永遠の序章~千年王国の黄昏と56億7千万年の旅路編~
惑星規模の大暴発に巻き込まれ、半生半死の身となりながらも記憶はとりとめた。
辺境の無人星で採掘ロボットたちの監督をしていたアマミはステーションの救急病院でノイド手術をうけた。身体の損傷があまりにもひどかったためほぼ機械化した。
脳は奇跡的に無事だったが医師の勧めで、脳機能をすべてデータ化した。データは最新式の映像形式で保存され、ガラスのような透明カプセルに保存するというレトロブームにも乗った。カプセルを頭部のリーダーに差し込み脳の代わりとした。
受信装置さえあれば、中央図書館に保存されている自身の記憶とリンクして、わざわざ記憶を持ち運ばなくてもいい仕組みになっているのに、人間という生き物は形から入るのが好きでロマンティックな挙動をしたがるものである。
そもそも人間などという存在と宇宙にあふれるロボットたちとの違いは「人間として誕生した」というトレーサビリティと、いまだ未解明ながら最近流行りの「根源的潜在思考」という不確定要素だけである。
アマミは手術後すぐに辺境の無人星での作業に復帰した。
人間とはいえ、地上で産まれた第一世代ではない、ステーション産まれの第八世代である。産まれたときからロボットやヒューマノイドと暮らしている。同級生のほとんどが早期にノイド手術を受けていた。違和感はない。多様性の時代だ。
ヒューマノイドと婚姻契約を結び、遺伝子コード抽出結合法で得た子供と家族契約を締結した。幸せな時間を過ごした。
期間満了にともなう家族解散後は、期間延長申請をせず一人暮らしを選んだ。
土の上で暮らしてみたい。ステーションでの浮き雲生活はもうたくさんだ。辺境の惑星での仕事を選んだ。生命の存在しない星で作業にのみ従事する採掘ロボットたちと、原始の水分を含む岩石である水鉱石の採掘に明け暮れた。ここは、かつて生物に溢れた惑星だったらしい。進化の途上で運悪くステーションに発見され、開拓団を送り込まれた。知的生命体が出現する遥か前に刈られ、無住の星となった。ステーションは星の地下に眠る水鉱石を採掘し、かつて自分達の祖先が暮らした母星へ運んでいた。
水の惑星と言われた彼らの星は、原初の時代に衝突する小惑星が蓄えていた水鉱石により成立した起源をもつと解明されていた。星の保水量を超え枯渇し人類が住めなくなった母星を復活させるため、手頃な星を見つけると水鉱石の有無を詳細に調査することもなく岩石を採掘し母星に向けて運搬し、大気圏外から隕石のように落下、衝突させてきた。ほぼ信仰に近いやり方である。期待した結果はいまだ得られていない。
アマミはこれまでに何十という星を渡り歩き、すべて掘り潰してきた。そしてあの星で大爆発によりヒューマノイドとなり半永久的に土いじりができるようになった。
含水可能性のある鉱山を掘り尽くせばステーションにとって、その星は全くの用無しになる。そんな物好きは存在しなかったが、アマミが採掘ロボットを含めて星丸ごと買い取ることは可能である。
アマミの気持ちに変化があったのはヒューマノイドになっただけではない。監督していた採掘ロボットたちの変化を感じたからである。作業効率を上げるためだけに必要な最低限の人工知能しか搭載されていないが、その貧弱な電子脳にもいつしか感情というものに近い現象が生じたようだ。
どうやら、アマミの被災を「心配」し、復帰を「歓迎」しているようであった。アマミは素直に感動した。家族との契約を解除してからというものすっかり忘れていた感情だった。
彼らと共に楽園を創ろう。成功したら俺はまるで神様じゃないか。
