22
セイディの話を聞いたエリスは、沈思していた。その側で、セイディは落ち着かない気分になる。
「奥様。いつものハーブティーをお淹れしましょうか?」
セイディに付いてきてくれていたコルネオン家の侍女が気を利かせてそう提案すると、セイディは頷く。侍女はシュウに断って、持参していたハーブティを淹れる。漂う甘ったるい香りに気を惹かれ、エリスは顔を上げた。
「あら。この香りは……」
いつぞや、セイディから薫った香りだ。甘ったるい中にも香辛料のような匂いも混じっている。ハーブティの匂いだったのか。
「あら、申し訳ありません。香りが強いので、慣れていない方は気になりますわよね?」
セイディが小さく詫びると、エリスは首を振る。不快なわけではなく、嗅ぎなれない香りが気になっただけだ。
「このハーブティは、気分を落ち着かせる効能があるの。私は飲み続けているので、匂いはさほど気にならないのよ」
エリスも勧められ口を付けたが、ほんのりとした甘みがあった。匂いの割に味は薄く、飲みやすい。
「美味しいですわね。わたくし、初めて飲みました。これはセイディ様のお国のものかしら?」
「いいえ、これは……」
言いかけて、セイディがさっと青ざめた。
「どうなさいましたの?」
「……これも、あの方が、勧めて下さったもので。こちらの国に来たばかりの私を気遣って、気分を落ち着けるものだからと」
セイディの中でも、疑惑がムクムクと大きくなっていた。今まで自然に受け入れてきたもの全てが、疑わしく見える。
「……セイディ様。一旦、飲むのは止めましょう。シュウ、この匂いに何か心当たりがあって? 」
「いえ。毒物ではないと思いますが……」
シュウはハーブティの色や香りを慎重に確認して、首を捻る。紅茶やハーブティ、そして色々な薬草や毒物に精通しているシュウも、知らないようだ。
「……専門家にお聞きした方がいいわね。シュウ、メル様をお呼びして」
エリスの指示に、シュウは頷き、急ぎ部屋を出て行った。
「エ、エリス様」
「大丈夫よ、セイディ様。その人がセイディ様に勧めたものなら、身体に害はないのでしょうけど……」
エリスはセイディに安心させるように微笑んだ。確証はないが、これまでの状況を考えると、ハーブティの効能は……。
「想像が当たっていたら、想定以上の下種だわ」
吐き捨てる様に低い声でエリスが言うと、セイディはビクリと身体を震わせた。
ハーブティを淹れた侍女も、オロオロと不安気にしている。自分が余計な気を利かせてハーブティを淹れたばかりに、何か良からぬことが起こったのかと思ったようだ。
「エ、エリス様。……お呼びと伺いましたが。え?」
緊張した様子でやって来たメルは、部屋に入った途端、顔色を変えた。部屋に漂う香りに気づいたのだろう。
「これは……。エリス様、公爵夫人。このハーブティはどちらで?」
いつもの気弱そうな態度を一変させ、メルはハーブティの入ったポットとカップを2人から遠ざけた。
「セイディ様が知人から、気分を落ち着かせるハーブティとして頂いたそうよ。セイディ様は毎日飲んでいらっしゃるの」
「気分を落ち着かせるハーブティ? そんな! 酷い! 」
悲鳴染みた声を上げるメルに、セイディの顔は真っ青だ。その手を力づけるように握って、エリスは穏やかに聞いた。
「メル様。このハーブティの事をご存知?」
「これは。ラーシル草と呼ばれるものです。ラーシル国でしか取れないもので、国の管理下でしか栽培も販売も許されていないものです」
ラーシル国。ロメオ王国との国交は殆どない小国だ。メルの緊迫した様子に、セイディは不安になる。
「ど、毒なのでしょうか?」
「毒ではありませんが……」
メルが口ごもり、言いよどむ。その憐れむ様な視線に、セイディは増々不安が増した。
「この薬草の効能は、『避妊』です。1度飲用すれば、少なくとも1月は効果があります」
「……え?」
セイディはメルに言われた意味が一瞬分らなかった。ヒニン?
