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 言葉の意味を図りかねて眉を顰めるベントレーに、エリスは幼子に教える様に、優しく続けた。


「大勢の人が出入りした狩猟会場の魔力痕跡は、証拠としての価値は殆どありませんわ。でも、証拠の書類はどうかしら。証拠を発見した場合は、調査員は手袋などをして触れるのではなくて? どうかしら、ウォード騎士団長?」

 

「……証拠の汚損を防ぐために、調査員は手袋の着用が義務付けられているな」


 重々しく答えるウォード騎士団長に、エリスは頷いた。


「手袋越しに触れた場合の魔力痕跡は、どれぐらい測定できるのかしら、エリフィス」


「魔力は素手の方が伝わりやすいですね。手袋越しだと、痕跡も僅かかと」


 エリフィスの言葉に、エリスが満足そうに頷く。

 意味を察したベントレーの顔色が、青を通り越して真っ白になった。


 それには構わず、エリスは名案を思い付いたとばかりに、両手を胸の前に合わせる。

 

「まぁ、それでは陛下。証拠の書類の魔力痕跡の測定を提案いたしますわ。皆様のお話から、証拠書類には犯人の魔力痕跡しか残っていない事になりますもの」


「許可しよう」


 国王が許可するや、直ちに証拠書類の魔力痕跡が測定される。

 エリスの目論見通り、証拠書類からは数個の魔力痕跡しか測定されなかった。証拠の接収や筆跡鑑定を行ったフィンの魔力を始めとする数人の調査員の魔力も検出されたが、どれもギリギリ鑑定できるぐらいの微量な物だった。それよりも明らかに素手で触れたと思われる魔力痕跡2つ、検出された。1つは死んだ実行犯のもの。そして、もう1つは不明だ。


 国王は当然の様に被告人であるルークとハルに命じる。


「では、ルーク・コルネオンとハル・イジー。魔道具に手を翳してみよ」


 国王の命に、ルークとハルが従う。何の反応も示さない魔道具に、周囲からは深いため息が零れ、やはりと言った空気が流れる。


「あら、アメイス様、随分とお顔の色が悪くていらっしゃるわ。ご気分でもお悪いのかしら?」


「い、いや」


 だらだらと汗を流すベントレーに、エリスは心配そうに声を掛ける。明らかに挙動不審なベントレーに、周囲から険しい視線が向けられていた。皆も薄々、気づいたのだろう。()()()()()()()()()()()を。

 

 ベントレーは、足元から恐怖が這い上がって来るように感じた。焦りで心は散り散りに乱れ、先ほどからひっきりなしに汗が流れている。

 いったい、どこから狂ってしまったのか。こんなことになるなんて、予想もしていなかった。

 隠蔽は順調だった筈だ。王族殺害は失敗したが、唯一、ベントレーが犯人だと知る実行犯は捕縛の際に()()()死んでくれた。邪魔者のルークは生きていたが、ベントレーの目論見通り王族殺害の犯人として処刑されるはずだった。捏造した署名だって、ルークとハルの罪を確定する決定的な一打になるはずだったのに。愛しいセイディは何よりもベントレーを頼りにしてくれていた。このまま上手くいけば、王位は無理でも、セイディの伴侶の座だけでも手に入れられたはずなのに。


 ちらりと縋るような視線をセイディに向けると、先ほどまでの弱々しさの欠片もなく、憎悪を籠めた目でこちらを睨みつけていた。それを見てベントレーは悟った。彼女も俺を嵌めたのだ。この場に引っ張り出すために、気弱な甘えた声で、弁護人として付き添って欲しいなどと、強請って来たのは、演技だったのだ。この場で、逃げ場がない様に、俺を裁くために。 


 ベントレーのセイディへの愛情が一転して憎しみに変わる。

 この俺が、愛してやったのに。未来の王に相応しい、この素晴らしい俺が選んでやったのに。喜んで俺を受け入れるべきなのに、この俺を陥れるだなんて。

 ベントレーの中の怒りが、魔力となってぐるりと渦巻く。魔術師ではないが、昔からベントレーは人よりも多い魔力を持っていた。だから、魔術陣も難なく起動できたのだ。この溢れんばかりの魔力を暴発させて、この場の全員を道連れに死んでやろうかと、ベントレーは自暴自棄になった。


