第一話『命令』
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あるところに
魔王城に住まう
強大な魔王が居ました。
魔界を統べるこの王に敵う者など
誰も居ません。
しかしある時
選ばれし勇者が
この世に現れたのです。
そこで魔王は
勇者の情報を得る為
「───お呼びでしょうか、魔王様」
一人の女を
偵察を送る事に決めました。
「クク…勇者の事は知っているか?」
「いいえ……男で、一人旅をしているという事しか……」
勇者は旅を始めたばかりで
魔界でもその存在を詳しく知っている者は
ほとんど居ませんでした。
「その勇者と旅を共にし情報を手に入れ、我に報告せよ」
「仰せのままに。して、その勇者の命…どのようにもできますが?」
「クク…流石は魔王軍きっての実力者、我が右腕。恐ろしい女よ」
玉座の上で魔王はニヤリと笑います。
「だが、すぐに襲うのは危険だ。厄介な力を持っている可能性もある」
「そこを見極めるのですね。流石は魔王様、感服致しました…」
「しかし情報が集まり次第殺せ。方法は任せる」
───魔王は考えます。
勇者がどのような輩であれ
旅を始めたばかりなら
幾らでも対処が出来る。
そうして
情報を集めたうえで殺す。
その際に万が一にも失敗が無いよう
強き者を刺客として送り込んだ。
あぁ…完璧だ、と。
「明日にでも勇者と合流し情報を探れ」
「ご報告はいつ行えばよろしいでしょうか」
「そうだな…一週間後に進捗を聞こう」
「はっ、仰せのままに」
「頼んだぞ。アリーシャよ」
『アリーシャ』と呼ばれた女は深く礼をして
その場を後にしました。
そうして一週間後……。
現れたアリーシャを玉座から見下ろしながら
魔王は尋ねます。
「どうだ、勇者について何か分かった事はあるか」
「はっ。奴はただの平凡な男。特殊な力があるようですが脅威ではないかと」
「本当の力を隠している可能性はないか?」
「捨てきれません。私のパーティ加入を喜んでいたようですが……人は簡単に嘘をつくものです」
「こちらを警戒している……か。良い、このまま情報を集めよ」
「魔王様。差し出がましいようですが…もう殺してしまっても良いのでは?」
「ふっ、そう急ぐな。相変わらず冷酷な奴よ」
魔王はアリーシャの容赦の無い性格を気に入っていました。
いざとなった時、頼れるのは無敵の力ではなく冷静さです。
知能も高く冷徹。残酷な事も行える素養。
まさにアリーシャは魔王の右腕にぴったりでした。
「勇者とは魔王に仇を成す者。警戒するに越した事はない」
「……無用な物言い申し訳ございませんでした」
「構わぬ。引き続き調査を進めよ、次は…そうだな、一ヶ月後にまた報告しに来い」
「仰せのままに」
一週間という短い期間とはいえ
魔王の右腕たるアリーシャが見極めた
『脅威ではない』という報告は信じるに値するものでした。
仮に勇者が特殊な力を隠していたとしても
彼女には実力でねじ伏せられるだけの力があります。
魔王はこう思いました。
一ヶ月後の報告でも何ら変わりなく
脅威ではないのなら…その時は殺してしまおう、と。
───そうして、また一ヶ月の時が過ぎ
アリーシャは再び魔王の前に現れます。
「ご苦労だったなアリーシャ。報告を聞こう」
「はっ。勇者は依然として能力も低く、脅威に値するものではありません」
「警戒は解けたか?」
「はい。間違いなく」
アリーシャは胸元の青いペンダントを掲げました。
それは前回の報告の時には無かったものでした。
「これは勇者が市場で購入し私へ贈ったものです。信頼は勝ち得ているとみて良いでしょう」
「その他にこちらを警戒している仕草は?」
「いいえ。むしろ私がパーティに加入した事で戦力が増強され、厚い信頼を置いているようです」
「クク…愚かな男よ。その相手が魔王に仕えているなど夢にも思うまい」
「えぇ、全くです。こんな安い贈り物を渡してきた際は滑稽で笑ってしまいそうでした。優しいだけの愚かな男です」
アリーシャは残忍な笑顔を浮かべます。
しかし、魔王はそこが気になりました。
