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「「ありえないっ!」」
シュウの言葉に、真っ向からそう反論したのは、シュウの息子と娘、ダフとラブだ。
「ハル兄ぃがコルネオン公爵のために王家の襲撃を指示?」
「そんなこと、するはずない!」
叫ぶ双子を、シュウがジロリと睨む。
「家族の情で根拠もなく、事実かどうかも分らんことを口にするな」
「「家族の情なんかじゃない!」」
シュウの言葉に、双子は声を揃えて歯向かう。
「あのハル兄ぃが、エリス様の願いならいざ知らず、あの公爵の為に指一本動かす筈がない!」
「ハル兄様は、王家が栄えようと滅びようと、髪の毛一筋分の興味も持ってないわ!」
双子は元からハルに家族の情なんてモノは持っていない。暴君とは弟と妹を虐げる存在であり、気を抜けば殺られる恐怖の対象だ。無様に近衛騎士に捕らえられ、ざまあみろと思ったぐらいなのだ。あのどこに出しても恥ずかしい兄が、王家の簒奪なんて壮大なものに加担する筈がない。そんな崇高な意思など持ち合わせている筈がないのだ。
双子の反論に、シュウの眉間の皺は一層深くなった。忌々しい事だが、双子の意見には全面的に同意をせざるを得ないのだ。
「……それでも、憶測にすぎない」
「大体、コルネオン公爵が王位の簒奪なんてするのか? 現国王と物凄い仲良しって噂じゃないか」
現国王と王弟は年が離れているせいか、国王が弟を可愛がり仲はすこぶる良好だと言われている。コルネオン公爵の結婚式に出席した国王が、花嫁を差し置いて号泣していたという逸話は、ロメオ王国では誰もが知っているぐらい有名だ。
「国王とは親子ほどの年の差がある。それゆえ、王太子殿下とは兄弟のように年が近い。現国王の座というよりも、次代の王の座を狙っていたのかもしれん」
「……」
年の近い王弟と王太子。どちらも優秀で、どちらが王となっても遜色ない。
それならば、王太子がいなければ、王になれるのかと、王弟は考えたのだろうか。
そのためならば、兄を、義姉を、甥を、甥の婚約者を、殺してもいいと考えたのだろうか。
ダフとラブは、ぎゅっと腕を握ってその恐ろしい考えを振り払った。
ダフとラブは兄が嫌いだが、だからといって、殺したいと思った事は無い。そんな、肉親を殺してまで何かを得たいと思ったこともない。それを当たり前に考えられる人間が存在して、それが自分の住む国の王になるかもしれないだなんて、なんて恐ろしいのだろう。
「それより、せっかくこんな面倒な事に巻き込まれたんだから、いっそ利用して爵位を返しちゃおうか」
そんな重苦しい空気には気づかないのか、ラース侯爵は能天気な事を言いだした。
「ほら。いまなら王家も混乱しているしさ。冤罪だけど、『うちの子が捕まった責任をとって、爵位を返上します』ってしおらしく申し出たら、許してもらえるかもしれないよ。それで、ハルを連れてどこかへ逃げちゃおうか。まぁ、ハルが居なくなれば大騒ぎになるかもしれないけど、国を離れればそのうちロメオ王国も諦めてくれるかもしれないよ」
能天気に願望を垂れ流すラース侯爵を、エリスはジロリと睨みつけた。
「お父様、本気でそんな事を考えていらっしゃるのですか?」
「えー。だって。エリスが卒業したらさっさと爵位を譲って領地に引っ込もうと思っていたのに、エリスは爵位を譲っても数年は王都に留まれなんて言うしさー。もう社交とか王宮での仕事とか面倒なんだよ。あーあ、兄さんもハリーも、爵位を継がない奴らはいいよなー。さっさと領地に戻って研究だフィールドワークだって楽しんじゃってさ。こっちは好きでもないパーティーやら茶会やら乗馬やら狩猟大会やらに付き合わされて、いい加減、解放してほしいよ」
