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 コルネオン公爵の行方はいまだに分からないままだが、時間というものは待ってくれない。

 ラース侯爵家も表面的にはいつもの日常に戻りつつあった。穏やかな午後。執務室内にはペンの音だけがサラサラと流れている。

 

 エリスの仕事(殆どラース侯爵から押し付けられたものだ)を手伝いながら、ダフとラブはこっそりと欠伸を噛み殺していた。昼食の後の静かな時間。集中しなくてはと思うのだが、どうしてもこの時間帯は眠気に襲われる。しかし、うっかり船を漕ごうものなら、向かいの席に座る(魔王)から鉄拳制裁が飛んでくるので必死に目をこじ開けるしかない。まだまだ遠い休憩時間まで、ダフとラブは甘美な眠気の魅力と戦い続けていた。


 そんなダフとラブにとって、その人の来訪は目を覚ますよい契機だったかもしれない。双子にしてみれば、もっと穏やかな契機が良いと文句を言われそうだが。


 バチバチバチッと空間が軋む様な音と共に、禍々しい魔力の塊が執務室内に侵入する。王宮など比にならないほど堅牢な防御陣が(狂犬執事によって勝手に)敷かれているラース侯爵家に入り込むなど、どれほど手練れの刺客かと、ハル、ダフ、ラブは緊張したのだが。


「あら? お兄様?」


 エリスののんびりした呼び掛けに、ギョッと侵入者を見直した。


 そこには確かに、エリスの兄、ハリー・ラースの姿があった。どこにでもいそうな、エリスとよく似た色合いの男。だが、ハリーから漏れ出る禍々しいまでの魔力と、痩せて更に鋭くなった人相が、どう見てもカタギの人間には見えなかった。どちらかと言うと、禍々しい人外の迫力がある。


 ダフとラブは「ひえぇぇ」と声にならない悲鳴を上げた。特に優秀な魔術師であるラブなどは、魔力の圧に当てられ、気を抜くと意識を失いそうだった。


「随分とお久しぶりですこと。最近は領地に篭りっきりで、こちらの事はお兄様の記憶に残っていないものだと思っていましたわ」


 エリスは嫋やかに微笑む。しかしその目は一切笑っていない。領地に引っ込んですぐの頃は、気まぐれにフラリと現れてはササっとラース家の仕事を片付けていたハリーだったが、ここ数ヶ月は全く姿を見せなかった。領地の執事からの報告によると、領地にいる伯父と2人で熱心にフィールドワークに取り組んでいるらしい。


 エリスに次期侯爵の地位を押し付けた時、ハリーはできる限り侯爵家の仕事を手伝うと約束していた。その舌の根も乾かぬうちに、この有様だ。エリスが不機嫌になるのも無理はなかった。


 だがハリーは、そんなエリスの嫌味も耳には入っていない様で、ギロギロと周囲を見回し、ガックリと肩を落とす。


「やはり、ここにもいないか……。ああ、もう他に思いつく場所などない」


 シュルシュルと禍々しい魔力がハリーの中に吸い込まれ、執務室を覆っていた圧が消え失せる。ハリーは力無く床に膝をついて、項垂れてしまった。

 これまでおよそ人間らしい感情を見せたことがないハリーの落ち込む姿に、ダフとラブは少なからず動揺した。見てはいけないものを見てしまった様で、どうすべきかとエリスの判断を仰ごうと思ったのだが。


 部屋の中に再び静寂が戻る。否、サラサラとペンの音だけが流れている。


「エリスお嬢様……」


「……お、お嬢」


 目の前で項垂れるハリーを完全に無視して、再び仕事を始めたエリスに、ダフとラブは堪らず声をかけた。よくこんな目立つ異物を無視できるなと、双子は逆に感心してしまった。それだけエリスが怒っているということだろうか。

 そしてエリスに忠実すぎる愚兄も、エリスに倣って何事もなかった様に仕事を再開していた。こちらは通常運転である。


「あらどうしたの? ダフ、ラブ。そろそろ休憩にしたい?」


 躊躇いがちな双子の呼び掛けに、エリスは慈悲のこもった笑みを浮かる。その優しさは心底嬉しかったが、1ミリで良いのでハリーに向けてあげて欲しい。


 ハルがスッと立ち上がり、お茶の準備のために執務室を後にする。その際、器用にハリーを避けていた。実は本当にハリーの姿が見えていないのかもしれないと双子が思ってしまうぐらい、見事な無視っぷりだ。とても主家の息子に対する態度とは思えない。


 エリスはさっさとソファに移動してしまったが、流石にダフとラブにはハリーをいない者として扱う勇気はなかったので、蹲っているハリーを両側から抱えて、ヨイショヨイショとソファに運んだ。背が高い分、地味に重かった。


 ずーんと暗い雰囲気が執務室内に漂う。その発生源であるハリーに、エリスは仕方なく話しかけた。このままだと鬱陶しいからだ。


「それでお兄様、なにがあったんですか?」


「メルが居なくなった」


「メル様が?」


 ハリーの思いがけない言葉に、エリスは目を瞬かせた。


「伯父上とのフィールドワークから帰ったら、領地の屋敷にいなかった。使用人たちにも黙って居なくなってしまったんだ」


 メル・レノール。ハリーの婚約者であるレノール家の次女だ。とても優秀な魔法薬師だが、日常生活に支障をきたすほどの人見知りで、家族以外の前には滅多に姿を現すこともない。婚約者であるハリーや幼い頃からの知己であるエリスは流石に慣れたようだが、未だにハルや双子がいる場ではガチガチに固まってしまう。

