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残りは明日投稿します
金髪の男が川から流れてきた時、マルタ村は大騒ぎになった。
マルタ村はロメオ王国の端っこにある小さな村で、村長を含めて村民の数は28名しかいない。若者は仕事がないので大きくなると村を出てしまい、村民の殆どが年寄りばかりで、細々と畑を耕して暮らしている。あまりにド田舎過ぎて、ロメオ王国でもこんなところに村がある事を知っている人はほとんどいなかった。
そんな状態だったから、国王の実弟であるルーク・コルネオン公爵が行方不明になっているだなんて情報も、平和な村には届いていなかったのだ。
そんな村の側を流れる川の上流から、金髪、碧眼、綺麗な顔立ちの男が半裸の状態で流れてきた時、純朴で信心深い村人たちは、はじめ、ルークを女神の遣いだと思ったらしい。意識を失っていたルークは村の老人たちの手で村長の家に運び込まれた。ルークが意識を取り戻した後も、村人たちは彼を丁重に扱い、心を込めて世話を続けていたのだった。
女神の遣いがコルネオン公爵だと判明したのは、村に行商が訪れたことが切っ掛けだった。
行商はコルネオン公爵の顔など知らなかったが、村人たちが保護している女神の遣いの特徴を聞いて、すぐに行方不明となっているコルネオン公爵だと気付いた。それぐらい、コルネオン公爵の事故は都では有名だったからだ。
マルタ村には、すぐに騎士団と魔術師団が駆け付けた。騎士団や魔術師団の中では、なぜ意識を取り戻したルークが王宮に知らせなかったのかという事が問題になっていた。やはり、陛下や王太子を狙ったのはルークなのかと、騎士団の中でも先陣を切って駆けだしたフィンの中に疑念が渦巻いていた。
マルタ村に着いたフィンは、足早にルークがいるという村長の家に向かった。
ルークは粗末な寝具に横たわっていた。少々顔色は悪かったが、大きな怪我などしていないようで、フィンはほっとした。やはり無事だったと、心中で女神に感謝の祈りを捧げる。
だがフィンはルークを追う近衛騎士団の騎士だ。心の底からルークの無事な姿を見て安堵しているというのに、彼の身柄を拘束しなければならない。フィンはぐっと拳を握り締めた。
「ルーク・コルネオン公爵! 詮議があるため、ご同行願おう!」
感情を切り捨てるように、フィンは怒鳴った。
ルークの青い瞳が、フィンを認め。幼子の様なきょとんとした顔で、それでもどこか堂々とした態度で、口を開く。
「君は私を知っているのか? ルークというのは私の名前か? 君は、誰だ?」
◇◇◇
「記憶喪失?」
「どうやら川に落ちた際に、頭を打たれたようだな。頭の傷は王宮で治癒魔術を受けたが、記憶の方は戻らないようだ」
再びエリフィスの執務室に訪れたハルは、思いもかけない話に目を瞬かせる。
ちなみにこの日はマーヤの姿は執務室になかった。ルークが見つかったことにより、大騒ぎな王宮内の手伝いに駆り出されているらしい。ハルはあの粗忽な教え子が、一丁前に王宮で働いている事に素直に感心した。猪みたいに前に突き進む事しか出来なかったマーヤも、成長しているようだ。
発見されたルークは保護されていた村から王宮へ運ばれ、侍医の治療を受けたが記憶喪失を治すのは難しいと判断されたらしい。
「侍医も記憶の喪失など繊細な部門の治療は経験がないらしい。私まで呼ばれて、判断を仰がれた」
攻撃魔術ばかりに重きを置いている魔術師団の魔術師たちに比べれば、エリフィスも多少は治癒魔術を使えるが専門外なのだが。侍医たちも困り果て、藁にも縋る思いでエリフィスに声を掛けたようだ。
「陛下からはなんとか記憶を取り戻すことが出来ないかと聞かれたが、私は医者ではないからな」
ルークの発見により事件は一気に解明に向かうかと思われたが、ルークの記憶喪失により、記憶喪失自体を疑う者と、容疑者とはいえ公爵相手なのだから慎重に捜査すべきとする者と、意見が分かれているらしい。国王も頭を抱えているのだとか。
「今、あのストーカーはどこにいるんだ?」
ハルとルークが学園時代からの気安い仲だと聞いてはいたが、仮にも公爵閣下に対するその余りにも酷い呼び名に、エリフィスは声を鋭くした。
「誰の耳があるか分からない王宮内で、不敬な物言いは控えろ。お前の牢とは反対の西棟の貴族牢だ」
王宮の西棟の貴族牢は、医療が必要な囚人が入れられる牢だ。ルークはそこで、記憶はないが堂々とした様子で暮らしているという。