 だがそんなベントレーの魔力も、エリスの前では無力だった。ベントレーを中心に渦巻いていた魔力はエリスの紡いだ魔術陣によって、無理やりベントレーから引き剥がされた。反動で、一瞬で魔力枯渇に陥ったベントレーは立っていられないぐらいの眩暈を感じて、その場にへたり込んだ。


 コツ、コツ、と、まるで誰もいないと錯覚するほど静まり返った部屋の中、ベントレーに近づくエリスの足音が響く。


 ベントレーはへたり込んだまま、ガタガタと身体を震わせた。この震えが、単なる魔力枯渇から来るものではない事を、ベントレーは分かっていた。


 怖いのだ。目の前に近づいてくる少女が。

 平凡で優し気な、可愛らしい、どこにでもいそうな令嬢なのに。その身から発せられる威圧感の、なんとも恐ろしい事か。慈悲深い笑みを浮かべているというのに、その慈悲に縋れるという希望が、一切持てない。


「わたくし、この証拠書類の事を聞いた時から、コルネオン公爵とハルを陥れた犯人は、2人に近しい方だと思っていましたのよ」


 エリスは震えるベントレーに、優しく声を掛ける。


「だって。本人のものと見紛うような署名だったのでしょう? きっと、犯人はいつも身近で署名を見ていたのだわ。でも、コルネオン公爵が王籍を離れた後の署名は見た事がなかった。きっと、犯人はコルネオン公爵が王籍を離れた際に、お側を離れたのでしょうね。だから、『コルネオン』での署名が出来なかったのだわ」


 エリスの言う通りだった。ベントレーが彼らの署名を間近で見れたのは、学園に通っている間のことだった。生徒会で彼らの処理した書類には、いつも署名があったから。でも学園を卒業し、側近の任を解かれ、ルークがコルネオン公爵となった後は、彼の署名を目にすることはなかった。


「だから、『ルーク・ロメオ』と……」


 フィンは目を見開いて呟く。ああ、ルークが王籍に未練をもって敢えて『ロメオ』と署名していたのではなかったのだと、フィンは顔を赤らめる。全くの勘違いだったのだ。


「さぁ、ベントレー・アメイス様。魔道具に手を翳して頂けるかしら?」


「ど、どうして私が……」


 弱々しく抵抗するベントレーに、エリスが慈悲深く笑う。


「あら。先ほどわたくしの言った条件に当てはまる人物はそういないわ。グラーデス調査官と、貴方もその中に含まれているわね。グラーデス調査官の魔力はどちらからも検出されたけど、証拠書類からは犯人というには少量の魔力しか検出されなかった。犯人と断定するには、ちょっと証拠が弱いわね」


 頬に手を当て、小首を傾げるエリスは、妖艶ともいえる笑みを浮かべる。


「貴方は調査員でもないし、あの証拠書類に触れる機会はなかったのだから、きっと、魔道具は反応などしないと思うわ。潔白を証明するなら、魔道具に触れていただくのが確実だと、分かって頂けますわよね? 」


 エリスの笑みが冷ややかなものに変わる。


「魔道具が反応しなければ、潔白は簡単に証明できるのだから、貴方には何の損も無いわ。でも、ふふふ……。もし万が一あれが反応したら、大変だわ。王族を狙った国賊だと、一族郎党、連座で処刑の重罪ですもの」


「ひいっ……! 」


 逃げ道を絶たれ、ベントレーは悲鳴を上げる。助けを求める様に必死で周囲を見回すが、ベントレーに注がれるのは厳しい視線ばかり。剣呑な騎士たちの中には、剣の柄に手を掛け、ベントレーが逃げ出さないように威嚇している者もいた。