 そんなメルだが、ハリーがラース侯爵家の後継を辞退するために病を装った時には、甲斐甲斐しくハリーの世話をしていた。例えハリーがラース家の後継でなくても、ハリーと一緒に領地に行くことを快く了承してくれた、心根の優しい女性である。

 それが、『婚約を破棄して欲しい』という簡素な書置きを残して、忽然と消えてしまったというのだ。


「まあお兄様。とうとうメル様に愛想を尽かされましたの? だから囲い込み過ぎるのは良くないと申しましたのに」


「囲い込んでなどいない」


「メル様の人見知りをこれ幸いと、幼い頃から他人の目に触れないようにしっかりがっちり囲い込んでいたではありませんか。可哀そうなメル様。お兄様のせいで人見知りが改善するどころか、他人に接触しなさ過ぎて拍車がかかってしまわれたわ」


「メルが望まなかったからだ。俺はメルの願いを叶えただけだ」


「その結果逃げられているではありませんか」


 メルは昔から、内気で大人しく人と話すのが苦手な少女だった。それでも、貴族家の令嬢として最低限の社交は必要だったというのに。メルが魔法薬師としての才能に恵まれているのをいいことに、ハリーは魔法薬師に最高の環境を準備し、研究に没頭させることで外との交流を絶たせてしまったのだ。これを確信犯と言わずして、なんといおう。

 エリスは何度もハリーに苦言を呈したのだ。このままでは将来、メルがラース侯爵夫人になった時に苦労すると。メルの為に、囲い込みを緩めろと。しかしハリーはメルが侯爵夫人にならなくてもいいように()()()()()整えてしまった。


「それで、メル様の行方に心当たりは?」


 人見知りのメルが頼れる場所なんて、それほど多くはない。まずはメルの実家であるレノール家。しかしハリーから逃げ出すのに、生家を頼るとは考えにくい。メルの父親であるレノール伯爵は、人見知りで社交ができないメルを疎んじていた。メルが魔法薬師としてどれだけ名を挙げようとも、男性を差し置いて目立つなど貴族の令嬢として相応しくないと、その思考は極めて時代遅れだ。ハリーに嫁げなければメルには他に貰い手などない信じ込んでいるので、例えメルが泣いてハリーと婚約破棄を願っても、許しはしないだろう。

 それに、魔法薬師として身を立てていても、メルは薬師仲間と殆ど交流したこともなく、魔法薬師ギルドとのやり取りすらハリーを介していたため、その方面でも頼れる相手などいないだろう。


「思いつくところは全て探した。だが、見つからないのだ」


 ハリーは髪を掻きむしって、ぶつぶつと何か呟いている。目の焦点は合っていないのにギラギラしているし、目の下は隈で真っ黒、顔色は青白い。服は何故か擦り切れたようにボロボロ。いつも小奇麗で泰然としているハリーしか知らない双子は、そんなハリーが心底恐ろしかった。お化けみたいだ。


「エリス。万が一ここにメルが来たらこれを展開してくれ」


 ハリーがエリスに紙きれを差し出す。


「……なんですか、この禍々しい魔術陣は」


 エリスが嫌そうに紙切れを摘まんで、目の前に翳す。

 魔術師であるラブは、たまらず「ひぃっ」と声を上げた。ラブの目には、その紙きれから黒々とした魔力が浮き上がって見えた。紙切れがゆらゆらと陽炎の様に歪んで見える。


「これは、指定した魂に追跡魔術を刻み込む魔術陣だ。一度展開したら、絶対に解除出来ないようになっている」


 どこか歪んだ笑みを浮かべ、ハリーは淡々と告げる。


「もちろんメルの魂を座標にしている」


「邪法のお手伝いは出来かねます」


「追跡魔術を刻んだら、次はこっちの魔術陣だ。対象の魂を術者の魂と結びつける魔術陣。これを展開すれば、死んだとしてもメルと離れず済む」


「お兄様。人間に戻ってくださいな」 


 人としてヤバイ発言を繰り返す実の兄に、エリスは呆れる。双子はすっかり怯え切って、ハリーからじりじりと距離を取っていた。


「エリス。メルを見かけたら、必ず魔術陣を展開してくれ。頼んだぞ」


 そうして、来た時同様、唐突にハリーの姿は掻き消えた。あてもなくメルを探しに出かけたのだろうか。


「追跡の魔術陣と、魂を結びつける魔術陣……」


 じぃっと、昏い眼でハルがハリーの置いて行った紙切れを見つめている。エリスはそっと紙切れを折り畳み、ハルの視界から魔術陣を隠した。


「考えている事が怖いわ、ハル」


「何のことでしょう、エリス様。ああ、その物騒な魔術陣は私めがお預かりいたしましょう。エリス様の手元に置いておくなど危険すぎます」


 妙に爽やかな笑顔で手を差し出すハルに、エリスはきっぱりと首を振る。


「いいえ、これはわたくしが厳重に保管します。万が一、世間に出回ったら大変だわ」


 本来ならばこんな非人道的な魔術陣は焼却したいぐらいだが、下手に扱えば妙な罠が発動して呪われそうだ。時間を掛けて慎重に解析し、確実に処分しなくては。


「それにしても。お兄様のメル様への偏愛は分かっていたつもりだけど、あのお兄様があそこまで取り乱すとは思わなかったわ」


 取り乱すなんてそんな可愛いものじゃないと、双子は心の中で絶叫する。まるで災厄の様だった。


「メル様も、ご無事でいらっしゃればいいけど」


 心配事が増えてしまったと、エリスは溜息を吐くのだった。




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