「貴様、その表情を勇者に見せておらぬだろうな」
「あぁ、私の冷たい本性ならご安心を。完璧に隠し通せております」
「そうか。まぁだからこそ勇者はお前に信頼を置いているのだろうしな」
「戦闘時にも私の能力は出力を大幅に下げていますし、問題はありません」
「よし、もういいだろう。今日の晩にでも勇者を殺せ」
「仰せのままに」
これで良い、と魔王は玉座で邪悪にほほ笑みます。
多少手をかけすぎたか? と思いますが
たった1ヶ月と少しで勇者を安全に処理できたと思えば
悪くないと結論づけました。
「あぁ、貴様に一つ言う事がある」
「はい」
「そのペンダント、もう捨てて良いぞ。愚かな人間からの贈り物など、お前は忌み嫌うだろう?」
「コレ、ですか?」
「そうだ。どうせ勇者が媚を売る為にお前にやったのだろう? お前にとって汚らわしく嫌悪さえあるモノなのではないか?」
「ええ全くです。素性も知れぬ私を受け入れ、こんな安物の贈り物で感謝を示すなど滑稽過ぎて笑ってしまいます」
「そうだろう。もう勇者を殺すのだ、無理して付ける事などない」
「しかも聞いて下さい魔王様、勇者はあまり所持金が無いのに、ただいつも助けてくれるからと少ない資産の中からペンダントを購入したのです。えぇもう本当に愚か過ぎて反吐がでます。自分の食事をとらずに私を優先させますし、優先順位の概念すら分かっていないのではないでしょうか?」
「あぁそうか、まったく愚かな勇者だな」
「更にです。弱い癖して戦闘中に私を庇ったり、頭が悪いから非効率的な修行を夜中まで行っていたりと見ていてうんざりします。いつも自分の事は後回しで私を気にかけてくれる優しさだけはあるようですが、それも無用の長物というものでしょう」
「そうか。ならそのペンダントは」
「そうです、このペンダントはもう忌々しいものです。コレに触れるたび勇者の顔が思い浮かんでしまうのですから」
「……なぁ貴様」
魔王はゆっくりと口を開きます。
「さっきからかなり喋るが……ペンダント貰って嬉しかったのか?」
「いいえ、全く。ただ魔王様のお言葉を遮ってしまう程、ご報告するべきでは無かったと思います。申し訳ございません…」
「いや良い。……ただ、報告というには主観が多くなかったか?」
「申し訳ございません……それは私の能力の至らぬ所でございます」
「いやアリーシャ、お前の能力の高さを疑った事などない。ないが……まぁいい。お前は冷酷で残忍な者だ、それは変わらぬだろう」
魔王は違和感を抱えていましたが
ふと、思いあたる原因がありました。
それは疲労です。
命令とはいえ普段は見下す人間と共に居るのですから
彼女の精神は少しばかり疲弊しているのではと考えました。
「アリーシャよ、貴様の忌み嫌う無能な人間と共に居る事で疲れも溜まっておるだろう。休養を取れ」
「ご心配には及びません! まだ私はお役に立てます!」
「そうか? ならこの件は即刻終わらせるべきだな、勇者は今晩には殺せ」
疲労がたまっているとしても弱い勇者如きに遅れを取るとは
魔王も思っていませんでした。
なので早々に勇者を殺し、アリーシャに休養を取らせようとしたのです。
「……」
「どうした? やはり疲労があるのか?」
「いえ……実は、私個人の主観になるのですが、ご申告したい事が……」
「なんだ、申してみよ」
「勇者は……全く別の新しい能力を隠しているのかも知れません」
「なに!? それは本当か!?」
「はい、しかしこれは確証も裏付けもないのですが……それでもその力で私に何らかの状態異常を行使している可能性があります」
魔王は腕を組み考え込みます。
強力な力を有している者ほど、並大抵の魔法や技術なんかは通用しないという事を
魔王は良く知っていました。
ましてや魔王の右腕ともなれば相当熟達した者でないと
かすり傷さえつける事が出来ません。
アリーシャを状態異常にさせる程の力を
旅をして少ししか経っていない凡人が持っているとは考えにくく───。
「やはり……勇者の力か……」
それを可能にするには
勇者の隠された力に違いありませんでした。
「だが貴様の観察眼では勇者の力は脅威ではないのだろう?」
