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 ルーク・コルオネンはロメオ王国の公爵である。

 現国王の弟であり、結婚を機にコルオネン領を拝し、名をルーク・ロメオからルーク・コルオネンに改め、王籍を離れ臣下に降った。兄である国王とは年が離れているが、その仲はすこぶる良好であり、王家を助け良き関係を築いている。


 性格は明朗快活。好奇心旺盛で活動的。一を聞けば十を知る優秀さ。華やかな容姿とその太陽のような存在感は、幼い頃から男女を問わず人を惹きつけた。特に王立学園在籍中は、女生徒たちからの人気が凄まじく、彼が会長を務める生徒会には、多くの入会希望者が殺到し、厳しい選抜試験が実施される異例の事態となった。

 政治的に王家とは近しくない派閥の子息令嬢たちも、ルークの人好きする雰囲気と公明正大な人柄には抗えず、この時期の学園はルークを中心とした、派閥を超えた連帯感が学生の間に広がっていた。


 そんな、学園中を魅了するルークだったが。唯一人、意のままにならない男がいた。


 学園創設以来の、規格外の天才。

 聖銀の髪、凍る銀瞳。人を寄せ付けない、孤高にして怜悧な美貌。

 ルークとは正反対の、だが、ルークと同じぐらい人々を魅了する男。

 美しくも近寄り難いその男は、ルークが太陽の君と呼ばれるのに対し、月の貴公子と密かに呼ばれていた。


 ハル・イジー。イジー子爵家の嫡男である彼は、その美貌と才能であっという間にルークの心を掴んでしまった。


「ハル・イジー! 私のモノになれ」


 ぶっちぎりの満点首席で入学し、新入生代表の挨拶をこなして以来、周囲にその優秀さを見せつけていたハル・イジーに、ルークは初対面でそう率直に誘いを掛けた。

 誘いを受けたハルは、この世で一番嫌いな虫でも見た様な、壮絶な不機嫌顔になった。冷ややかな人外の美貌も相まって、応対していたのが常人なら凍え死んでいただろう。


 ルークを取り囲んでいた生徒たちは、突然のルークの申し出に、一様に驚いていた。特に、女生徒たちからは、何故か歓喜とも悲鳴ともつかない声が上がっていた。


「どういう意味でのお申し出か存じませんが、お断りします」


 間髪入れずに拒絶され、ルークは目を丸くした。ルークの申し出を断る人間は、初めてだった。


「何故だ?」


「私にはすでに全身全霊で仕える方がいらっしゃるからです」


「なんだ。もう主家を決めているのか。心配いらない。お前が仕える家には、私が話を通す」


 主家へ義理堅い所も好ましいと、ルークは破顔してそう答える。これでハル・イジーも、何の憂いもなく自分の元に来れるであろうと。

 そして周りも、ルークの申し出が側近の誘いであった事に気づき、落ち着きを取り戻す。色々と別の想像を掻き立てられていたご令嬢たちは、ほんの少しだけがっかりしていたが。

 そして、ルークがそこまでしてハルの事を欲する事に、嫉妬を感じつつも納得していた。子爵家と身分は低くても、それだけの能力がハルにはあったからだ。

 

 成績は首席の点からも優秀なのはうかがえるが、彼は冒険者としても働いていて、しかも国に一人いるかどうかのS級冒険者だ。王家の騎士団や魔術師団からも直々にスカウトが来ているとの噂もあった。


 周囲の者たちは、ルークの側に仕えるハルの姿を想像して、余りにもしっくりとくるその光景にうっとりとした。一部の令嬢たちは、別の意味でうっとりとしていたようだが。

 