「お会いしてみたが、あれは疑われても仕方がない。記憶はないのに、言動は全く変わっていなかった」
苦笑するエリフィスに、ハルは鼻を鳴らした。
大らかで快活、紳士的で公正明大。ルーク・コルネオンは、昔から変わらない。
そんな事は、嫌というほどハルは知っている。あの男が変わるはずがないのだ。
「会ってみるか……」
「そうだな。お気に入りのお前の顔を見れば、記憶が戻るかもしれない」
「気色の悪い事を言うな!」
「お前が公爵のお気に入りなのは周知の事実だ。妙な噂が立つぐらい、いや……」
歯切れ悪く、エリフィスは言葉を切る。ハルが片眉を上げる。
「妙な噂……? なんだ、言ってみろ」
低くなるハルの声に、エリフィスは苦虫を噛み潰したような顔をする。
「王家は緘口令を敷いているが、コルネオン公爵が狩猟大会の犯人ではという憶測は貴族間の中で大きくなっている。お前が捕らえたられたのも、その噂に信憑性を増す結果になった」
ハルはグッと黙り込んだ。
今回、ハルが狩猟大会の容疑者として捕らえられた事で、イジー家だけではなく、主家であるラース侯爵家に多大な迷惑を掛けたのは分かっていた。ラース侯爵は事態が収まるまではと王宮への出仕を自粛しており、社交も一切断っている。一応、罪が確定するまではあくまで容疑者だが、疑われたというだけで、貴族としては弱みとなり、瑕疵となるのだ。
それでも、偶の逢瀬の際にも、エリスは『何も気にする事は無い』と言ってくれる。
これほど迷惑を掛けているハルを切り捨てるなど、考えてもいないようで、信じてくれている。
それがハルには悔しかった。エリスの為に在るべき存在である自分が、エリスの足枷になるなど。自分自身が許せなかった。
これではシュウの言う通りではないか。こんなことではエリスの側にはいられない。エリスに『ハルでなければ駄目だ』と思われたい。エリスの唯一に、エリスの全てになりたい。ハルが居なければ生きていけないようになればいい。
「考えている事が気持ち悪い」
ゴミでも見ているような目でエリフィスに見られ、ハルは顔をそむけた。
「それで、だ。そこから、噂が妙な事になっている。お前と公爵が恋仲だと」
「……はぁ?」
エリフィスから語られた話に、ハルは素っ頓狂な声を上げた。同時に、爆発しそうな怒りが湧いてくる。
「誰が、誰と、恋仲だと?」
バチバチと魔力がハルの身体から放たれ、紫電が飛び散る。それを鬱陶しそうにしながら、エリフィスは苦々しく告げる。
「俺だってこんなくだらない噂、聞きたくもなかった。だが、公爵夫人がラース侯爵家に突撃しただろう。あの一件も、どこから漏れたのか広がっていてな」
コルネオン公爵家のセイディ夫人。彼女に泥棒猫と罵られ、頬を打たれたのを思い出し、ハルは頭を抱えた。夫婦共々、何と厄介を掛けてくれるのか。
「念のため、噂の出所を探らせる……」
ぐったりとしながらもハルは声を絞り出す。さしものエリフィスも、ちょっとだけハルに同情した。無実の罪で捕らえられた挙句、面白おかしく流された噂。いくら世情を気にしない狂犬執事とて、ダメージは大きいだろう。心の底から気に喰わない男だが、ざまぁみろという気持ちにはなれなかった。
「エリス様から、コルネオン公爵の捜索のために、魔力痕跡を特定する魔道具の開発を命じられていたのだが……」
エリフィスは歯切れ悪くボソボソと告げる。
魔力の痕跡を特定する魔道具。完成すれば事故現場からルークの魔力痕跡を辿り、本人を探し出すことも出来ただろう。その前にルークが見つかったので魔道具は必要なくなってしまった。
「公爵の捜索には間に合わなかったが、証拠品から魔力痕跡を辿れるようになるまで、精度を上げて改良している。完成すれば真犯人の魔力の痕跡も測定できるだろう」
エリフィスの言葉に、ハルは目を眇める。
このいけ好かない野良魔術師が、ハルの為になぞ動くわけがない。一体、何を企んでいるのかと、いぶかしんでいるのだ。
そんなハルの疑心を正確に読み取って、エリフィスは馬鹿にするようにふんと鼻を鳴らした。
「さっさと真犯人を見つけろ。ラース侯爵家を陥れる真似をしたのはそいつだと、この俺が証明してやる。いつまでも我が君に迷惑を掛けるな、この駄犬が」
「生意気な。お前ごときの手を借りる必要などない」
拗ねた子どもの様な言葉を残して、ハルは姿を消した。いつまでも成長しない我儘な駄犬に、エリフィスは盛大な溜息を吐いた。