「はい。すぐにでも殺せる程度です、ですが……」
「貴様は何らかの状態異常に陥っている、と」
「そういう可能性があるかもしれない、という憶測です。こういった報告の場で私見……ましてや魔王様に憶測を申す事など恐れ多いのですが……」
「いや良い。大抵の凡人なれば一蹴する所だが、相手は勇者、妙な力を持っていても不思議ではない」
「いかがなさいますか」
「ふむ……一旦様子を見るか……」
魔王は考えます。
仮に勇者が新たな異能を持っていたとして
すぐさま魔王を打ち倒すほどの成長をするとは考えにくい
それよりもアリーシャの回復を優先するほうが良い、と。
「ではアリーシャよ。魔界の名医を呼ぶ、十分な検査を受けよ」
「勇者の方がいかがしますか」
「適当な理由を作りパーティを一旦離脱して来い」
「しかし勇者は私が居なければ偏った食生活になりますが」
「ん? いやそこはどうでも良い」
「畏まりました。円滑に命令を実行できず申し訳ございません…」
「勇者の力とは底知れぬものだ。貴様に責任がある訳でもあるまい」
魔王は
今一瞬変な返答があったな、と思いましたが
アリーシャがストレスで疲れているのだろうと思いました。
「貴様に1週間の休養を命ずる」
「畏まりました」
───それから1週間。
十分な休養を終え、アリーシャは再び魔王の前に現れます。
「さてアリーシャ。十分に休めただろう」
「はい……。御身の寛大なる処置に感謝致します……」
「名医の診断によると、どこも魔法による干渉もなくいたって健康のようだが……」
アリーシャは、どこか暗い影を顔に落としていました。
名医の診断は間違いはない事は明白です。
しかし目の前の彼女はどう見ても正常のようには見えません。
「魔王様……これは勇者の呪いなのでしょうか……。頭が上手く働かず、気力も薄れ、日に日に弱っていくのを感じます…」
「呪いや毒を盛られた可能性は無い、それは診断済みだ」
「では一体私はどうしてしまったのでしょう……」
「それは分からぬが……ん? そのペンダント、まだしていたのか?」
魔王はアリーシャのペンダントを指さし言いました。
「それは勇者から贈られたものだろう? 原因はソレではないのか?」
「こちらは休養中に鑑定を依頼しましたが……ただの安物、魔力すら籠っていないとの事でした……」
「であればいよいよ謎は深くなるな」
「はい……勇者も一人で大丈夫でしょうか……」
「ん? それは特に関係ないだろう?」
「そうですね……ともかく魔王様のお手を煩わせてしまい申し訳ございません……」
「こういった例は他に無い。貴様に責を問うなら、まず我の命令が誤っていた事に責がある」
「そんな事は……! 魔王様は偉大なお方です! 間違いなどあろう筈がありません!」
アリーシャは己を責めるように叫びます。
魔王は
また変な返答あったな、と思いますが
アリーシャが明らかに疲労しているので
仕方がない事かと思いました。
「魔王様。恐縮ですが、一つ私からよろしいでしょうか」
「構わぬ。申してみよ」
「私にもう一度、勇者殺しの命令を与えて下さい」
アリーシャの瞳はまっすぐに魔王を見つめていました。
「私は不甲斐なく……このような醜態を魔王様に晒してしまいましたが……それでも与えられた命令を遂げたいのです」
そこには大きな『覚悟』がありました。
名誉挽回……いいえ、もっと大きい意志の為に戦う意思がありました。
魔王は勇者の件からアリーシャを外そうと考えていましたが
それを見て、彼女の覚悟を受け入れる事にしました。
「……貴様にも魔王の右腕としてのプライドもあるだろう。勇者の力にも屈せぬの魂、良いものだ」
「身に余るお言葉です…! 早く私が勇者の隣に居なければ……!」
「クク……そこまで殺したいか……」
「あの愚か者は食生活も偏っているに違いありません、生活習慣もきっと乱れています! 愚かですから!」
「うん? まぁ愚者とは目の前の享楽しか見えておらんからな」
「次こそは必ずや、勇者を射止めてみせましょう!」
魔王は
射止める? 仕留めるの間違いではないか?
