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コルネオン公爵とハル・イジーの王族殺害未遂容疑について、近々、裁判が開かれることになった。
事件の重大性を鑑み、裁判は非公開で行われることになったが、とうとうこの時が来たと国中がザワザワと落ち着かない雰囲気に包まれていた。
王族を離れても未だに人気のある公爵、身分は低くともその実力はS級冒険者と言われる子爵家嫡男が起こした事件。本当に彼らが犯人なのか、他にも関わった者がいるのではないかと噂や憶測が飛び交い、国中からの注目を浴びていた。
そんな中、エリスはエリフィスに呼び出されていた。
いつもならエリフィスがエリスの元を訪ねてくれるのだが、不思議に思いながらも、エリスはその求めに快く応じた。
指定されたのは、エリフィスが王都に持つ屋敷だ。忙しいエリフィスは魔法省で過ごすことが多く、この屋敷には殆ど帰る事がないと聞く。屋敷の使用人たちは、滅多に帰らない主人の帰宅を心待ちにしているらしい。
ダフとラブを伴い、初めてエリフィスの屋敷に訪れたエリスは、屋敷の使用人たちに下にも置かれぬ扱いで部屋に通された。屋敷の調度は落ち着いた雰囲気で、地味なラース侯爵邸にどこか似ていて。
双子は既視感を感じた。驚くほど、エリスの趣味に合わせて統一された空間だ。誰のための屋敷かなんて、一目瞭然だ。『あれ、ここ、エリス様の部屋だっけ?』と錯覚しそうだった。それでいてさり気なくエリフィスの好みも混じっているから、まるで新婚夫婦の屋敷の様だ。
狂犬の圧倒的なヤバさの前で霞みがちだが、エリフィスのヤバサも相当なものだという事を、双子は改めて実感していた。
「やばいな、ここ」
「ううう。エリス様への妄執がそこかしこに染み付いているみたいで、何だか怖い……」
引きつるダフに、涙目になるラブ。彼らにはまるでエリフィスが、エリスが居心地のいい家を用意して、あわよくば閉じ込めてしまおうと企んでいる様に感じるのだ。
「あらあら。初めて来たけど、なんだかホッとするお宅ね、落ち着くわ」
双子の心境をよそに、エリスはのほほんとした感想を述べている。
「我が君。ようこそいらっしゃいました」
待っていたエリフィスは、どこか緊張した面持ちだった。魔法省の正装である銀糸の刺繍で飾られた黒色のローブと、魔力を高めるための煌く魔石の飾り。指先まで美しく着飾ったエリフィスは、どこぞの貴公子と言われても不思議でない程、麗しかった。美しいものが好きなエリスは、エリフィスの華麗な装いに目を丸くして喜んだ。
双子はエリフィスの気持ちというか、決意を感じ取り、触らぬ神に祟りなしと言わんばかりに、部屋に溶け込むように気配を消していた。兄ほどではないが、エリフィスもまた怒らせてはいけない人物であると、双子はちゃんと理解しているのだ。
『これがバレたら、絶対にハル兄ぃに殺される……』
『馬鹿ね。今邪魔したら、エリフィス様に殺されるわよっ』
小声で囁き合いながら、双子は壁になることに徹した。自分たちは壁だ。エリスに危険が迫った時に動けばいいだけの壁。壁は何も言わないし、何も聞こえない。
香りのいいエリス好みの紅茶と、高級な茶菓子で供されながら、エリスはどこか様子のおかしいエリフィスに首を傾げる。
「どうしたの、エリフィス。具合でも悪いの? 顔が赤いわ」
額に手を当てられ熱を確かめられたエリフィスは、その手の温かさにうっとりと目を瞑る。
孤児としてラース侯爵家に引き取られたばかりの頃、エリスは熱心にエリフィスの面倒を見てくれた。エリフィスの方が年上なのに、まるで母の様に甲斐甲斐しく世話を焼いてくれたものだ。
それはエリフィスの弟を死なせてしまった後悔から優しくしてくれていたのだと、今では理解しているけれど、それでもあの頃のエリフィスは、エリスの手の温かさに縋るようにして生きていた。
否。未だに、エリフィスはエリスに縋って生きているのだろう。憧憬を熱情に変えて。
エリフィスはエリスの手をそっと取ると、懇願するように囁いた。
「我が君。庭の花が見頃です。ご案内させてください」
「あら、そうなの? 楽しみだわ」
心配そうにエリフィスを覗き込んでいたエリスだったが、甘える様なエリフィスの声に微笑む。
エリフィスにエスコートされ庭へと案内されるエリスを見送って、双子はようやく息を吐いた。
「とうとう、エリフィス様が動いたかー。ハル兄ぃ、一歩出遅れたな」
「このままとんとん拍子でエリフィス様に決まったら、いい気味だけどねぇ」
ダフとラブは軽口を叩きながら、それでもそんな事にはならないだろうと思っていた。
双子はエリスの側にずっと仕えているのだ。エリスが誰を見ているかなど、とうに気づいていた。
趣味が悪いと思うし、実の兄ながら、アレのどこがいいだろうと思うのだけど。
双子にとって、エリスが幸せなのが一番大事なので、甘んじて受け入れるしかないのだ。
◇◇◇
どこまでも続く薄青の薔薇の海。儚げに佇むその姿は、まるで薔薇の妖精の様で、エリスは微笑んだ。
「美しい薔薇ね、エリフィス。お前の色だわ」
エリフィスの屋敷の薔薇園。
