14
「ハル・イジー。私のモノになれ」
開口一番、そう言われた。
西棟の貴族牢。治療の必要な囚人が入れられる牢で、ハルがいる貴族牢より、比較的警備が緩い。
だが囚人を収監する牢なので、結界の魔術陣が敷かれている。それを難なく通り抜けて、ルークに会いに来たハルだったが、冒頭の言葉で思わず床に膝を突いた。
記憶がないだけで、まったくいつもと変わりがなかったというエリフィスの言う通り、ルーク・コルネオンは非常に堂々とした態度で牢にいた。公爵が身に着けるには簡素な囚人服、粗末な家具。だがそんな中でも元王族たる風格は失われていない。
「む。お前は誰だ。ハル・イジーという名なのか?」
自分で言ったくせに、どうやら意味を理解していないようだ。記憶を失う前はハルに何度も同じ台詞を言っていたので、反射的に出てしまったのだろうか。
「……こっの、忌々しいストーカーめ」
怨嗟の声を上げるハルだったが、内心は無事なルークの姿にどこか安堵していた。
望んでもいない腐れ縁の相手だが、流石に事故の上に行方不明なのは寝覚めが悪い。
「記憶がなかったのではないのですか?」
ハルが問えば、ルークはからりと笑う。
「ああ。全く何も覚えていない。自分の名前も何もかも、空っぽだ」
記憶がないというのに、不安もないようだし動揺もしていないルークに、ハルは溜息を吐く。ルーク・コルネオンという男は、生来、楽天家なのだ。記憶を失ってもなお、その性分は変わっていないらしい。
「今のご自分の立場は分かっていらっしゃいますか? 陛下や王太子殿下の命を狙った容疑が掛かっているのですよ?」
「他の奴らにもそう言われたのだがなぁ。そういう事はしていないと思う」
あっけらかんと答えるルークに、ハルは胡乱な目を向けた。
「その根拠は何でしょうか? 記憶がないんですよね? 記憶をなくす前に、もしかしたらそういう事を企てたかもと、不安になったりしないんですか?」
あまりに能天気なルークに、ハルは八つ当たり気味に告げた。他人を巻き込んでいるくせに、少しぐらい悩めと、文句を言いたい気分だ。
「うーん。根拠と言われても何もないが、俺はそういう事は好かん。裏でネチネチと画策するなど、陰湿ではないか。やるなら正々堂々と勝負を挑む」
余りにルークらしい答えに、ハルは更に脱力した。真っ直ぐ馬鹿なルークと絡むと、いつも謎の疲労感を感じてしまうのだ。
「だがなぁ。記憶がなくても、この状態はなんだかマズいと思うのだ。俺の兄と甥が狙われているということなのだろう? それは駄目だ。だから」
そのルークの声の調子に、ハルは嫌な予感がした。
ハルの有能さを信じるが故に、出来ないはずがないというゆるぎない信念のもと、学生時代から繰り返されてきた、ルークからの無理難題。
いつもの決まり文句が出る前に、撤退しようとしたハルの耳に、その言葉は無慈悲に響いた。
「ハル・イジー。お前を見込んで頼む。何とかしてくれ」
本当に、記憶がないのだろうか。記憶がないくせに、何故、一言一句同じ台詞が吐けるのか。
ハルは拳をギリッと握りしめた。こんなヤツ、やはり放っておけば良かったのだ。学生時代からの腐れ縁など、さっさと断ち切っておくべきだった。
ハルが、ルークの言葉に従う理由なんてない。
本来なら、身分差を考えれば上位の貴族の命には逆らえないものだが、ハルにそんな常識は通用しない。
だが、ハルは知っているのだ。ルークの命に素直に従っていた方が、面倒ではない事を。
断れば、ハルが受け入れるまでルークはハルに粘着し続ける。真っ直ぐ馬鹿は、出来ないなんてハルの言葉を受け入れない。お前ならできる、自信を持てと、至極真っ当にハルを励まし続け、受け入れるまで諦めないのだ。結局、ルークの命に従った方が最も労力が少なく、早く物事が片付くのだ。