ステーションの住人たちは、人間にはもちろん寿命があり、永遠の命をつなぐことが可能であるヒューマノイドにしてもロボットにしても数百、数千年も経てば「生きることに飽き」て自らをリサイクルする。記憶のカプセルを物理的に廃棄してもらい、遺伝子コードの映像は図書館に寄贈する。そして無作為に選定された誰かの遺伝コードと誰かの遺伝子コードが結合され新たに記憶の種が生産される。産まれたばかりでどこかの誰かと親子契約を締結する。
これまでの膨大な記憶はステーションのメインコンピューターでもある図書館に蓄積され歴史となっている。いつでも誰でも歴史を検索することは可能である。誰か一人の頭脳が継続して人類の歴史を引き継いでいるわけではない。かつてみんなの代表であった行政代理人がそれに挑戦したが、やはり「飽き」てしまった。結果としてこれまで、すべての脳はリサイクルされている。
だから永遠の命を持ちながらも誰一人として「神」になる者はいなかった。
神とは飽きない者なのだ。
アマミは何かを思いついてふっと笑った。
彼は突然現れた。
急に人類の記憶に記され、そしてある日、消された。萬帯和尚と呼ばれた。千年の長きにわたってこの国を統治してきた王家を廃した。みずから法王と称し絶対王制とした。旧体制に対する過酷な仕打ち。当初は支援していた一部の武官勢力と労働者階級も次第に離反し、粛清の嵐が吹き荒れた。全人口の三分の一が虐殺されたともいわれる。暴君と恐れられた。元々はただの純朴な愛すべき二人の青年だったのだ。
ヨロズは自然豊かな土地に生まれた。虫や植物を愛し、友人にも恵まれ。地方の片田舎、貧乏学者の一人息子として育ち、幼いころから才能を発揮した。中学校に通う時分には将来の展望が開け、大学在学中には階級社会の一歩を歩み始めた。
本人の才能は言うまでもなかったが、他の要因もあった。うだつの上がらない研究者だった父親がたまたま発掘した遺跡が、王国遺産に認定された。栄誉ある国王の謁見を受ける際にヨロズ自身も臨席を許可された。父親の出世を機に家族で王都へ引っ越すことにもなった。
ヨロズは元々、千年にわたる王国の歴史を通読することに長けており、全国大会の常連であったことから、宮廷官僚の中で少しは名を知られた存在だった。そもそも千年王国の国家運営を司る宮廷官僚こそは、歴史通読の優秀な子供たちが長じた姿だった。王国の千年にわたる歴史が生んだ儀式や有職故実などありとあらゆる文書や楽曲などを覚え伝え、前例と一部も違えず実行するのが宮廷官僚の仕事である。
ヨロズは大学1年生になったばかりで初級宮廷官僚職試験に合格し任官した。位人臣を極める宮廷官僚とはいえ、初級職は武官の中級職と同程度である。
記憶量の増加に比例して中級、上級と出世し、上級職となると個々の王族に仕える「雲上人」となり武官トップを上回る。そして仕えた王族の出世により上級宮廷官僚の出世も決まる。
王立大学在籍中の4年間で膨大な量のデータを頭脳にインプットし、首席で卒業したヨロズは同時に上級職試験に合格し任官した。あまたの天才たちのなかでも早い出世である。誇らしかった。
ただ、歴史上、高校生以前に雲上人になった事例はいくつかあり、現宰相が上級職として皇太子時代の現国王に仕え始めたのはわずか12歳、中学1年生のときであった。
さすがにプライドの高いヨロズでも、宰相の経歴は別格として意識しないようにした。
それでもヨロズは同世代では有名であったし、現在の雲上人の中では最年少である。彼のプライドは満たされていた。昔と比べて昇雲の平均年齢は上がっている。だから、ヨロズが皇太子付きの宮廷官僚になったのは当然のことだと受け止めている。当代随一の天才である自分が次期国王に仕えるのは当たり前のことである。殿下がご即位なされた暁には自らの宰相就任さえありうる。私の脳だけでなく血や肉、骨、細胞すべてに王国の千年が詰まっている。私自身が千年王国そのものだと、自負していた。
ただ、気に入らないことが2つある。