だがすぐに意味を理解して、いいようのない衝撃を受ける。
「ひ、避妊? こ、子を授かれないということ?」
「いえ。あくまで『避妊』です。服用をやめれば、一月後には効果は薄れます!」
メルが宥める様に声を強くするが、セイディは目の前が真っ暗になった。
セイディは一月どころか、毎日のようにこのハーブティを飲んでいたのだ。味に慣れたというのもあるが、気分を落ち着かせてくれる効果があるというから。
結婚して中々子が出来ず、周囲から心無い事を言われ続け、授かりものだからとセイディを慰める優しい夫に申し訳なくて、鬱々とする気持ちを落ち着けるために飲んでいたハーブティ。
でも、それが子が出来ない原因だったなんて。
小さな子を抱いた母親を見る度に、胸が締め付けられるような思いに駆られ、自分には一生、我が子の小さな手を握ることは出来ないのかもと、どれほど悲しい気持ちになったか。
「あ、あ……、ああ、あ、ああぁ」
悲鳴のような、掠れた声を上げ、セイディの心が崩れていく。
王族として、公爵夫人として、ぎりぎりに保っていたものが、プツンと切れてしまったようだった。
ボロボロと子どもの様に泣くセイディに、エリスは声を掛ける事が出来なかった。他国に嫁いできて、どれほどセイディが心細い想いをして来たか。子が出来ない事を責められ、どれほど心を痛めてきたか。エリスが薄い慰めを口にしたところで、セイディの心を癒せるはずがない。壊れた様に泣くセイディの背を撫でながら、エリスはただ黙って、寄り添っていた。
「……セイディ」
そんな時、セイディの耳に届いたのは、彼女が恐れながらも、心待ちにしていた声だった。
「え? 嘘、もう目が覚めたんですか? まだ回復も十分じゃないのに! 」
あと数時間は眠り続ける筈のルークが部屋にやってきたのを見て、メルが驚愕の声を上げる。ルークに付き添っていた双子が、ヨレヨレと歩くルークを両側から支えている。顔は青白く、吐く息は荒い。とても万全とは言えない様子だった。
「セイディ。……君の泣く声が聞こえた」
「ルーク様……。私の事が、分かるのですか? 」
「ああ、分かる」
ルークの手が、セイディの頬に流れる涙を拭う。自分の方が余程具合が悪いだろうに、それでもルークはセイディを気遣ってくれる。
どうして、その優しさに気づけなかったのか。どうして、愛されていないだなんて言葉を、鵜呑みにしてしまったのか。
セイディの顔が、くしゃりと歪む。ルークに対する申し訳なさで、セイディは涙を止める事ができなかった。
「ルーク様、申しわけありません。申しわけ……」
「何を謝るのだ、セイディ。君は何一つ悪くない。悪いのは不覚を取った俺だ。君に心配を掛けてばかりで……」
「いいえ、いいえ。私が。私が至らなかったから。貴方に愛されていないなどと思い込んで、馬鹿げた言葉を鵜呑みにしてしまって」
「ちょっと待て」
慌てた様にルークが、セイディを離し、正面からマジマジと見つめた。
「愛されていないって、どうしてそうなるのだ。俺は、君と初めて会った時に惹かれてから、ずっと君だけを愛しているんだぞ? どうしてそんな……? 愛情表現が足りなかったのか? 侍女長に、人前で君を愛でるななどと言われていたが、やはり間違いだったんだな? 」
「え。一般常識よね? 」
「いや、間違いじゃねぇよ。人前は止めろよ」
双子が冷ややかに突っ込むが、ルークはセイディの手をしっかりと握る。
「セイディ。この国は君の生まれた国とは違う事も多く、苦労を掛けていると思う。でも俺は、君とずっと一緒に生きていきたいんだ。他の者が何を言おうと、俺の妻は君だけだ。俺は、君だけを愛しているんだ」
ルークに抱き締められ、セイディはその胸に縋りついた。
「ルーク様。私も、私もお慕いしています。私が浅はかだったのです。自分に自信がないばかりに、貴方の愛を疑って、偽りに耳を傾けてしまった。あんな男の言葉に惑わされて、子を持つ機会を2年も無駄にしてしまった。ああ……。私、なんて愚かだったの……」
ハラハラと腕の中で静かに涙を流すセイディを優しく労わりながら、ルークの内心にはぐつぐつと燃え滾るマグマの様な怒りがこみあげてきていた。
兄家族を襲ったという事実無根の濡れ衣。
苦しみ、追い詰められた最愛の妻。
ルークも愚かではない。このどちらも偶然ではなく、明らかな悪意をもってルークを陥れたのだと分かっていた。
「エリス嬢。いや、『紋章の家』の次期当主よ」
ギラギラとした怒りを隠しもせず、ルークは低い声で唸った。
「俺の家族を傷つけた輩に心当たりがあるのだろう? 誰が、何のためにこんな事を企てたのか、君が知りうる全ての事を教えて欲しい」
ルークの剥き出しの怒りに、エリスは満足げな笑みを浮かべた。
「勿論ですわ、公爵閣下」