「忌々しい……!」
その上、悲しい事に今回はハルの目的とルークの命は一致していた。ハルは犯人を捕まえて、自分の汚名を雪ぎ、さっさとラース侯爵家に戻りたい。ルークは家族の安全のために、犯人を捕まえたい。
不本意ではあるが、ハルは結局、今回もルークの命に従う事になってしまうのだった。
◇◇◇
「まぁ、ハル。来てくれたのね」
ふわりと微笑むエリスに迎えられ、ハルのささくれ立った気持ちが癒されていく。
胸糞悪いストーカーとの対面の後だと、エリスとの逢瀬のなんと甘美な事か。
背後に控える実の弟と妹の、また来たのかと言わんばかりの冷ややかな視線などものともせず、ハルはいそいそとエリスのアフターヌーンティーの準備をした。至福の時だ。
「ハルの淹れてくれる紅茶、美味しいわね」
紅茶を一口飲んで、ほぅっとため息を吐くエリスに、ラブが悔しげな顔をする。
ラブが紅茶を淹れた時だって、エリスは言葉を惜しまず褒めてくれるけれど、あんなにリラックスした表情を見せるのは、やはりハルの紅茶を飲んだ時なのだ。茶葉も温度も手際も完璧な筈なのに、どうしてもハルには一歩及ばない。
だらしなく頬を緩めているハルを睨みつけ、ラブはこっそりと心の中で下剋上を誓う。
絶対にハル兄様より美味しい紅茶を淹れられるようになってやると。
一方でダフは、ハルの一挙一動を目を皿の様にしてみていた。
エリスの侍従として、執事見習いとして働くダフは、ハルの様に指先の隅々まで優雅に振舞う事が出来ない。エリスの前ではデレデレになるのを差し引いても、ハルは一つ一つの所作が断然に美しい。これはダフがこれまで護衛としての役割に重きを置いていたせいでもある。マナーや立ち振る舞いに手を抜いたつもりはないが、ハルに比べるとどうしても見劣りがしてしまう。エリスの側に仕えるならば、ダフは全てが一流でなくてはならないのだ。今のままでは圧倒的に足りない。
なにより、あんなにやけ顔のハル兄ぃに負けているなんて嫌すぎる。絶対に追い抜いてやる。
双子から敵愾心を燃やされている事など露知らず、ハルは端的にこれまでの経緯をエリスに報告する。
「影たちからも報告を受けているわ。コルネオン公爵の記憶障害は本当のようね」
思案気にエリスが呟く。ハルの指示を受けた影たちからは、前回の失態を取り戻すべく、詳細な報告が毎日上がってきている。流石にコルネオン公爵に直接接触をしてはいないようだが、事故後の医療の記録から取り調べの報告書まで、どうやって持ってきたのかと思えるものまで揃っていた。彼らもシュウから『次はない』と宣告されているため、死に物狂いだ。
「なんとか記憶を取り戻させる方法はありますでしょうか」
「難しいわね。頭の怪我というのは表面的な傷を治すだけでは済まないから。頭の中を魔術で直接『再生』させるのは理論上可能なのだけど、力加減が難しいの。下手すれば廃人になってしまうのよ」
まるで試したことがあるかのようにそう断言するエリスに、双子はは引きつった笑みを浮かべる。エリスは『過去の文献で読んだだけよ?』と双子に微笑んだが、その笑みの冷たさに余計に怖さが募った。
「コルネオン公爵がこのまま王族を襲った犯人だと確定すれば毒杯を賜ることになるのですから、一か八か試してみてもいいのではないでしょうか?」
こちらも冷たい笑みを浮かべて、ハルは学園以来の知己に対し非情な判断をする。厄介事に巻き込まれ、エリスから引き離されている鬱憤が大分たまっているようだ。
「ハルったら、冗談が過ぎるわ。公爵閣下にそんな無体が許される筈がないでしょう。陛下も王太子殿下も、公爵閣下が犯人だなんて露ほども信じていらっしゃらないもの、許可が出る筈がないわ」
コロコロとエリスは笑う。陛下からの許可が出たらやる気だったのかと、双子はこっそり戦慄した。