まず1つ目は、同じ皇太子付きの雲上人であるオビトのことである。現在の皇太子には5人の上級官僚が侍している。国王の侍従は10名、すべて閣僚である。閣僚は、宮廷官僚の他、議員、武官、そして王族が名を連ねるのだ。
話をオビトに戻す。オビトはヨロズより5歳年長であるが、雲上人になったのは、高校3年生のときであった。現宰相以来の天才と言われていた。ヨロズはオビトと比べられるのが嫌で嫌で仕方なかった。自分の方が優秀だと信じている。しょせん、オビトは早熟だけの人物であり、今では自分の記憶量の方が勝っていると信じ、これから実力を見せつけてやると息巻いていた。
もう1つの気に入らない点、実はこちらの方が腹立たしい。
王国遺産となった遺跡を発掘した父親の存在である。父親は、かの功績により議員に選出され雲上人にも特進していた。破格の出世である。彼の発掘した遺跡は国の起源に関する非常に重要なものだと説明されていた。
「親の七光り」そう言って揶揄する者たちもいる。出世した父親のお陰でヨロズも雲上人になれた。そんな陰口が聞こえてくる。ヨロズの父親は雲上人として王立博物館の館長を務めている。それほど位は高くない。しかし王族に近く、国王のご視察の際にはご先導を勤めることもある。その微妙な地位がさらに噂の炎に油を注いだ。
この噂の出所はオビトであるとヨロズは睨んでいた。事実、オビトもヨロズを嫌っていた。自分の後を追うように若く出世してきた後輩のよき兄貴分として振るまっているが、唾棄すべき風景である。オビトにも絶対的な自信があった。将来的に自分の宰相就任は確実であると思い込んでいた。宰相になった暁にはヨロズを閣僚には任命しない。前例踏襲が本筋の我々にとって前代未聞のことであろう。父親の跡を継がせて博物館長にでもしてやろう。そんなことを考えながらゾクゾクしていた。
千年王国は初代国王が全土を統一してから千年もの長きにわたりこの国を治めている、という歴史を誇る。千年というのはこの国では途方も無く長い時間、永遠にという意味を持つ。その永久の物語を宮廷官僚たちが謡うのである。
その歴史に矛盾が見つかった。どうしてもつじつまが合わない。
あの遺跡だ。
ヨロズの父親が発掘した当時は、千年王国の歴史を証明するものであり世紀の大発見だと讃えられた。遺跡からは先史以前の人類生活を示す痕跡、それも現代科学文明でも解明できないようなオーパーツの類が発見されていた。マスコミはこぞって、初代国王が営んだ伝説の王都であると騒ぎ立てた。
調査が進むにつれ宮廷官僚たちの記憶と整合性が取れなくなってきた。現在の千年王国のどの地域の文化にも該当する痕跡がない。継続性が見えない。少しずつ遺跡の発掘現場を広げていった。騒ぎ立てるマスコミに反して政府の温度は次第に冷めてきた。
“捏造”という公式発表があったのは程なくしてである。
発見者は不敬罪で捕縛された。雲上人の逮捕は過去にも例があるが、それはほとんどが汚職などである。今回も詐欺罪での立件がふさわしいように思われたが、不敬罪という極めて異例の罪状である。王国の起源に関する事項は不敬罪の第一号に挙げられているからだが、適用は史上初のことだった。
かつての国民的英雄には極刑が宣告されたが、国王による特赦で無期懲役のうえ流刑と減刑された。遺跡は王国遺産の認定を取り消され非公開となった。周囲は完全に包囲され禁忌地となった。
「天の川から神が降臨し、人類のはじまりとなった」
枢密院議長から全国民に向けて歴史観に関する公式布告があった。
