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「また抜け出しやがったな」


 一瞬、ゆらりと揺れた魔力にガスが顔を上げれば、悪びれた様子もないハルが檻の中に立っていた。

 その身に纏っているのは、執事服。この男は、()()()に出かける度に、わざわざ執事服に着替えているのだ。支給される簡素な囚人服は生地の質が悪いから、()()()()()()では着られたものじゃないとぶつくさ言っていた。貴族牢の囚人服は、平民のガスからしてみれば高級品である。囚人服より粗末な服で普通に出歩いているガスに、喧嘩を売っているのだろうか。


「ちゃんと戻っているのだから、問題はないだろう」


「馬鹿か、お前は。そもそも囚人が牢を抜け出すのは大問題だろうが。宣言した時間通りに戻って来るからと言って、大きな顔するんじゃねぇよ」


 ブツブツと小言を漏らすガスに、ハルは器用に片方だけ口角を上げる。


「そもそも無実の罪で捕らえられたというのに、大人しく囚人として付き合ってやっているのだ。これぐらいは許容してもらわなければ割に合わん」


「……お前にも色々言い分はあるんだろうけどよ。無実なら、そりゃあ何としても汚名を雪ぎたいだろうよ。でもよ、だったらなんで、抜け出す理由が『主人にアフタヌーンティーを供するため』なんだよ。普通そこは、無実の証拠探しが理由だろうが」


 偉そうにふんぞり返るハルに、ガスは深々と溜息を吐いた。

 囚人、ハル・イジーが、本人曰く無実の罪でここに囚われて、そろそろ1月が経つ。

 その間、毎日とは言わないが、結構な頻度でハルは牢から抜け出してた。無実の汚名を雪ぐ捜査の為かと思いきや、半分ぐらいは『エリス様』に茶を供するためだった。


 あの日。牢を抜け出したハルに『お帰り』と間抜けな出迎えをしてしまったガスは、この面倒な囚人に何故か気に入られて(目を付けられて)しまった。それまでの寡黙さはどこに行ったのか、ガスに対して食事が不味いとか、茶が不味いとか、掃除が行き届いてないとか、不平不満を垂れ流すようになった。ちなみに、他の者が牢番の時は何もしゃべらないらしい。そんな特別扱いはいらない。

 

 この男、ガスが牢を抜け出している事をどこにも報告しないと思って、我儘放題になっているのだ。別にガスはハルを庇って報告をしていないわけではない。どうせまたガスが報告しても、他の人間がいる時には、ハルは牢の中で大人しくしているのだ。信じて貰えないのに報告したって意味はないどころか、ガスの方がおかしくなったと言われかねない。


「私は妥協して! 身を切られるような思いで、偶のアフターヌーンティーの時間()()エリス様のお側に侍っているんだ。エリス様も、『わたくしもハルを助ける手立てを考えてみるわ』と仰って下さるからこそ、お側を離れて、面倒な捜査をしているんじゃないか。こんなわずかな時間ですらお側にいられないなら……。真犯人など、この国ごと滅してやる」


 虚ろな瞳で黒く笑うハルに、ガスは鳥肌を立てた。


「ヤメロ! お前が言うと冗談に聞こえねぇよ! わかった、わかったから! 気の済むまでご主人さまの側にいろよ!」


 ハル・イジーは、その美貌や優秀さとは裏腹に、残念過ぎる変人だった。

 奴の中には、『エリス様』への想いしか詰まっていない。それはドロドロと粘度が高く、愛と呼ぶには気持ち悪いものだ。

 ガスは会った事もない『エリス様』とやらに、心の底から同情した。こんな気持ち悪いモノに執着されて、真っ当なお嬢さんに耐えられるのだろうか、お綺麗過ぎる外面や優秀さに騙されていやしないかと、心配になった。

 

 しかし、ガスはハルが冤罪であるという言い分は、信じていた。別に、ガスはハルとの交流を通して信頼に値する人物だなんて思ったわけではない。

 まず、この男に王位を簒奪しようという気概が感じられない。ハルは、口を開けば『エリス様』への愛を垂れ流し、側に居られないことを嘆き、自分をこんな目に遭わせた真犯人への怨嗟を募らせている。徹頭徹尾、全ての行動基準は『エリス様』になっている。

 ガスにはそれが驚きだった。良くは知らないが、貴族というものは自分の家だとか、王家を大事にするものなのではないだろうか。

 