次期当主の専属執事が捕縛されるという重大事件の中でも、ラース侯爵は全く動じていなかった。普通の貴族家の当主なら、使用人とはいえ家から逮捕者がでたら、家名を守るために大慌てで対処するものなのだが。ラース侯爵はこれを機会とばかりに爵位返上を狙っているようだ。
「エリスだって、侯爵家の後継より、のびのび研究三昧の方がいいだろう?」
甘言で惑わそうとする父親に、エリスは冷たい目を向ける。
「お父様。わたくしはそんな安易に物事が運ぶとは思いませんわ。あの国王陛下が、ラース侯爵家を簡単に手放す筈がありません。今回の事で、一番慌てているのは陛下ではございませんこと?」
「ははは。王宮から帰る間際に国王の所に寄ってみたんだけど、真っ青になっていたよ」
どうやら国王の御璽の捺されたあの命令書も、フィン・グラーデスを先頭に鼻息荒い近衛の調査団員たちに押し切られ、証拠として提出された書類にもどこにも不備はなく、出さざるを得なかったようだ。
「陛下もコルネオン公爵が犯人だなんて信じられないってさ。でも、犯人の家から出てきた依頼書の筆跡は、コルネオン公爵本人のものにしか見えなかったって」
国王が落ち込んでいて、10歳ぐらい老け込んだように見えたとラース侯爵は語るが、全く同情している様子はなかった。
「わたくし、レイア様が心配だわ。このまま捜査が見当違いの方向に進んでいけば、同じ犯人に狙われて、またレイア様が巻き込まれるかもしれないわ。せっかく作った守護の魔術陣も、レイア様には渡されていないようだし」
エリスの周囲が凍ってしまったかのように、冷ややかな雰囲気を纏う。ダフとラブはその恐ろしさにプルプルと震えた。
「それじゃあ、レイア嬢を王太子の婚約者候補から外してしまえばいいんじゃないか? 今回で一番の被害者はレイア嬢だ。王太子に嫁ぐのが怖くなったとかなんとかいって、辞退してもらえれば……」
ラース侯爵の言葉に、エリスは溜息を吐く。
「それはありえないわ、お父様。レイア様はこんなことで妃候補を辞退するほど柔な方ではないもの。むしろこんな卑劣な相手に屈してなるものかと、燃え上がっていたわ。それにとても責任感の強い方だから、自分が引いたら他のご令嬢が危険に晒されるかもとお思いになるわよ」
「へぇ。随分と勇ましい令嬢だね。そういえば、レイア嬢は誘拐された時も、敵に勇敢に立ち向かっていたんだっけ」
「ええ。とてもお強くて素敵なのよ」
友人を思い出し、エリスは少し頬を緩めた。今回の事件後、エリスはすぐにお見舞いにいったのだが、レイアは絶対に犯人を許さないと、怒りで燃え上がり、落ち込んでいる様子はなかった。怪我をして、怖い思いもしたであろうに、気丈に振舞うレイアのために、エリスは何とか力になりたいと思ったのだ。
「わたくし、事件を解決したいのよ。ハルの冤罪を晴らし、レイア様を傷つけた愚か者を捕まえたいの」
可愛らしく微笑むエリス。外見だけなら、可憐で、気の弱そうな令嬢だ。
だがそこには、抗いがたい圧があり、従わざるを得ない何かがあった。
「だから皆様、協力してくれるかしら」
ラース侯爵を除く、全員が『諾』と従うしかなかった。ラース侯爵は『皆、頑張ってねー』と気楽に応援していた。
ただ『諾』と従ったものの、ただ一人シュウだけは、不服そうに眉を顰めていた。
◇◇◇
「起きろ、愚息」
突然感じた気配に、仮眠を取っていたハルは飛び起きた。
王宮内にある貴族牢。一般的な牢と違い、簡素ではあるが室内は生活に困らないような調度品が揃っている。貴族は罪を犯しても、裁判で刑が確定するまで、その身分をはく奪される事は無い。そのため、このような最低限の調度品が備えられた牢に入れられるのだ。
「クソ親父」
