柱時計の記憶
カチ、コチ、カチ、コチ。
私は70年間、この家で時を刻み続けてきた。振り子が左右に揺れるたび、この家の歴史を刻んできた。幸せな時も、寂しい時も、すべて見届けてきた古い柱時計。
今日は火曜日、14時27分。
郵便配達のバイクの音が聞こえる。玄関先での挨拶。「はい、お便りです」という声。そして...
「まあ」
時子おばあちゃんの小さな歓声が響く。私の文字盤に映る彼女の後ろ姿が、少し震えているように見える。クリーム色の封筒を両手で大切そうに持っている。
カチ、コチ。
私は覚えている。あの赤い柄の着物を着た小さな女の子が、この家に初めて来た日のことを。時子おばあちゃんの一人娘、明美さんの子供、美咲ちゃん。当時彼女は3歳。私の大きな姿に驚いて、おばあちゃんの着物の陰に隠れた。それから12年。
カチ、コチ。
時子おばあちゃんは応接間のソファに腰掛け、ゆっくりと封筒を開ける。手元が少し震えている。年を重ねた指先が、丁寧に糊付けを剥がしていく。ハートのシールが貼られた封筒の端を、そっと切り開く。
中から出てきたのは、カラフルな誕生日カード。美咲ちゃんらしい、明るい色使い。
カチ、コチ。
「おばあちゃんへ」という文字が、夕陽に照らされて輝く。時子おばあちゃんは老眼鏡を掛け直し、一文字一文字、丁寧に読み進めていく。
私の振り子が12回往復する間、彼女は動かなかった。
「いつもありがとう。私の大好きなおばあちゃんへ」
「中学の家庭科で、おばあちゃんに教えてもらったケーキを作りました」
「少し焦げちゃったけど、みんなに美味しいって言ってもらえました」
「今度の休みに、一緒にまた作りたいな」
時子おばあちゃんの頬を、一筋の涙が伝う。
カチ、コチ。
私は思い出す。この家のキッチンで、時子おばあちゃんが美咲ちゃんにケーキの作り方を教えていた日のことを。小麦粉を床一面に撒き散らしながらも、二人で笑っていた。あれは去年の夏休み。私の時報が、生地を焼く時間を教えていた。
カチ、コチ。
時子おばあちゃんは立ち上がり、食器棚からアルバムを取り出す。その横を通り過ぎる時、いつものように私に微笑みかける。アルバムの中には、美咲ちゃんの成長の記録。私もその多くの瞬間の目撃者だ。
15時を告げるゴーンという音が、部屋に響く。時子おばあちゃんは手紙を大切にアルバムに挟み、また一つ、思い出を収めた。
カチ、コチ。
夕暮れが近づき、部屋の影が長くなってきた。時子おばあちゃんは電話を手に取る。
「もしもし、明美? 美咲からね、可愛い手紙が来たの...」
母親に電話をする時の、おばあちゃんの声は いつも少し若返る。
カチ、コチ。
私はこれからも時を刻み続ける。この家の喜びも、寂しさも、すべてを見守りながら。美咲ちゃんが次に訪れる日まで。その時は彼女も、きっと少し大きくなっているだろう。でも、おばあちゃんへの想いは、きっと変わらないはず。
そう信じながら、私は静かに時を刻み続ける。
カチ、コチ、カチ、コチ。
窓の外では、夕焼けが美しい。明日もまた、新しい一日が始まる。この家の柱時計として、私は永遠に、この家族の時を刻み続けるのだ。