と思いましたが、そんな揚げ足を取って
部下のやる気をそぐのは意味が無いと思い、黙りました。
「良いか、勇者は何らかの特殊な能力を有している。その能力が完全に開花するまでに殺せ」
「はい。すぐにでも」
「そしてその身に何かあれば撤退を許可する。まだ貴様は失うには惜しいからな」
「慈悲深きお言葉……感謝致します。その御心に叶うよう全力を尽くします……!」
「行け。良い報せを待っておるぞ」
「はっ!!」
そして……なんと『1時間後』
魔王の前にアリーシャが現れました!
やはり流石だと魔王は玉座から笑います。
原因不明の勇者の能力を前にして苦しみながらも
アリーシャは勇者を始末してきたのだと。
「此度の働き、ご苦労であった。何か褒美を取らせよう」
「……」
「どうした?」
「勇者が……勇者が……!」
アリーシャは身体を震わせています。
魔王は嫌な予感がしました。
「まさか……勇者の力が開花したのか?」
やはり勇者は特殊な力を隠しており
アリーシャに深手を負わせたと、魔王は思考します。
「いいえ違います……」
違いました。
「私は……怒っているのです」
いつも冷静沈着、冷酷無慈悲なアリーシャが怒りに身体を震わせている。
それはただ事ではありませんでした。
一体何があったのか魔王には分かりません。
「まさか……勇者が惨たらしくお前の部下を殺していたのか?」
アリーシャはいくつか部下を従えていました。
思わず怒りに我を忘れるほど
部下が尊厳もなく殺されたのだろうと、魔王は思考します。
「いいえ違います……」
違いました。
もうなーんにも分かりません。
「なら何故だ。何を怒っておるのだ」
「勇者が……ッ!!」
敵意を剥き出しにして、アリーシャは叫びます。
「勇者が私以外とパーティを組んでいました!!!!!!!」
魔王は一瞬、思考が止まります。
だから……なに?
の感情が、状況を整理しようとするのを邪魔しました。
「ほんとに許せない……何、なんですか⁉ すぐパーティ組んだって……もうなに、もう!!」
「落ち着け、なぜ怒る必要がある」
「最低ですよこれは! 本当に反吐がでますよね!」
「だから落ち着け。なにをそう怒るのだ」
「意味分からないです……もう人間なんて……はぁなんでもう……嫌い…」
感情ばかりで建設的な会話が出来ないアリーシャに
魔王は少しイラっとしました。
「貴様に何かあったのは理解する。辛かったのだろう」
「はい……そうなんです……」
しかし感情論で怒る相手に建設的な意見を求めても
泥沼になる事を魔王は知っていたので
アリーシャの感情にまずは寄り添う所から会話を始めました。
「私……どうでも良かったんですかね……」
「そのような事は無い。貴様は良くやっている」
「勇者って女なら誰でも良いんでしょうか……もう私辛くて……どうしたらいいのか……」
「それは辛かったな」
「いや今は共感じゃなくて、アドバイスが欲しいんですけど……」
殴ろうかなと魔王は思いました。
しかし暴力なんて話の解決に繋がらない事を魔王は知っていたので
根気よく話を聞くことにしました。
「一体何があった? 話してみよ」
「私……勇者に所用でしばらくパーティ離れると伝えてて……」
「うむうむ」
「ほら勇者ってちょっと抜けてるトコあって、一人じゃ危なかっかしいから誰かと組むのは仕方なくと思うんですけど」
「うむうむ」
「でも男の冒険者とかも候補に居るのに……そのパーティに居た子、女でぇ……」
「うむうむ」
「いや別にいいんですよ、誰とパーティ組もうが。でもなんか私、要らないのかなって苦しくなってぇ……」
「うむうむ」
「さっきから『うむうむ』って……ちゃんと聞いてますか!?」
「聞いておる聞いておる」
「それでですね……? 私の居ない間にパーティ組んでて……誰でもいいんだってぇ……」
魔王はアリーシャの会話がループし始めている事に
気が付いていました。
なのでこの会話が負の愚痴ウロボロスと化す前に
魔王は話題を変えました。
「時にアリーシャよ。勇者は殺せるか?」