ハルはシュウを睨みながらそっと暗器に手を伸ばした。騎士団の生ぬるい取り調べなどより、実の父親の方が余程、恐ろしい。シュウはラース侯爵家に全てを捧げた男だ。ラース侯爵家に泥をかける『お荷物』を密かに始末しにきたとしてもおかしくない。シュウにとっては、実の息子より圧倒的にラース侯爵家の方が大事なのだから。
「その暗器を仕舞え、愚息。お前を殺すなら、気配など感じさせぬ間に殺っている」
淡々と告げるシュウに、確かに、と納得してハルは暗器から手を離した。仮眠を取りながらも気配察知の魔術陣を張って警戒していたハルに、全く気づかれずにこの距離まで近づいたシュウだ。ハルが寝ている間に始末するぐらい簡単だろう。
「エリス様がお前の冤罪を晴らすために、事件を解決すると宣言された」
シュウの言葉に、ハルは動きを止める。
続いて沸き起こったのは、歓喜。そして。
「恥ずかしくはないのか、お前は。むざむざ敵に後れを取り、その挙句、主人に助けられることに」
淡々と告げるシュウの言葉は、ハルの心情を的確に理解していた。
エリスに心配されている事が嬉しい。それ以上に、自分が情けなく、恥ずかしい。
「お前はここで、エリス様が全て解決なさるのをただ待つだけのつもりか。そんな生き方を、あの方の隣でするつもりなのか」
シュウは淡々と、それでいて燃える様な目で、息子を睨みつけた。
「そうであるなら、エリス様がどれほど望もうとも、私はお前を認めはしない。エリス様にぬくぬくと守られるだけの者を、どうして我が主人の伴侶として認められようか」
「……っ俺は!」
反論しようとするハルに、シュウはフンと冷たくあしらった。
「認めてほしくば、この失態を死ぬ気で挽回してみせろ。お前が変わらぬのなら、ラース侯爵家の為に、私はお前を全力で排除してみせる」
シュウは踵を返し、ハルに背を向けた。そこには親子の情などなく、主家に全てを捧げる忠臣の姿しかなかった。
怒りと情けなさで俯くハルの元に、押し殺した囁き声が届く。
「若。どうか、我らに御命令を」
シュウの消えた後、滲み出るように現れたのはラース侯爵家に長く影として仕える男だった。ハルが生まれるよりも前から影として働き、実力も経験も豊富な男だ。それだけに、今回の失態を、深く悔いていた。
ラース侯爵家の影を統べる役目は、代々、イジー家が担っている。圧倒的な能力で君臨するシュウに、若いながらも引けを取らないハルは、いずれシュウを継いで影を率いる役目を担うだろうと、影たちから目されていた。
ただ、これまでのハルは、影たちを使うよりも、自分で動く事が多かった。エリスの目に留まるために、エリスの目を自分以外に向けないために、誰にも頼らずに自分だけで解決してしまう。影たちがどれほど鍛錬を重ね、力を付けても、ハルから仕事を任せられる事は殆どなかった。
「此度の失態で、若には取り返しのつかぬ傷をつけてしまいました。我らを頼りなく思われるのは、ごもっともでございます。ですがどうか、我らにも挽回する機会をお与え下さい」
男は伏したまま、懇願する。握り締めた拳から血が滴っていたが、気づく様子もない。
こうまで思い詰めているのは、彼だけではない。牢の中には姿は見えずとも、多くの影たちが潜み、息を殺してハルの言葉を待っていた。
「……まずは騎士団を探れ。やつらが掴んだ情報を、根こそぎさらってこい」
「……っ! はっ!」
いくつもの気配が、牢から消えていく。只一人姿を現していた男も、ぱっと顔を輝かせて、闇に消えて行った。
腹をくくらねばならない。
ハルを陥れ、恥辱を与えた者には相応の礼をするのは当然の事。
だがそれよりも、最強の敵を納得させるだけの成果を上げなくては、エリスの側に居るどころか、ハルの存在など簡単に消されてしまう。
そのためなら、影だろうとなんだろうと、利用出来るものはすべて利用しなくては。
「あの方の隣にいるのは、俺だ」
静かな牢の中、ハルは決意を籠めて呟いた。