「お断りします。私がお仕えしたいのは、ラース侯爵家だけです」


 だから、ハル・イジーのその言葉に、皆、息を呑んだ。

 誰もが熱望する王弟の、いずれは公爵を賜るルークの側近。本来なら、子爵家出身のハルには到底就く事は出来ない地位だというのに。


「貴様! ルーク様のお誘いを断るなど、子爵家の分際で、どういうつもりだ!」


 ルークの側近の一人であるフィン・グラーデスが、怒りで顔を真っ赤にしてハルに喰って掛かった。伯爵家の次男にしてルークの片腕と言われる男は、無謀にもハルの胸倉を掴んで怒鳴り散らしたのだ。


「やめろ、フィン!」


 ルークのもう一人の側近、ベントレー・アメイスが慌ててフィンを止めるが、フィンの興奮は治まらず逆に跳ねのけられてしまった。ベントレーは生徒会の副会長を務め、ルークの信頼も篤い男だが、どちらかというと荒事には向いていない性質だ。将来は騎士団に所属するために日々鍛えているフィンに、敵うわけがなかった。


「身分に重きを置いているのなら、私の様に低い地位の者を重用するなど、殿下を御諫めすべきでしょう。側近の貴方が私に怒るのは、矛盾しています」


 掴みかかるフィンの腕を握り締め、ハルは目を眇めて淡々と告げる。細身のハルにミシミシと骨が軋む様な力で腕を締め上げられ、フィンの顔が青ざめていく。


「フィン! 」


 ルークの言葉に、フィンの手がハルの胸倉から離れる。同時に、ハルの手もフィンの腕から離れた。万力で締め上げられた様な恐ろしい力だったのに、腕には指の痕すら全く残っておらず、フィンは狐に摘ままれたような気分になった。骨が砕けそうなぐらい痛かったのに。

 自分より身分の高い貴族に傷をつけたなどと言いがかりを付けられる面倒を嫌ったハルが、こっそりと無詠唱で治癒魔術を施したことに気づいたものなど、誰一人としていなかった。 


「すまなかったな、ハル・イジー。私の側近が失礼な真似をした」


「……」


 王弟の謝罪に、側近は青くなり、周囲はどよめいたが、ハルは不機嫌な顔のままだ。その目は、心底どうでもよさそうだ。


「だが私はどうしてもお前が欲しい。簡単に諦める事など出来ないぐらい、お前に惚れ込んでいるんだ」


 再びのどよめき。ルークを止めようと側近たちの怒号が飛び交い、女生徒の中には、悲鳴を上げてフラフラと倒れる者が続出。あまりにカオスな状態に、教師たちが出張ってきて無理矢理その場を解散させることで、事態はなんとか収束した。


 この騒ぎの後。ルークは国王である兄に呼び出され、言動に注意するよう説教されたのだが。

 ルークは逆にハル・イジーへの熱い思いを兄に存分に語り、絶対に側近に迎えるのだと鼻息荒く宣言した。その熱意に、呆れた国王は『好きにしろ』と早々に匙を投げてしまった。


「ちっ。厄介な……」


 貴族の義務で仕方なく嫌々学園に通っていたハルは、断ったにも関わらず不屈の精神で側近への勧誘を続けるルークに鬱陶しさを感じていた。また、そうしたルークの言動で、側近のフィンやベントレーを始めとする輩から、いらぬ妬みやそねみを買って、面倒な事にも散々巻き込まれ、心底嫌気がさしており。

 それらを回避するために、たった一年で高等部の必要単位を全て取得し、通常よりも2年も早く飛び級で卒業するという偉業を成し遂げ、あっという間に学園を去っていった。ハルの優秀さを惜しむ教授陣は、泣きながら学園に残るように縋ったが、卒業を認めないのならば退学でも構わないと言い放つハルを止められず。数々の伝説を残して、まるで彗星の如き勢いでハルは学園を去った。

 

 ハルの卒業後。ルークは宣言通り、ハルの事を決して諦める事無く、忙しい身でありながらも、足繫くラース侯爵家に通いつめた。勧誘の場を学園からラース侯爵家に移しただけで、王弟のしつこさと鬱陶しさは何ら変わらなかった。

