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マイナス41日へ

これは、とある人から聞いた物語。


その語り部と内容に関する、記録の一篇。


あなたも共にこの場へ居合わせて、耳を傾けているかのように読んでくださったら、幸いである。

 へええ、こーちゃん知ってた?

 満月ってマイナス12.7等星で、太陽ってマイナス26.7等星。1等星が一番明るいわけじゃなくて、あくまでベース。これより明るいものはゼロを通り過ぎてマイナスへ入っていくとか、もう何でもありというか屁理屈じみたヤケクソ感を覚えない?

 中学生にあがる前後だったかなあ。負の数を算数なり数学なりで習ったとき、違和感が半端なかったんだ。物量的に存在し得ない負の数、それが数値としてなら表せるというのが、不思議に感じられたんだよ。


 数字の魔力って、不思議な強さがあると思う。

 数で表された以上、それがウソの値だろうがホントの値だろうが事実として認識され、僕たちは頭の中で様々な計算や想像をはじめてしまう。もしかすると、受けたインパクトのまま印象を操作され、思いもよらないところまで転がされてしまうかもしれない。

 ちょっと前にいとこが体験したことらしいんだけど、聞いてみないか?


 いとこにとって、連休というのは切望するものであると同時に、来てほしくないものだという。

 休みに入る前は誰だってやる気が出てくるもんだ。これさえ終わらせれば、あとはのびのびと楽ができるぞ、と思えば気力の最後の残りカスを振り絞る余地が出てくる。

 しかし、いざ休みが終わるとなれば気力はぐんぐんに萎えてくるもの。それが自分の好きなことに打ち込んでいる最中だとしても、ふとしたスキに明日のことを考える。

 仕事、学校……やらなきゃいけないもの、いかなきゃいけない場所がはっきりしているなら、なおさらだ。強制される行き場所で、何が待ち受けているかもおおよそ予想がついてしまう。

 テーブルいっぱいに料理を並べられると、人間はたちまち満腹中枢を刺激され、食欲が減衰してしまうと聞くが、休み終わりも似たようなもの。

 こなさなきゃいけないことが、想像のもと次々と脳内のテーブルへ並べられ、立ち向かおうとする意欲をそいでくる。へたに見通しがついてしまうだけに。


 ――ああ、明日にでも仕事場なり学校なりに、隕石でも落ちてこないかなあ。


 大勢が一度は考えたであろうことを、学生時代のいとこも感じることしばしばだった。

 だから、夏休みを迎える当初こそうきうきしていたものの、その終わりを迎える瞬間も考え、どうにか気持ちをあげていられないかと思ったそうだ。

 そうして、自分の部屋の壁にかかげられるカレンダーとにらめっこし、ささいな抵抗を試みたのだという。


 その方法とは、カレンダー全体をカバーする画用紙を張り付け、そこにマイナスを刻んでいくことだった。

 時間は常に前へ進む。休み初日は起きたら一日目、一晩明ければ二日目、二晩過ごせば三日目……と無情に時は刻まれていくもの。

 しかし、それを画用紙でもって反転させる。一日目でマイナス1、二日目でマイナス2、三日目でマイナス3……時と共に後戻りしていくような流れになる。


 ――休みは終わらない。終わらないと思ったときから休みに入るんだ。


 いとこにとって、心持ちの問題だった。

 いざ時間が過ぎ去っていっても、このカレンダーある限り自分はこの長い休みの中へ居続けることができる、と。


 その年の休みは、41日間あったという。

 いとこは心を鬼にして、真っ先に夏休みの課題へ取り掛かったらしい。

 これを後に回し、苦悶の声をあげるようになるケースはひとつやふたつじゃない。いとこ自身にも経験があることだった。

 幸いにも日差しがおとなしい日が続き、昼間もバテバテになるほどではない。できる限り早く、多くといとこはずんずん前へ進み、1週間がすぎるころにはドリル系の問題はすべて完了。時間のかかる研究系も、7月いっぱいで終わるメドがたっていたそうだ。

 それでも休みの時間が過ぎていってしまうことに、違いない。


 ――休みは終わらない。


 かねてよりの計画通り、このためだけに買ってきた画用紙をめくり、一枚ずつはぎ取っては、マイナス〇と大きく数字を入れていくいとこ。

 まとめては作らない。作り置きは自分の怠惰さを遠回しに突き付けられるようで、ちょっと腹が立ってくる。一日、一日ごとに手間をかけることこそ、自らの情熱のあらわれ。

 所要時間もさほど多くないのが救いでもあった。宿題を終えて、8月に入ってもいとこは次々と画用紙を張り付け続けていった。

 マイナスは10を刻み、20を刻み、本来の日付を覆い隠しながら、いとこの住む部屋を見下ろしている。


 そして迎える、マイナス41日。夏休み最後の日。

 この日、いつもなら夜に貼る「マイナス表示」を今朝早くに用意し、一日をたっぷり過ごす算段だったという。

 気持ちの底では今日が最後。でも表示の上では今日が最初。まだ休みに入ったばかりと思い、この日もたっぷり楽しもう……と思っていたいとこなのだけど。


 朝起きて気づいたのは、自分の黒く日焼けしたはずの肌が、すっかり白くなっていたことだった。

 昨日までは黒々としていたのが、わずか一晩で漂白されてしまっている。

 そのうえ、朝から吐き気が止まらずにトイレへ立てこもることになってしまう。朝起きたばかりとなれば、胃の中は空っぽ。リバースするとしても、己が胃液のみのはず。

 なのに、形の残ったものばかりが、便座の中へ落ち込んでいく。しかも、いずれも昨日食べてはいないものだたくさんだ。詰まらないように、何度も水を流すことになってしまい、籠城は時間単位の長いものになってしまったとか。

 どうにか落ち着いたいとこが振り返ると、あのリバースしてしまったもの。あれは休みに入る前の41日前に食した献立だと気が付いたようだ。

 肌の状態も同じ。旅行で日焼けをする以前へ戻ってしまったということ。


 ――自分の身体も、休み前に戻りたいのだなあ……。


 と、のんきに考えていられたのも午前中だけ。

 午後になり、ふと確認しようと宿題のドリルをめくったところ、あれほど労力を費やした筆記の痕跡はあとかたもなくなっていたそうだ。

 あのカレンダーの見守る、ひとりとその周りだけがマイナス41日目に置き去りになっても救われない、といとこはその晩地獄を見たのだそうな。

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