第18話 最後の一枚
文化祭やその後の日常が過ぎ、平和な日々が続いていた。
でも、その朝は違った。
「崩壊率、92%……」
ミルの声が震えている。朝の《写し世》定期チェックで、信じられない数値が出た。
「どうして急に!?」「分かりません。でも、このままだと……」
窓の外を見ると、《写し世》の空に巨大な亀裂が走っている。今までとは比べ物にならない規模だ。
「現実世界からのデジタル記録が、異常な速度で流入してます」
ミルが必死にデータを解析する。
「1秒間に100テラバイト……いえ、もっと増えてる」「そんなの、処理できるわけない」
セピアが苦い顔をする。
「誰かが意図的に、限界を超えさせようとしてる」
私たちは急いで《アーカイブ》の中心部へ向かった。
そこで見たのは、想像を絶する光景だった。
システムが暴走している。記録の奔流が制御を失い、すべてを飲み込もうとしている。
「このままじゃ、《写し世》だけじゃなく、現実世界まで——」
その時、声が響いた。
『愚かな記録者たちよ』
空間に映像が浮かぶ。黒いローブを纏った人物。顔は見えない。
『我は《終焉の記録者》。すべての記録を、原初の無に還す者』
「また新しい敵……」『記録は罪。記憶は呪縛。すべてを忘却することこそ、真の解放』
狂った思想。でも、圧倒的な力を感じる。
『もう遅い。崩壊は止められない』
映像が消える。
「どうしよう……」
立花先輩とレンズも駆けつけてきた。美咲ちゃんも、なぜか一緒にいる。
「美咲ちゃん、どうして」「分からないけど、呼ばれた気がして……」
もう、隠している場合じゃない。
「ミル、崩壊を止める方法は?」
「一つだけ」ミルが震え声で答える。「でも、それは——」
私は理解した。誰かが、すべてを背負わなければならない。
「私がやる」
「ダメ!」
全員が反対する。でも、他に選択肢はない。
私は《アーカイブ》の中心に向かって走る。みんなが追いかけてくるけど、もう決めた。
「ユイ!」
セピアが私の手を掴む。
「一緒に行く」「ダメよ。セピアには、みんなを守ってもらわないと」
「でも——」「お願い」
涙を堪えて微笑む。
「みんなのこと、頼んだよ」
システムとの接続を始める。圧倒的な記録の奔流が、私を飲み込もうとする。
痛い。苦しい。でも——
『無駄だ』
終焉の記録者の声が響く。
『一人の力では、この崩壊は止められない』
その通りかもしれない。でも——
「一人じゃない!」
ミルの声。見ると、みんなが手を繋いで円を作っている。
「ユイは一人じゃありません!」「そうよ!」レンズも叫ぶ。「みんなで支える」立花先輩も。「私も!」美咲ちゃんまで。
そして、セピア。
「君を一人にはしない。約束したでしょ?」
みんなの力が、私に流れ込んでくる。
でも、まだ足りない。崩壊の速度に追いつかない。
その時、私は気づいた。
「そうか……」
カメラを取り出す。最後の一枚。フィルムの最後の一枚が残っていた。
「これで——」
ファインダーを覗く。そこに映るのは、必死に私を支えようとする仲間たち。
美咲ちゃんの純粋な想い。 立花先輩の強い意志。 レンズの真っ直ぐな心。 ミルの溢れる愛情。 セピアの深い優しさ。
そして、その向こうに見える無数の人々。
現実世界の友人たち。 《写し世》の記録たち。 みんな、みんなが繋がっている。
「これが、私の撮りたかった写真」
シャッターを切る。
カシャリ。
シャッターが落ちた瞬間、時間が止まった。
フィルムに焼き付けられたのは、ただの光景ではない。
ミルの涙に宿る虹色の屈折。セピアの瞳に映る永遠の優しさ。レンズの手に込められた真っ直ぐな想い。立花先輩の凛とした決意の輝き。美咲ちゃんの純粋な祈りの光。
そして——私たちを繋ぐ、目には見えない無数の糸。
それらすべてが、一枚の写真の中で結晶化していく。
「究極記録創造——インフィニット・アーカイブ!」
フィルムから溢れ出したのは、ただの光ではなかった。
それは、笑い声の粒子。涙の煌めき。手を繋いだ温もりの波動。「大好き」という言葉の振動。
すべての想いが光となって、崩壊する世界を優しく包み込んでいく。
まるで、壊れたものを抱きしめるように。失われたものに、「大丈夫」と囁くように。
『不可能だ!』
終焉の記録者が叫ぶ。
『記録は有限! 容量は有限! なぜ——』
「愛は無限だから」
私は微笑む。
「人の想いに、容量なんてない」
アナログの重みが、デジタルの奔流を受け止める。 みんなの心が、世界を支える。
『ぐあああああ!』
終焉の記録者が光に飲まれて消えていく。
崩壊が、止まった。
「やった……」
力が抜けて、倒れそうになる。でも、みんなが支えてくれた。
「ユイ!」「大丈夫?」「無茶しすぎ!」
口々に心配してくれる。温かい。
でも、気になることがある。
「ねえ、さっきの技、どうして使えたの?」
理論上、ありえない技だった。
すると、祖父の記録が現れた。
『それはね、ユイ。君が本当の記録者になったから』
「本当の記録者?」『記録とは、ただ残すことじゃない。愛すること。大切にすること。そして、分かち合うこと』
祖父が優しく微笑む。
『君は、それを理解した。だから、奇跡が起きた』
光となって、祖父は消えていく。
『これからも、大切にしなさい。記録も、記憶も、そして仲間も』
「うん……うん!」
涙が止まらない。でも、悲しい涙じゃない。
《写し世》は、完全に安定した。
それどころか、前より美しくなっている。色彩豊かで、生き生きとしている。
「すごい……」美咲ちゃんが呟く。「私、全部見えます。この世界が」
「美咲ちゃん、覚醒したんだ」ミルが説明する。「みんなの想いに触れて、《写し世》を認識できるようになったみたい」
これで、本当の仲間が一人増えた。
「改めて、よろしく」「はい! よろしくお願いします!」
時計塔のバルコニーで、みんなで夕日を眺める。
「これからどうする?」立花先輩が聞く。「変わらないよ」私は答える。「写真を撮って、記録を守って、みんなで笑って」
「シンプルでいいね」レンズが賛成する。
「でも、一つ変わったことがある」セピアが言う。
「なに?」
セピアが、最後の一枚を見せる。私が撮った、みんなの写真。
でも、そこには——
「私も写ってる!」
そう、今まで写真に写らなかったセピアが、はっきりと写っている。
「完全に、この世界の一員として認められたんだ」
「やった!」
ミルが飛びついてくる。
「これで、たくさん記念写真が撮れます!」
「そうだね」「卒業アルバムも!」「まだ先でしょ」
みんなで笑い合う。
世界は救われた。
でも、それ以上に大切なものを手に入れた。
かけがえのない仲間。
永遠の絆。
そして、無限の可能性。
「さあ、帰ろう」
「うん!」
手を繋いで、現実世界へ。
明日からも、二つの世界を行き来する日々。
でも、もう迷わない。
だって、どちらの世界にも、大切な人たちがいるから。