 その上、とっくに学園を卒業したというのに、ルークは生徒会やら王族やらの権限を駆使して、学園内で何か問題が起こるとハルを担ぎ出して解決に当たらせた。学園の教師陣もハルの優秀さを信頼しており、部外者が学園の問題に関わる事を積極的に認めていたため、ハルはルークが卒業するまでの間、結構な頻度で扱き使われていたのだ。

 

「ハル・イジー。お前を見込んで頼む。なんとかしてくれ」


「こっの、疫病神が!」


 爽やかな笑顔で、軽々しく頼んでくる(命令してくる)ルークに、ハルは怨嗟の言葉をぶつけていた。


 学園に、大きな功績と数々の伝説を残したハル・イジー。

 だが、そんな伝説の一端は、しつこい王弟ルークのせいであると、いえなくもないのである。

 

◇◇◇


「ハル。私のモノになれ」


「お断りします」


 このやり取りも何回目かと、ダフとラブは張り付けた笑顔で見守っていた。

 爽やかな初夏の風が過ぎる昼下がり。ラース侯爵邸の応接室には、慎ましやかな侯爵家にはそぐわない、やたらと華やかな男が鎮座していた。

 ルーク・コルネオン公爵。ロメオ王家特有の、緩くカールした金の髪と、澄んだ湖の如き碧眼。そこにいるだけで人目を惹くような美貌だ。

 

「そんなつれない事を言わないでくれ。今日こそ色よい返事を聞くまで、帰らないぞ」


「迷惑です。気持ち悪い事を言ってないで、さっさとお帰り下さい」


 子爵家の嫡男に過ぎないハルが、雲の上の存在であるはずの公爵閣下を相手に暴言を垂れ流している。本来ならば不敬罪で投獄ものだが、ハルはたとえ国王陛下相手でも同じような態度なので、これが通常運転だ。双子は特に心配もしていなかった。大人しく投獄されるような(暴君)ではないし。

 

「はぁ。もう何年もハルの元に通い詰めているというのに。彼は全く変わらないな、ラース侯爵」


 ルークはからりと笑って、ハルの淹れた紅茶に手を付けた。ルークの相手を務めるラース侯爵は、柔和な笑みを浮かべたまま、頷く。

 

「ハルはウチに良く仕えてくれていますからねぇ」


「ラース侯爵からも、口を添えてはくれぬか。ハルの代わりの人材は、私が責任をもって紹介させてもらうぞ? 」


「帰れ、ストーカー」


 ストーカーとは、最近、巷で人気の探偵小説に出てくる、意中の相手に執拗に付きまとう犯罪者予備軍の呼称だったはずだ。天才的な探偵が可愛い助手とジレジレとした恋を繰り広げながらも、共に様々な事件を解決するその探偵小説は、今、学園内の令嬢の間で爆発的に人気があり、最近のエリスの愛読書でもある。エリスの影響でその小説を読破していた双子は、ぐっと口の内側を噛み笑うのを堪えた。ぴったり過ぎる呼び名だが、不敬が過ぎる。


「ハルや。いくら公爵閣下が気のおけないご学友とはいえ、口を慎みなさい」


「失礼いたしました、旦那様。しかし一つ訂正を。コルネオン公爵閣下は気のおけない学友ではなく只の知人です」


「ハル。私の事はルークと呼び捨てていいと、許した筈だよ」


「黙れ、ストーカー」


「ハル」

  

 困った笑顔で窘めるラース侯爵に、ハルは眉間の皺を深くして押し黙った。ルークは気にしなくていいとラース侯爵に鷹揚に手を振るが、ラース侯爵がため息を押し殺しているのに気づいている様子はない。 

 

「コルネオン公爵閣下。何度も申し上げていますが、私どもはハルの意思を尊重いたします。ハルが我が家ではなく、コルネオン公爵家に仕えたいというならば、喜んで彼を送り出しますが、命じる事は致しません」