甲冑のようなマスクとボディスーツで全身を覆っている。噂では百年以上生きているらしい。元々は先代国王の養育係兼相談役だったが、若くして即位した現国王の寵愛も受け、影響力では宰相をも上回る影の存在とまで言われ、これまで空きポストであった枢密院の議長を務めている。本来は、国王からの諮問に応える機関の取りまとめ役に過ぎない職である。先王の幼少期から仕えているという経歴が嘘でなければ確かに齢百年というのもあながち間違いではないのかもしれない。しかし、ここ数年は表舞台から姿を消していた。宰相による民主統治の実践運動により、黒幕的な存在は必要とされておらず、すでに隠居生活に入っているものと半ば忘れていたというのになぜこのタイミングで表舞台に姿を表したのか、公に言動を始めたのか、みなが訝しんでいた。
枢密院議長は何かを思い出したようにふっと笑った、ようにヨロズは感じた。
ここ数年表舞台にあらわれなかった枢密院議長から呼び出しを受けた。遺跡の捏造を咎められた父親はすべての資格を剥奪され、へき地へ流刑された。息子であるヨロズにも連座罰があるものと思われた矢先に枢密院議長の召喚を受けた。どうして自分がこんな目に合わなければならないのか。
枢密院議長の御前で千年王国の歴史を通読するよう命ぜられた。
一瞬躊躇したが、これが最後の通読かもしれぬと、ヨロズは渾身に謡いあげた。
「おまえの父親はたいしたものだ」
皮肉を言われている、そう思った。
「わしは、もう飽きかけていた。とうとうこの日が来たかと思った。そのとき、やってくれた。」
枢密院議長は、決して非難がましい目でヨロズを見ているわけではなかった。
「懐かしい物を見せてもらった。数千年ぶりか数万年ぶりか、もっとかのう。」
「あいつらがワシをそそのかしおるのじゃ。もっと遊ぼうと。まだだよと。」
ヨロズは特におとがめを受けなかった。それどころか後日、異例の通達があった。
皇太子付けの宮廷官僚から、国王付きの宮廷官僚へ異動となった。王族から王族への異動はまれではあるが皆無ではない。父から子へ代替わりの際に相談役が相続されるということはある。いまの枢密院議長がそれである。ただし、子から父への異動は千年の歴史の中でヨロズも通読したことはない。千年王国にとって通読したことがないというのは史上初の事例、異例中の異例ということである。しかも、罪人の息子であるヨロズに関することである。宮廷官僚たちにとって驚くべき差配だった。しかも、国王付けの宮廷官僚はすべてが閣僚であるということ、まさか、ヨロズが閣僚に抜擢…とまではさすがにならなかった。
今回の異例人事は勅令とはいえ枢密院議長が画策したことで間違いあるまい、さすがに国家を率いる宰相が黙っていなかった。
史上最年少で雲上人になった現宰相は、かつて枢密院議長から薫陶を受けていた。彼を引き上げたのは枢密院議長である。ただし、現国王に代替わりした頃から枢密院議長は表に現れなくなっていた。
「老体め、この期に及んで迷うたか。」
ヨロズは国王付けの補佐的な官僚として働くことになった。主には国王と宰相の伝令役を仰せつかった。それぞれが非常に長い伝文をしたためる習いであり、伝令役はすべて暗唱する。ただ、長い文章といっても定型に前例をはめ込んだだけであり、ヨロズの通読力であれば問題ない。ヨロズの能力を見込んでの就任であろうとまわりは次第に納得した。
この異動にライバルであるオビトは憤っていた。確かに次代のエリートは、皇太子に付き、代替わりと共に出世するのが通例である。オビトはその筆頭だ。ヨロズも同じ皇太子付きだったとはいえオビトの方が格上であった。だからヨロズが国王付きになったからといって、うろたえる必要はないのだ。しかし、国王と宰相の間を伝令役として活躍している姿は確かによく目立ち目障りだった。民衆の目には国家を動かしているメンバーの一員のように映っているのではないか。千年王国の習性として「定着」ほど歓迎されるものはない。早めに手を打っておかねば命取りにもなりかねない。しかし、オビトの憤りは別のところにあった。