 次に、今回の王族の襲撃が失敗に終わったことだ。

 魔術に疎いガスですら、ハルの魔術に関する能力がおかしいという事は分かる。普通の魔術師は、気軽に転移魔術を使ったり、収納魔術とかいうもので気ままに魔術空間から物を出し入れしたりしない。ガスの前では自重などしないハルは、質素な貴族牢での生活を快適にするために様々な物を持ち込んでいる。上等な茶器に贅沢な菓子、ふかふかの枕に布団、そして、精神安定のための『エリス様』のハンカチ。これは、『エリス様』の側を離れるのを嫌がり、牢に戻りたがらなかったハルの為に『エリス様』が手ずから渡してくれたものだそうだ。そのハンカチに顔を埋めて、『エリス様の匂いがする』と恍惚としているハルは、心底気持ちが悪い。

 残念さはただようものの、これほど優秀な魔術師が王族の命を狙ったのならば、とっくに暗殺は成功しているだろう。ガスは長年王宮に勤めているが、これほど残念で優秀な魔術師はお目にかかった事がない。ハルなら、()ろうと思えばいつだって()れる筈だ。


 なぜハルが牢から完全に逃げ出さずにいるのか。それはやはり、冤罪の汚名を雪ぐためだった。

 牢を抜け出して国外脱出など簡単だが、それだとハルの全てである『エリス様』と離れることになる。しかも、『エリス様』が次期当主として立たれるラース侯爵家に多大な迷惑を掛ける事になる。


 ラース侯爵家。王宮務めの長いガスなので、ラース侯爵家の名前ぐらいは知っている。逆に、名前しか知らないという事は、それ程目立たない貴族家であるということだ。権勢が強い家などは、王宮内で何度も名前が挙がり、平民の使用人の耳にすら入るものだ。

 そんな目立つことのないラース侯爵家だが、この規格外の男ハルが心酔している貴族家なのだ。きっと、平民のガスなどには分らない凄い家なのだろう。


 今のところ、これといってハルの捜査は進んでいないようだ。エリス様にかまけてばかりだから仕方のない事だと思うが。騎士団の捜査も難航していると聞いている。物的証拠は揃っているのだが、国王の実弟であるコルネオン公爵が関わっているため、国王自身が慎重な捜査を命じているのだとか。

 

「そういえばよ。お前がいない間、騎士団の方で何か動きがあったみたいだぞ。騎士たちが王宮を出て行った。魔術師団も一緒に」


 ガスがそうハルに告げると、ハルは眉を顰める。


「何か進展があったのか……」


「さぁなぁ。緘口令が敷かれているみたいで、俺たちの様な下っ端には知らされていない」


「……」


 暫し何やら考え込んでいたハルだったが、顔を上げるとキッパリと言い切った。


「もう一度出かけてくる」


 その言葉に、ガスはギョッとした顔をする。


「もうすぐ、交代の牢番が来るぞ? 抜け出してるのがバレてもいいのかよ?」


「ガス、お前が引き続きここで待機していろ」


 さも当然の様にそう命じられ、ガスは声を荒げた。


「はぁぁ? 俺、もうすぐ勤務上がりなんだぞ?」


「上手くやれよ」


 そう言って、ハルの姿は再び掻き消える。


「……あんの、やろう」


 はらわたが煮えくり返るような怒りを感じたが、結局、ガスは次の牢番に申し出て、そのまま引き続き仕事を続けたのだ。女好きな同僚には、訳知り顔で女にでも振られて仕事に打ち込んで忘れようとしているのだろうと揶揄われた。ふんだりけったりである。

 それでもガスは、結局、ハルの言う通りにそのまま貴族牢で待機していたのだ。  

 

◇◇◇


「いるか? 野良魔術師」


「ヒイィィッ……って、ハル教官?」


 突然目の前に現れた男に、魔法省副長官(エリフィス)付き魔術師であるマーヤは上げかけた悲鳴を呑み込んだ。

 すわ侵入者かと身構えたが、そこにはかつて、ラース侯爵領の高等教育を受けた際に世話になった教官の姿があった。


「ん? お前は、マーヤか? そういえばラース侯爵領の高等教育を受けた後、魔法省に入省したんだったな」


 ハルは目当ての野良魔術師(エリフィス)がいない事に舌打ちをしつつも、かつての教え子の姿に目を瞠る。凡庸な顔立ちだが、好奇心でキラキラと輝く瞳は、子どもの頃から変わっていない。