「そうねぇ。頭の治療には、治癒魔術より魔法薬の方がいいかもしれないわ」
「魔法薬でございますか?」
ハルは意外そうに目を瞬かせた。一般的に、魔法薬は治癒魔術の補助的なものだと考えられている。例えば大きな切り傷を負った場合、傷自体は治癒魔術で治すのに対し、失った血を取り戻したり、傷を負った恐怖心を和らげたりといった役割を魔法薬は果たす。
「補助的な役割を果たすことが多い魔法薬だけど、腕の良い魔法薬師による魔法薬は、『万能薬』といわれるほどの効果を発揮するの」
魔術師より下に見られがちな魔法薬師だが、魔法薬という物はそう簡単に作れるものではない。必要な素材を揃え、分量を見極め、生成に必要な魔力を込めて作り上げる。一流と言われる魔法薬師は、自らの魔力を分け与えて育てた薬草を使用することで、通常の2倍、3倍の効果を発揮する魔法薬を作り上げる。すべてが絶妙なバランスで調合された魔法薬は、治癒魔術以上の効果を発揮するのだ。
「昔から、病気や繊細な器官の治療には、治癒魔術は魔法薬に敵わないと言われているわね」
治癒魔術は傷ついた部分を魔力で活性化させ回復させる。だが、病気の場合は悪い部分まで活性化させてしまうこともあるし、繊細な器官には過剰な魔力に耐えられないこともある。そのため、症状によっては治癒魔術よりも魔法薬の方が適していることがあるのだ。
だが、失った記憶を取り戻させる魔法薬など、作ることができるのだろうか。よほど実力のある魔法薬師でないと、実現は難しいだろう。
「わたくしが知る魔法薬師の中で、そんな繊細な魔法薬を作れるのは、お1人しか思いつかないの」
エリスは悩まし気に溜息を吐いた。ハルも薄々、その人物に心当たりがあった。
「メル・レノール嬢ですね……」
ハリーの婚約者であり、稀代の天才と言われる魔法薬師メル・レノール。彼女はエリスの兄ハリーの婚約者だ。きっと、この話を聞けば、躊躇せずに協力してくれるだろう。
「でも、行方不明なのよねぇ」
「……こんな時にっ」
ハルがガクリと項垂れる。ハリーが八方手を尽くして探しているが、メルの行方は未だに杳として知れない。
「そもそも、どうしてメル様は居なくなってしまったのかしら。あれほど仲睦まじくていらっしゃったのに、ハリーお兄様との結婚がそれほど嫌だったのかしら? 」
婚約者同士での交流のため、2人はお互いの屋敷を良く行き来していた。当然、エリスもメルと何度も顔を合わせており、2人の関係は良好そうにみえた。
「まぁ、お兄様の愛は重すぎて気持ち悪いのだけど、表には出ていなかったし。メル様がそれに気づいているようには見えなかったのよねぇ」
「確かに! 私、ハリー様とメル様の御関係は、完全な政略結婚だと思っていました」
「俺もです! 」
エリスの言葉に、双子は激しく同意した。メルが居なくなって初めて知れたハリーの重苦しい愛情。ハリーはそれまで、メルに対して常に紳士的で常識的な態度を崩さなかった。魂に魔術陣を刻むだとか、狂気的な一面など見せた事はなかった。余りの変貌ぶりに、双子も驚いたぐらいなのだ。
「メル様も、侯爵家の後継でなくても、病気でも構わない。どこまでも付いて行くと仰っていたのに……」
色々な恋愛小説を読み漁っているエリスにも、一途なメルの心変わりの理由が分らなかった。婚約者であったハリーも分かっていないのだから、仕方がないのかもしれないが。
ちなみに、まだ恋愛なんて興味がないお子様な双子にも、そもそも一般常識すら怪しい狂犬執事にも、メルがハリーから離れた理由を理解できるはずも無く。
「こういう時は、周囲に相談してみるに限るわね」
エリスは早々に考えるのを諦めて、頼りになる友人の顔を思い浮かべたのだった。