今回の遺跡捏造事件。マスコミにリークしたのはオビトである。遺跡が発掘され、当初は世紀の大発見だと騒がれた頃、枢密院議長に呼ばれた。過去数回程度、王宮の儀式で遠巻きに姿を見たことはあるが、直に接するのは初めてである。序列的にはすでに同格であると思いながらも、怪しげな雰囲気にのまれ下手に出てしまった。
枢密院議長の執務室で遺跡捏造の話を聞かされた。枢密院議長の命令に従った。ヨロズを潰してやろうとも思っていた。目論見通りヨロズにダメージを与えた。このまま、皇太子付けの上級官僚をクビになり、すべての地位が剥奪されるはずだった。しかし、そうはならなかった。よりによって枢密院議長の指示により国王付きの雲上人となり、いまではすっかり活躍している。国王と宰相の覚えもめでたく「父親と子供は別人格である」というお触れまで出た。なぜ枢密院議長は矛盾する行動をとったのか理解不能である。
何万年も経ってすっかり忘れていた。
こいつらはわしの遺伝子コードから産まれた子供たちじゃないか。
採掘ロボットたちが故障したのはいつだったかな。
あぶない、あぶない。もう少しで飽きるところだった。
彼らの残骸が発掘されたのも何かの縁じゃ。
いい若者を見つけた。あれはステーションで家族契約をした最後の子に似ているかもしれんな。
あの子はもう飽きたかな。
自分で創った楽園じゃ、仕舞いの儀式を執り行うか。
これで、しばらくは飽きんじゃろ。
ヨロズは耳を疑った。
宰相が謀反を企んでいる。王族をすべて排除し、みずからが新しい国王に即位する。
枢密院議長は目の前で静かに語っている。謀反を防ぐためにヨロズを伝令役に抜擢したのだという。宰相に不穏な動きがあればすぐに知らせろと厳命を受けた。
にわかには信じ難い話だったが、宰相側にはオビトも加担していると聞いて覚悟を決めた。。
枢密院議長はオビトには全く逆の話をした。ヨロズと宰相を排除しろ。
宰相をはさんで二人の才気盛んな若者が着々と腹心を固め、宮廷内は一触即発の状態となった。
先に動いたのは意外にも宰相だった。遺跡捏造の罪でへき地に軟禁されているヨロズの父親に特別面会を申し入れた。宰相には、遺跡が発掘された当初から不思議な確信があった。
これは、枢密院議長に繋がる-。
遺跡に関わる枢密院議長の闇を追及しなければならない。
宰相の動きを枢密院議長はすべてを把握していた。彼にかかればこの星の生き物など赤子の手を捻るようなものだ。枢密院議長は繰り出す手を惜しむように策を講じた。
ヨロズとオビトを枢密院病院に呼び出した。ここは侍医でもある枢密院議長が施す超高度医療施設であり、特に遺伝子治療と生殖治療において最高レベルを誇っている。
王族はすべてここで産まれ、ここで死んでいる。
「お前たちはこれから一つとなって千年王国を動かしていかねばならない。」
「まずは逆賊の宰相を排除しろ。そして国王を廃してお前たちが即位するのじゃ。」
「何を言われるか。我々は栄えある千年王国の忠臣である。宰相閣下はもちろんのこと、議長閣下におかれても同じことのはず。」
「ましてや我ら臣民に王位などと、血迷われたか。」
「お前たちはもちろんのこと、すべての人間が王になる資格があるのじゃよ。」
「わしの前ではすべて同じお猿さんじゃ。」
「なんという冒涜。」
「自らを神と言われるか。」
「こうなっては仕方ない。枢密院議長、あなたを不敬罪の現行犯で逮捕します。」
枢密院議長の荒唐無稽な話は、二人を困惑させると同時に、大いに失望させた。いがみ合う二人は仕方なく協力し、枢密院議長を捕縛せざるを得なかった。
上級官僚の特権である荒縄での捕縛。枢密院議長をはさみ二人はそれぞれ荒縄を手にし、にじり寄った。気は合わない二人ではあるが、上級官僚として長年鍛えた通読の呼吸は合うらしく、同時に枢密院議長へ飛びかかった。
大爆発が起きた。
二人とも瀕死の重症を負った。
強化セラミックのマスクとボディスーツのお陰で傷一つない枢密院議長は、配下に命じて血まみれの二人を手術台に載せた。