「嘘っ! ハル教官が『お嬢様』以外の人の名前を覚えている? まさか偽物?」


 一方のマーヤは、かつてのハルからは考えられない普通の人間らしい言動に、思わず杖を構えた。


「ハル教官の名を騙る偽物! エリフィス様の執務室に何の用だ?」


「誰が偽物だ、相変わらずの粗忽者め」


 何の躊躇もなく攻撃魔術をぶっ放そうとするかつての教え子に、ハルは容赦なくその頭を鷲掴みにした。もちろんマーヤの攻撃魔術はハルに無効化されている。


「状況をよく見て慎重に判断しろと、何度言わせる気だ」


「頭っ! 頭が潰れます、やめて! あああー。この男女を問わず鬼畜な対応は確かにハル教官! 冷静に確認しました! 本物です!」


 頭を掴まれたまま足が地面から浮いた状態でガタガタと揺すられて、マーヤは必死に叫んだ。久しぶりの鬼教官の指導に、痛みと恐ろしさで目に涙がにじむ。


「この狂犬が! マーヤに何をしているんだ!」


 奥の部屋にいたエリフィスが、騒ぎを聞きつけ慌てて出てきた。マーヤを鷲掴みにしているハルを容赦なく蹴りつける。その反動でマーヤまで吹っ飛ばされそうだったが、そこはエリフィスが支えて事なきをえた。


「ううう。痛い」


「大丈夫か、マーヤ」


 エリフィスに優しく介抱され、マーヤは思わず顔を赤らめた。ああ、鬼畜教官に比べて、エリフィスの何と優しい事か。マーヤの中の恋心が、きゅんと音を立てる。

 ラース侯爵領の小さな村出身のマーヤは、優秀だったためラース侯爵家で高等教育を受けた。その頃から、優しく美しいエリフィスにもう何年も片思いをしている。平民の身でありながら魔法省へ入省したのも、エリフィス恋しさのあまり、追いかけてきたのだ。ちなみに、マーヤの恋心は鈍いエリフィスに全く気付かれてはいない。


「もう少し部下は厳しく教育しろ。私に向かって攻撃魔術を放とうとしたんだぞ」


 ハルが嫌味たらしくエリフィスに言うと、額に青筋を浮かべたエリフィスがニコリと微笑む。


「お前に攻撃魔術を向けたのならば、これ以上にない正しい対処じゃないか」


「ほう……。部下が部下なら、上司も上司なようだな」


 ハルとエリフィスの間で、バチバチと魔力が爆ぜた。マーヤはヒィィと悲鳴を上げる。ラース侯爵領にいる時から、この2人は不仲だった。寄ると触るとすぐに喧嘩になり、闘技場を何度もクレーター化させていた。こんな狭い執務室でこの2人が争えば、下手すれば部屋ごと吹き飛んでしまう。あの頃は他の教官たちが決死の覚悟で2人を止めていた。ここには頼りになる教官たちはおらず、マーヤしかいないのに、どうやって止めたらいいのか。 


 いっそラース侯爵家に居るであろう、もう一人の鬼教官(シュウ)に助けを求めようかと思ったマーヤだったが、それ以上に効果的な人物を思い浮かべた。


「エ、エリスお嬢様に言い付けますよー」


 みっともなく震えたマーヤのか細い声は、荒ぶる魔物の様な2人に劇的な効果を与えた。  

 2人の間にほとばしっていた魔力がシュッと吸い込まれる様になくなり、気まずげに咳ばらいをした後、大人しくテーブルを挟んで座る。それを見て、マーヤは命の危機が去ったとようやく安心できた。『エリスお嬢様』を拝みたい気分だ。


「それで。唐突に何の用だ。罪人の分際で牢から抜け出したのだから、それ相応の理由なんだろうな」


 剣のある声を隠そうともせず、エリフィスがハルを問いただす。

 ちなみに茶を出そうとしたマーヤを、エリフィスは止めた。こんな狂犬に出す茶などないと、笑顔で言い切ったのだ。


「私だって、こんな場所に好きで来たわけじゃない。何か魔法省と騎士団に動きがあったんだろう? 何があった」


 ハルがむすっとした顔でそう言うと、エリフィスは意外そうな顔をする。


「つい先ほどのことだというのに、駄犬の癖にもう情報を得たのか。騎士団も魔術師団も秘密裏に出発したのに、よく気づいたな?」


「私にも情報を得る伝手ぐらいある」


「なんでもかんでも力業で解決して来たお前が、随分と成長したものだ。今後、シュウ様を継いでラース侯爵家の『影』を束ねる立場になるのなら、その調子で精進して欲しいものだな」


 ハルはエリフィスを睨みつけていたが、口は開かなかった。ガスからは騎士団と魔術師団に何か動きが合ったようだと情報を得たが、それ以上の情報を得ようと思ったら、エリフィスを利用する方が早いと分かっていたからだ。偉そうに説教をされる謂れなどないが、今は我慢するのが得策だろう。


「見つかったんだよ」


 ハルの凶暴な目つきなど気にも留めず、エリフィスは淡々と告げた。


「ルーク・コルネオン公爵閣下が、()()された」


 







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