「フィ、フィン! 君は私の潔白を信じてくれるだろう? わ、私はルーク様の無実を証明するために、君と共に証拠を探したじゃないか! 親友の私を、疑ったりしないよなっ? 」


 フィンは必死で言い募るベントレーを睨みつけ、顔を歪めて吐き捨てた。


「ああ、そうだな。……だけどお前は、ルーク様に有利な証拠など、何一つ掴まなかったじゃないか」


 フィンは、どんな些細な事でも、ルークの為になりそうな証言や証拠は、片っ端から集めて回った。少しでもルークの為になればと。だがベントレーは、いつだってフィンの前で神妙な顔をして『今日も何も手がかりを掴めなかった』と、落ち込んでみせるだけだった。

 

 フィンが味方にならないと察し、ベントレーはルークに視線を向け、必死に縋った。


「ル、ルーク様っ! 貴方様は私を信じてくださいますよね? 私はずっと、貴方に忠実な側近で……!」


「……虫唾が走るわ」


 ベントレーの言葉を遮り、ルークは怒りも露わにベントレーを睨みつける。


「ベントレー・アメイスっ。お前の妻への仕打ち、俺は決して許さん! 」


 滅多にない、ルークの怒号に、ベントレーは完全に逃げ場を失ったことを悟る。

 周囲の冷ややかな視線から逃げる様に、ベントレーはへたり込んだまま後ずさるが、目の前の悪魔の様な女は許してはくれなかった。


「さぁ。ベントレー・アメイス様。お手を魔道具に翳してください」


「嫌だ、嫌だぁ!」


 取り乱したベントレーは懐に隠し持っていたナイフを取り出した。

 ウォード騎士団長と騎士たちが剣を抜き、審議員たちからも怒号が起り、ベントレーはますます追い詰められた。

 ベントレーの沸騰した頭が、せめてセイディを道連れにと思いつき、血走った眼を弁護席に向けるが、ダフが剣を抜きラブが杖を構えるのを見て、絶望する。焦がれた女を手に入れる事も出来ないのか。


「まぁ。こんな大それたことを計画なさる割には、最後は小物(チンピラ)の様な反応をするなんて。がっかりだわ」


 ナイフを手にガタガタ震えているベントレーを、容赦なく辛口批評するエリス。

 これがお気に入りの探偵小説なら、犯人も華麗に剣を抜き、手に汗握るような決闘になるのに。


「お前が。お前が、余計な事をしなければっ」


 憎悪を籠めて、ベントレーがエリスを睨みつける。

 この探偵気取りの小娘のせいで、全ての計画が狂ってしまった。こいつさえいなければ、全て上手くいったはずなのに。こいつのせいで。


「殺してやるっ」


 ベントレーがナイフを振りかざす。

 いくら弁が立っても、相手はただの令嬢だ。切りつけて怯んだところを人質に取れば、なんとかここから逃げ出すことが出来るかもしれないと、どこかベントレーの冷静な部分が働いた。


「あーあー。よりにもよって、一番襲い掛かっちゃいけないところに……」


 呆れた様なラース侯爵の声が、ベントレーの耳に入ったかどうか。

 特に緊張する事もなく成り行きを眺めるラース侯爵を横目で睨んで、エリスは軽いステップで後ろに下がり、ベントレーの一撃を躱した。


「このクズがっ!」


「我が君に何をするっ!」


 ハルとエリフィスの殺気が膨れ上がり、瞬時に攻撃に転じようと魔術陣を組み上げる。しかし。


「ハル、エリフィス。わたくしの獲物よ」


 エリスの冷ややかな声にびくりと身体を震わせて、ハルとエリフィスは首を竦めた。組み上げた魔術陣もあっという間に無効化される。


 さらに踏み込んで斬りつけてくるベントレーに、エリスは魔力鞭を取り出した。

 魔力鞭のただ一振りでナイフは弾き飛ばされ、ベントレーは何が起こったのか分からず、棒立ちになる。なぜ、ただの令嬢が鞭を、しかもこんなに巧みに振り回しているのか。

 恐ろしい程の圧が、目の前の令嬢から伸し掛かって来る。ゆるりとした笑みを浮かべているところが、ベントレーの恐怖を余計に煽った。


「わたくしね。貴方が大嫌いなの。わたくしの大事な人たちを、よくも傷つけてくれたわね」


 魔術陣に巻き込まれて怪我を負ったレイア(親友)