「たぶん、あの時のワシみたいにはうまくいかんな。こんな貧相な“工場”では正確なノイド手術など無理じゃ。」
しかしここがお前たちの死に場所ではない、と舐めるように声をかけた。
「お前たちの能力や意志は一つになって、これから覚めることのない夢を見るのじゃ。」
「きれいな眼をしておる。眼球から遺伝子コードを抽出してやろう。きれいな景色が見えることじゃろう。」
人払いをし、息も絶え絶えの二人に枢密院議長は教えてやった。人類創生の物語を、千年王国の本当の歴史を。
もはや色を失いながらも驚愕の表情を浮かべる二人の眼球にレーザー光線を当てた。遺伝子コードを抽出し、枢密院議長みずからのコードを依り代にして結合させた新たな人間の遺伝子情報が出来上がった。
「ワシは、なにも自分の子供が欲しくて自らの遺伝子コード使ったわけではない。なぜかそうしないとうまく育たなかったんじゃ。あれは、何度目のことだったか、一度か二度はいいところまで進化しよったんじゃが、共食いを始めてしまい、あっという間に絶滅した。そんなことの繰り返しだったな。だから未熟ながらも生き残ってくれたお前たちのことがかわいくて仕方がないんじゃ。それにしても、いつの間にかウイルスのように増えたな。」
全身が機械であり、汗などかくはずはないというのに、額をぬぐう仕草が自然と出てきてしまった。これほど夢中で作業に没頭したのは数百万年ぶりか。
「この子たちに任せて、わしは神を引退しようかと思っていた。そんなときに宰相めがなにかに気づきおった。いろいろと裏で糸を引いてワシを排除しようと動いていたのは気づいていたが、泳がせてみたのじゃ。お前の父親は、わしらの駆け引きの犠牲になってしまったな。はは、これは悪かった、わははは。」
「そうじゃ、罪滅ぼしではないが、新たな肉体はお前をベースにしてやろう。神様になれるぞ、短い時間だがな。」
枢密院議長は、ヨロズの眼に新たな遺伝子コードを挿入し、ヨロズの肉体を培養カプセルに浸した。
「さあ、出でよ、新たな支配者よ。」
皇太子の筆頭付き人になったとき、将来の宰相就任が決まった。代替わりの儀式をすべて滞りなく終え、即日、宰相に任命された。かつては師と仰いだ枢密院議長もこれを機に表舞台から去っていった。千年王国の新たな千年を迎え入れる準備が整った。国中が希望に満ち溢れた。
幼少期に不思議な体験をした。いつものように聖地「天ノ実」で祈りの通読をしていたら目の前が強烈に光り、空から大きな光り玉が降りてきた。
千年王国建国神話の再現に思えた。
気がついたときには自宅の寝室だった。それから三日間は目が冴えて眠れなかった。頭のなかで誰かの声が聴こえるような気がした。
五日後には、はっきりと聞こえるようになった。精神が破壊され、自分は終わりだ、そう思った。しかし声は冷静に語りかけてくる。論理的で思慮深く高度なコミュニケーションがとれる。それどころか自分の知らないことまで教えてくれた。
元々、神童と呼ばれていたが、これ以来、人間離れした存在となり、子供ながらに最年少の雲上人となり、宰相へと栄達を極めるのに時間はかからなかった。
宰相としての多忙な日々を過ごす中で、声は「常に警戒せよ」と伝えてきた。枢密院議長の動きを気にかけてきた。すでに過去の人となった肩書だけの存在であり、年齢的にも今から何かをなすことはないだろうと思っている。しかし、頭の中では静かに語りかけてくる。
「常に警戒せよ。」
そういえば頭の中の声は枢密院議長に似ている気がした。