 ラース侯爵の穏やかな声に、ルークは子どもの様に唇を尖らせた。


「だがなぁ、ラース侯爵。そなたの後継である娘の伴侶候補として、ハルの名が挙がっていると聞いたぞ。ハルがラース家の娘と結婚したら、ますます、私に仕える事が出来なくなるじゃないか。そんな事、私は認められないぞ。そうだ、ラース家とイジー家の婚約は認めぬように、国王()に進言を……」


「土に還れ、ストーカー」


「ハル!」


 自らの手で土に還しかねないほどの殺気を漲らせるハルに、ラース侯爵のやや厳しめな声が響く。

 とたんにぷしゅっと萎れたハルは、叱られた飼い犬の様に項垂れる。


 ハルの殺気にルークは目を見開いて驚いていたが、やがてにんまりと微笑んだ。


「ほぉ。女性に興味がないことで有名な『月の貴公子』殿が、珍しい事だ。なるほど。ラース侯爵家から離れたがらないわけだ」


 ルークは優雅に片手を顎の下に当て、思案気に呟く。


「そうか。これは正攻法では無理なようだ。ふふふ、ではラース家のご令嬢から懐柔していく必要があるのかな。ご令嬢には、夜会で何度か顔を合わせたことぐらいしかないが、()()()、兄から話は聞いているよ。ラース侯爵。後継の娘御を、私の妻の茶会にお誘いしてもよろしいかな?」


 ルークが機嫌良くラース侯爵に許可をとるが、その口調は否とは言わせぬ圧があった。

 公爵閣下からの命令にも等しい誘いをラース侯爵は断れないだろうと、ダフとラブは不快な気持ちで見守っていた。彼らの主人であるエリスが、嫌がると分かっていたからだ。ハルもルークの事を射殺しそうな目で見ていたが。

 

「おやおや、コルネオン公爵。我が娘は未だ爵位を継いでもいない学生の身。公爵夫人のお茶会にお招きいただけるような身分ではございませんよ」


 穏やかだが、キッパリとラース侯爵はルークの誘いを断った。

 確かに、公爵家の妻という高位の女性の開く茶会に参加できるのは、同じく高位の貴族家の奥方ぐらいだ。学生の身分である未婚の令嬢が誘われるのは、両家の関係が家族の様に親密な時ぐらいだ。

 つまりラース侯爵は、コルネオン公爵と親しい仲ではないと言い切り、今後も親しくする気はないと示したようなものなのだ。


「兄の言う通り、本当に君たちは、権力に興味がないのだな……」


 あまりにキッパリと断られた事に、ルークは半ば呆然と呟く。

 ハルを口説くために、ルークはこれまで数えきれないほどラース侯爵家を訪れている。その度に、訪問を嫌がられる事もなくラース侯爵自ら歓待してくれていたので、少しはこちらに好意的であろうと思っていたのだが。

 

「まぁ。コルネオン公爵閣下の訪問理由はハルだと分かっておりますし、お断りするのも面倒なので、応対ぐらいはいたしますよ」


 のほほんとさり気に毒を吐くラース侯爵に、ルークは絶句した。その言は侯爵家の長とは思えぬほど、不遜なものだ。


「娘の伴侶を決めるのは、学園を卒業した後と決めております。今のところは何も考えておりません。ハルがその候補に挙がるかは彼の実力次第、といったところですなぁ」


 至極どうでもよさそうに、ラース侯爵は続ける。実際に伴侶を選ぶのは父親であるラース侯爵ではないので、何も考えていないというのは本当だ。

 

「だが私は、どうしてもハルに仕えて欲しいのだ。私の描く未来は、ハル無しではありえない」


「勝手に人をお前の未来に組み込むなストーカー」


「私は絶対に君を諦めないよ、ハル」


「……ははは。ハルも随分と気に入られたものだ」


 ルーク・コルネオンのラース侯爵家訪問は、いつもこんな風に何の成果もなく終わるのだが、本人はそれなりに楽しい時間を過ごしているようだった。




 



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