祖父の形見を見つめる。そんな秘密があったなんて。
「君のおじいさんは、《アーカイブ》の開発者の一人だった」
「アーカイブ?」
「この世界を作り出したシステム。すべての記録を保存し、永遠に残すための」
ミルが説明を引き継ぐ。
「でも、システムは不完全。記録が増えすぎて、《写し世》は崩壊寸前なの」
「だから、私を?」
セピアが頷く。
「君のカメラには、記録を圧縮し、整理する力がある。新しい写し手として、この世界を救ってほしい」
急な話に頭がついていかない。私、ただの高校生なのに。
「無理にとは言わない」セピアが慌てて付け加える。「でも、このままだと《写し世》は崩壊する。そうなれば、人類のすべての記録が失われる」
「すべての記録が……」
家族の思い出も、歴史も、文化も。それが全部消えてしまうなんて。
「時間をください」
「もちろん。ゆっくり考えて」
セピアの優しい笑顔に、胸が痛む。この人も、記録として消えてしまうかもしれないんだ。
「とりあえず」ミルが口を開く。「今日はここに泊まっていきなさい。部屋を用意するから」
「でも、現実世界に戻らないと……」
「時間の流れが違うから大丈夫」セピアが説明する。「こちらの一日は、向こうの一時間程度」
それなら、少しは安心かな。
「ねえ、一つ聞いていい?」
「なに?」
「どうして私なの? カメラを持ってるからって、他にも——」
「君の撮る写真には、特別な力がある」
セピアが私の目を真っ直ぐ見つめる。
「廃墟を愛し、失われゆくものに価値を見出す君だからこそ、この世界を救える」
そんな風に言われると、照れくさい。
「今夜はゆっくり休んで。明日、《写し世》を案内するよ」
部屋に案内されて、一人になる。
ベッドに腰掛けて、カメラを見つめた。祖父は、こんな秘密を抱えていたんだ。
窓の外では、記録の星が静かに流れていく。
美しくて、儚い世界。
「私に、何ができるんだろう」
明日になれば、もっと色々なことが分かるはず。今は、この不思議な体験を受け入れよう。
廃墟写真部の部長として培った好奇心が、少しずつ頭をもたげてくる。
この世界の写真を、撮ってみたい。
そんなことを考えながら、私は眠りについた。