「えぇ必ず殺せます。あのような愚者、生かしておく価値も無いでしょう」
アリーシャは冷徹な笑みを浮かべます。
嘘をついているようにも見えませんが
普段のアリーシャとは明らかに様子が違っています。
そこで魔王は少し試してみる事にしました。
「我の命令は覚えているか?」
「勿論でございます。必ずや勇者を殺してみせましょう」
「因みに体調はどうだ? 怒りに燃え……そして悲しむ程には回復しているようだが」
「そういえば……体調は戻っています。これも魔王様にお慈悲として休養を頂いたお陰です、ありがとうございます」
「そしてこれは邪推ではあると思うのだが」
「魔王様のお考えに間違いなどございません」
「勇者に惚れているのではないか?」
「それだけは間違っております」
アリーシャの顔から感情が消えました。
どこまでも冷たく無慈悲な眼差しは確かにいつもの彼女でした。
魔王は内心、安堵しました。
「べ、別にあんな愚か者なんて、好きじゃないんですからね!」
ちょっとヤバいかもしれないと魔王は思いました。
言語化がうまく出来ませんが
恋が始まってそうな予感がしました。
「再三確認するが……貴様は勇者に恋などしておらぬのだな?」
「恋だなんて汚らわしい……ッ!! 誰があのような者と!」
「ではなぜ勇者が他の者とパーティを組んだだけで怒るのだ?」
「あまりに愚かだからです。実力がある者が少しパーティを離れただけで、弱者とパーティを組むのは全滅の危険があるのにも関わらずそのような事も分からない。更に世話になった者が短期間でも居なくなったらすぐに別の者と組むのも情というのを感じられませんし、どうせそのメンバーは私より弱いのですから無意味な行為です」
ハリボテのような、穴のあいた返答でした。
しかし魔王はアリーシャを論破したいのではなく
その本心を確認したいだけなのでスルーしました。
「貴様は勇者に恋をしていない。それは間違いないな?」
「間違いありません」
「では勇者を殺せるな?」
「特殊な能力があるようですが、私一人居れば完遂出来るでしょう」
アリーシャは嘘をついているようには見えませんでしたが
依然として魔王には疑念が残ります。
なので魔王は一手、打つことにしたのでした。
「貴様は今、勇者が何処に居るか分かるな?」
「はい。奴らは王都から離れた街に拠点を置いております、すぐに対応可能です」
「ではこれから貴様はまた勇者の元に戻れ」
「畏まりました」
「だが今は勇者の特殊な能力の開花……つまり我らの脅威となるものがある可能性も捨てきれぬ」
「情報を集め、何かあればすぐに報告に参ります」
「いや……すぐで無くとも良い。しばらくは『いつも通りに』過ごすのだ。出来るな?」
「はっ、必ずや!!」
これは魔王による仮初の命令でした。
アリーシャの心が勇者に傾いている可能性があるのなら
それを確かめなければなりません。
しばらく報告をしなくとも良い、その言葉は
アリーシャに心の油断を誘います。
「───まさか。我が直接赴くと思うまい」
アリーシャが勇者パーティに戻って三日後。
魔王は部下に勇者の滞在する街の位置を調べさせ
魔法で近くまで移動しました。
「本当にあやつが勇者に惚れているのか、それを見極めねばな」
魔王は今、旅人の恰好をした青年の姿に魔法で変わっていて
自身の魔力も抑えていました。
まさに完璧な変装。
強大な魔王ともなればこれくらい簡単な事でした。
「さて、あやつは今どこに居るか……」
いかにアリーシャといえど
かの魔王が直接、しかも予想だにしない瞬間に来るとは
到底思わない事を魔王は確信していました。
なので後は勇者一行を探し監視をするだけ……。
「だが……このような人ごみでは見つけずらいな……」
街に入った魔王は人の多さにうんざりしました。
魔法でアリーシャの位置を特定できれば良かったのですが
妙な真似をして変に警戒されたくもありません。
「仕方ない……酒場にでも行って地道に情報を集めるか……」
街の酒場に行けば