薄青の花弁が重なり作り出された濃い青は、エリフィスの艶やかな髪色を思わせた。そっと花弁に触れるエリスの指が、まるで己の髪を撫でているかのように錯覚して、エリフィスの胸は掻き毟られる様な焦がれを感じた。
裁判が終われば、エリスの元に、ハルが帰って来る。
今のハルが戻れば、緩やかだったラース侯爵家の時間が流れるだろうと、エリフィスは直感していた。
この想いは届かない。
エリスの瞳は、エリフィスではない、唯一人を見つめている。そんな事は、子どもの頃から疾うに気付いていたのだ。
それでも、エリフィスは今日という日を迎えずして、これ以上、彼女の側にいる事は出来なかった。
万に一つの奇跡を期待して無様な姿を晒す事になろうとも、己の想いを伝えなければ、もう一歩も前に進む事は出来ない。
フワリと、風が吹いた。
エリスの栗色の髪が風に攫われ、目の前を流れる。エリフィスは思わず手を伸ばした。サラサラと手の中で柔らかく滑る感触に、胸が詰まった。目を閉じて、かすかに花の香りのする髪にそっと口付ける。
「エリフィス……?」
戸惑う様に紡がれた名に、エリフィスは微笑む。
エリフィスの誉れであるこの名は、エリスから賜った一番の宝だ。呼ばれるたびに、胸の奥が温かくなる。
「我が君」
エリスの瞳には、エリフィスが映っていた。今、この時だけは、エリスは自分だけを見ていてくれる。
「お慕いしています、我が君。私の全てで」
いつかエリスに愛を伝える時に、どんな言葉で伝えようかと考えた事もあった。だが、実際に口から出る言葉は、なんのてらいもない、ただエリフィスの想いを剝き出しにしたものだった。
「私の心は、ただ貴女一人に、捧げたいのです」
エリフィスの言葉に、エリスは困った様に微笑んだ。
「ありがとう、エリフィス」
するりと、エリフィスの手から栗色の髪が滑り落ちる。
まるでエリスの心を表しているかのように、軽やかにエリフィスの手からすり抜けていく。
「でも、……ごめんなさい」
エリスは予想していた通り、エリフィスの想いに応えてはくれなかった。分かってはいたが、エリフィスの胸は悲しみに引き裂かれそうだった。
「我が君は、……ご趣味が悪すぎる」
「ふふふ。否定できないわ」
恥じらう様な笑みを浮かべるエリスを見ていられなくて、エリフィスは目を閉じた。エリスが誰を思い浮かべていたかなんて、言われなくても一目瞭然だった。エリスにこんな顔をさせる事は、エリフィスには出来ないのだ。それが悔しくて、この場にはいないエリスの想い人を心底、忌々しく思った。あの狂犬とは、出会った頃からとことん気が合わないのだ。
それでも、エリスが選んだ相手だ。
それが、この世から消えればいいと常日頃から望んでいるような相手でも、エリスが選んだのなら、エリフィスに否やはない。
だけど、許されるのならどうか、この願いだけは叶えてもらいたかった。
「我が君への想いは、届かなくても構いません。どうか私が生涯、貴女をお慕いすることだけはお許しください」
エリフィスの祈るような願う。どうしたって、エリフィスの心は変わりようがないのだ。子どもの頃から、ずっとエリスだけを見つめてきたのだから。
そんなエリフィスに、エリスは艶やかに微笑んだ。
「お前のしたいようにしたらいいわ」
あまりにエリスらしい答えだったので、エリフィスは泣き笑いのような顔になった。
エリフィスの意思を尊重してくれて、告白ぐらいで揺らがないエリスとの関係性が、たまらなく嬉しかった。
どうして、他に目を向ける事などできるだろうか。
これほどまでに艶やかに色づくエリスから、目を離せるはずがないのだ。
◇◇◇
エリスが帰ったあと。エリフィスは貴族牢に囚われているハルの元に向かった。
裁判を控え、流石に出掛けるのを自粛していたハルは、訪れたエリフィスに驚いた。
牢番のガスは、もうなんでもアリなんだなと、諦めの境地でエリフィスを迎える。客が訪ねてくるなんて、自宅か。
「何の用だ、野良魔術師」
「我が君に告白した」
ハルのいつもの悪態にも付き合わず、エリフィスは端的に伝える。
言葉の意味を理解して、気色ばむハルに、エリフィスは嘲笑を浮かべる。
「お前に怒る権利がどこにある。告白すら出来ない臆病者に」
「何をっ!」
ハルの魔力が爆発的に増え、牢の結界魔術が揺らぐ。
牢番のガスが「ひえぇぇ」と悲鳴を上げて、隅の方に避難した。
「我が君を惑わす言葉は吐いても、想いは伝えた事はないだろう? 我が君のお心は頂けなかったが、俺は諦めたりはしない。何度だってあの方に想いを伝える。お前の様な腰抜けが、あの方を幸せに出来る筈がないからな」
図星を指されて、ハルは顔を真っ赤にして黙り込む。その目にほんのりと決意が浮かぶのを見て、エリフィスは内心、溜息を吐いた。なぜ恋敵に塩を送るような真似をしなければならないのかと。
だがエリフィスは、ただただエリスに笑っていて欲しいのだ。
彼の人が幸せならば、胸の痛みぐらい、いくらでも耐えてみせる。
「我が君を奪われたくなければ、さっさと腹をくくれ、狂犬」
そう言い残して、エリフィスの姿は消えた。
「なんだよ、今度は恋の鞘当てか? お前、本当に牢に入っているとは思えないぐらい、自由だな……」
恐る恐る顔を出したガスの言葉も耳に入らない様子で、ハルはエリフィスの消えた方向を、ジッと睨みつけていた。




