エピローグ
無罪が確定したからと言って、すぐに帰れるはずも無く、諸々の手続きを経てようやく解放されたハルは、一目散にラース侯爵邸に帰った。
王宮から戻ったハルを、エリスは侯爵邸の庭で待っていた。
「お帰りなさい、ハル」
「ただいまもどりました、エリス様」
美しい花々に囲まれているエリスを眩しいものでも見る様に見つめ、ハルは顔が赤らむのを感じていた。花の中で柔らかな笑みを浮かべるエリスの、なんと美しい事か。
抑えようもないぐらい愛しさが胸に溢れ、ハルはそれ以上は一言も話せず、ただエリスを見つめ続けていた。見つめているだけで、幸せな気持ちで一杯になる。
エリスが好きだ。誰にも渡したくない。自分だけを見て欲しい。ずっと。
恋に落ちてから、ただただひたすら、彼女に焦がれてきた。
欲はどんどん大きくなって、ハルを呑み込んでしまいそうになる。
だけど、とハルは思うのだ。
自分は、エリスの側にいるのに相応しいのだろうか。彼女を幸せにすることが出来るのだろうか。
エリスの周りには優秀な者たちが沢山いて。誰にも渡したくない、負けたくないと、がむしゃらになっていたが、それでも、自分はエリスに足りていないのではないかと不安になる。
そんな不安と向き合う事が出来ないハルは、いつも考えてしまう。エリスをどこかに閉じ込めてしまいたいと。この強くて美しくて残酷で、それでいてとても優しいエリスを、誰に目にも触れない場所に隠してしまいたいと。エリスの視線を、自分以外の誰にも向けて欲しくないと。
ハルにとって、恋というものは、エリスの好む小説の様に、キラキラした綺麗なものではなかった。もっと恋情と執着が混ざり合ってドロドロとしていて、自分ではどうしようもない、制御できないものだった。怖かった。自分ではどうしようもない思いをエリスにぶつけて、いつか嫌われてしまうのでないかと。
だからハルはエリスに何も言えなかった。気持ちを口に出してしまえば、きっともう後戻りが出来なくなる。ハルのドロドロしたこの感情で、エリスを汚してしまいそうで。
でも口にしなければ、エリスとの関係は一生、主人と専属執事のままだ。ハルが踏み出さなければ、エリスが誰かと添うのを指を咥えて見ている事しか出来なくなる。それは、分かっているのだが。
躊躇い、焦り、逡巡するハルに、エリスはゆっくりと近づいた。
ハルの頬を両手で包み、優しい笑みを浮かべる。
「ねえ、ハル」
頬に触れたエリスの手の温かさに、ハルの胸は苦しくなる。
「考えている事を口にしてくれないと、わたくしには分らないわ」
優しく囁くような言葉に、ハルは目を瞬かせた。
「……いつもは考えている事が、お分かりになるではありませんか」
拗ねる様にそう言うと、エリスは困った顔をする。
「ふふふ。そうね。でもわたくし、ちゃんとハルの口から聞きたいのよ」
エリスの口調におねだりの甘さを感じ取って、ハルは観念した。
エリスの願いに、ハルは抗う術はない。いつだって、返事は『諾』一択なのだから。
覚悟を決めて、ハルはエリスを見つめる。
頬を染め嬉しそうに笑うエリスは、誰よりも美しいハルだけの主人だ。
「エリス様。私は……」
柔らかな日差しの中。
紡がれた言葉は、寄り添う2人だけしか知らない。