その街の情報がある程度流れているものです。
面倒でしたが確実ではあるので
魔王は酒場を探す事にしました。
すると……。
「おい兄ちゃん、ちょっといいか?」
偶然通りかかった路地裏で
ガラの悪そうな大柄の男に詰め寄られました。
手にはナイフを持っており
明らかにこちらの金品が目当てのようでした。
「なぁ分かるだろ? 傷つきたくなきゃ金出しな」
魔王は邪魔をしてくるこの男を
殺すかどうか悩みました。
この程度の人間であれば魔法も必要ありません
素手で殺せます。
また、人通りも無く薄暗い場所なので
殺してもバレず、すぐに騒がれる事も無いでしょう。
「なんだ? ビビッて声も出ねぇのか?」
ただ……汚い恰好をしているので
普通に触りたくありませんでした。
お風呂キャンセルを一ヶ月単位で実行してそうな男です。
きっと触ったらベタベタしますし変な臭いがします。
しかし邪魔なのものは邪魔なので
隙をついて逃げようと体勢を低くした、その瞬間。
「───なんて醜い豚」
場の空気が一瞬にして変わる気配がしました。
魔王も男もその声の主に視線を向けます。
「養豚場から逃げ出さない豚こそが、最も良い豚でしょう? 早く戻りなさい」
「なんだとこの女ァ!!!」
男は汚らしく怒号をあげ、その声の主。
こちらを見下したように佇む女に向かっていきます。
「今すぐ後悔させ───て」
そのナイフが地面に落ちたのと
男の腕が人体の可動域ではない方向に曲がったのは同時でした。
男は痛みでその場にうずくります。
「い、痛───」
そうして痛みに叫ぶ言葉も時間も無いまま
男は女に頭を思い切り蹴られ、倒れてしまいました。
あまりに鮮やかで慈悲も無い一撃。
魔王はこの動きに覚えがあります。
アリーシャです。
「さ、貴方も手伝って。こういう輩を縄で縛って衛兵に突き出せば金になるの。死体は取り扱わないらしいけど、コレ気絶してるだけだから」
そういった発言の一つ一つが冷たく、そして感情も感じません。
男の腕を折った事も、事務的に処理する姿も見間違える筈がありません。
魔王は図らずともアリーシャに接触できたのです。
「あ、ありがとうございます。助けてくれて……」
悪人に襲われた旅人の演技をする魔王は
そういえば
勇者がアリーシャの隣に居ない事に気付きます。
今は離れて行動をしているのか
それとも近くに居るのか
地面に倒れた男を見ながら
そんな事を考えていると……。
「あれ、ここで何してるの?」
と、不意に声が聞こえました。
顔を上げるとそこには
黒髪の平凡そうな青年が居ました。
革で出来た装備で身を固めた彼は
よくいる新米冒険者のようでした。
「って、ちょっ、この男なに!?」
青年は地面に倒れた男を見て驚きます。
その驚き方から見ても
どこにでも居る素朴な人間に見えます。
ですがそんな彼こそが
まさに勇者なのだと、魔王は確信しました。
それは直感で感じたのではなく。
ましてや魔力で感じ取ったのでもなく。
『勇者』と名札が付いていた訳でもありません。
「勇者ぁ~♡♡ 怖かった~♡♡♡」
とんでもない萌え声で勇者と呼びながら
アリーシャが甘えるように彼に抱き着いたからでした。
魔王は頭が一瞬真っ白になりました。
「急に悪い人が襲ってきてぇ~♡♡♡」
「え!? 怪我は無い!?」
「うん大丈夫~♡♡ この旅人さんが助けてくれたの~♡♡♡」
「そうなんですか!? 旅人さん!」
「あっ、そ、っすね……」
魔王は思わず
居心地の悪さを感じている新人バイトみたいな反応をしてしまいます。
それほどまでに常軌を逸脱した光景でした。
冷酷にして無情。
情け容赦の無い残忍な魔王の右腕の姿は
もう、どこにもなかったのです。
「とりあえずこの倒れてる人を運ばないと……その後にお礼をさせて下さい! 俺、何かご馳走しますよ!」
「アッ、スゥー……」
魔王は乾いた新人バイトの返事をして
目の前の地獄絵図。変わり果てたアリーシャの姿を、ただ見ていました。
見る事しか、出来なかったのです。
第二話につづく。