 冤罪で囚われたハル(専属執事)

 そして一番の被害者といえる、セイディ。

 度重なる不幸に打ちのめされつつも、最後には夫の為に戦うと決意したセイディ。彼女は、大変、エリス好みの美しさを持っている。

 

「愚かだわ。わたくしのもの(ラース侯爵家)に手を出すなんて」


 ビシリと床に打ち鳴らされた魔力鞭から、キラキラと魔力が飛び散る。

 そこから始まったのは、正当防衛とは名ばかりの、一方的な蹂躙だった。

 

「やはりあの鞭は、我が君に相応しい……。女神の様な神々しさだ」


「ああ、エリス様! なんとお美しいっ! ぜひ私めをその鞭の餌食に!」


 約一名の魔法省副長官と約一名の専属執事以外は、全員、顔を引きつらせ、魔力鞭による饗宴を見つめる事しか出来なかった。


◇◇◇


 様々な伝説とトラウマを生み出した王国裁判は、ひっそりと幕を閉じた。

 あの後、魔力鞭によりズタボロになったベントレー・アメイスは魔道具による魔力測定により、王族襲撃事件の犯人と断定された。ベントレーの処刑は勿論、その両親であるアメイス伯爵夫妻と兄弟までの連座の処刑が決まり、アメイス伯爵家は取り潰された。アメイス伯爵家に連なる親族については、罪一等を減じられ、爵位を取り上げの上、平民となって鉱山での強制労働となった。ロメオ王国の古参貴族であったアメイス伯爵家の歴史は、ここで幕を閉じた。


 ルーク・コルネオン及びハル・イジーは、無罪が確定した。民に人気のコルネオン公爵の無罪放免に、国中が歓喜した。勿論、一番に喜んだのは、ルークの妻、セイディ・コルネオンだった。事件後暫くして、コルネオン公爵夫人の懐妊が報じられると、ロメオ王国に留まらず夫人の生国であるデルフィル王国を挙げてのお祝いムードとなった。


 裁判の際、使用された魔道具については、騎士団を始めとする各方面で高い評価を受け、開発者である魔法省副長官エリフィスの長官への昇進が内定した。平民としては異例とも言える大出世であり、他の平民出身の士官たちの希望となっている。

  

 騎士団を辞したフィン・グラーデスは、ルーク・コルネオンの側近となり、生涯、その忠誠をルークに捧げ続けた。一方で、ルーク・コルネオンのハルへの勧誘は一向に止まなかったのだが、ラース侯爵に代わり、一切加減無しのエリスが対応するようになってから、勧誘の頻度は圧倒的に減るようになった。エリスと交友するようになった妻セイディから、やんわりと叱られたのも一因であるようだ。


 また、王太子ブレインとパーカー侯爵家のレイア・パーカー嬢の正式な婚約も発表され、2人が学園を卒業してすぐに婚姻が執り行われることになった。完全な政略結婚と噂されていた2人だが、ブレインのレイアへの溺愛が学園内でも評判となり、将来はコルネオン公爵夫妻同様、仲の良い夫婦になるのではと、噂されている。


 かくして、凶事が続いていたロメオ王国に、ようやく平穏な日常が戻ってきたのだった。


 余談ではあるが。

 王国裁判に出席した者たちの多くは、近い将来起こるであろうラース侯爵家の代替わりについて、認識を改めた。

 後継は年若く平凡と評されている令嬢であったため、父親に比べて『御し易いのでは』と侮っていた者たちも、『あれは父親よりも苛烈(ヤバイ)』と、より一層『紋章の家』に対し、慎重な態度をとるようになったという。


 


 




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