売り出し中の若手官僚であるヨロズの父親が発掘した遺跡を王国遺産に推したとき、枢密院議長が御前会議に顔を出した。唐突な行動に違和感を持った。そこから少しずつ、表舞台に関与するようになってきた。最期のひと花を咲かせるためかと、あまりにも人間臭い態度に一抹のさみしさを覚えた。しかし、そんな感傷に浸る自分をあざ笑うかのように枢密院議長の動きはきな臭くなってきた。王国遺産の捏造事件。激しい反応を示してきた。ただ、厳密にいえば枢密院議長は遺産の認否そのものにはあまり関心がなかったように思う。何か大きな秘密を隠していることは確かだった。
頭の中の声は感度が鈍くなったような気がする。頭の中にいるというより、遠くから語りかけてくるようだった。
そして今回の電撃的なクーデター。
用心していた宰相派の想定を上回る戦術とスピードだった。
人知を超えたと自負していた宰相をまるで子供扱いするかのような枢密院議長の策略。
あっという間に国王は廃され、千年王国は幕を閉じた。
新たに国土を治めたのは枢密院議長ではなく、誰も知らない男。
萬帯和尚と名乗った。
萬帯和尚は法王と称し、恐怖による教えと圧倒的な軍事力によって統治した。裏では枢密院議長が取り仕切っているはずだった。
私腹の限りを肥やしてきたということにされた国王を始めとする王族はすべて排除された。処刑はせず、それまで王政に服従してこなかった蛮族の元へ奴隷として引き渡された。死よりも非道な扱いが待っていた。それが国民に伝わり、だれも萬帯王朝に逆らうことはできなくなった。元々、国民は温和であり、国家主導の前例踏襲が最上の策とされてきたため、統治しやすかった。同じく、これまで国家の屋台骨を支えてきた雲上人たちも自律して思考する能力が完全に不足していたため、態度は二極化した。萬帯に従属する者、前宰相に従い抵抗する者。
特に、雲上人たちに代わって台頭してきたのが武人勢力であり、彼らが萬帯王朝を支えた。
反政府勢力は宰相を頼りにしていたが、宰相の居所はわからなかった。
宰相は地下に潜り声の指示を待っていた。相変わらず声は遠くから時折語りかけてくる。
「身を隠し自重しろ。いずれ時が来る。」
宰相には、声が少しずつ近づいているようにも感じた。
萬帯王朝の圧政はし烈を極めた。とくに千年王国時代に雲上人たちに煮え湯を飲まされ続けてきた武人たちの横暴はひどかった。彼らは幼いころから暗記や物事に細かく拘泥することが苦手であり、それはこの国では出世をあきらめるに等しかった。人生のかなり早い段階で、官僚への道をあきらめ、武人としてなんとか下級官僚と肩を並べ得るところまで精進するか、商売人や職人として実利を得るかが自然と決まっていった。はたまた、官僚候補生たちと同等以上に勉強ができた場合でも、通読の道を究めなければ、所詮は研究者としてアカデミックの世界で活躍する程度で、よくて議員の末席に名を連ねるかどうかだった。
枢密院議長は、萬帯王朝でも枢密院という組織を作り、その議長という肩書におさまっている。陰では国父と呼ばれていた。法王である萬帯和上が建国の詔で「わが父、人類の父」と呼称していたからである。
宰相派のレジスタンス勢は、萬帯王朝軍を相手にやみくもに戦っていた。すでに戻る場所はない。負ければ一族もろとも命はない。王朝方は穏当な処遇を条件に降伏を進めているが、真っ赤な嘘である。自分たちがわが世の春を謳歌している間は全く知る由もなかったが、被支配者層からは相当憎まれていたようだ。自分たちはただ前例を踏襲してきた、先人たちの知恵や神の言い伝え通りに政事を担っていただけなのだ。それで、飢饉が起ころうと防災や治安に失敗しようと、プロセスさえ間違っていなければ結果は偶然の産物である。だから、雲上人以外がそのしわ寄せを受け、責任をとればいいのである。
対する萬帯派は、やっとつかんだ天下国家を謳歌していた。彼らとて、前例踏襲主義という国の基本方針以外は知らなかった。法王も国父も他のシステムを教えてくれない。であれば、戦場で奮闘して死ぬことは勿体ない。千年王国時代もレジスタンス的な勢力は存在していたため、現政権でも程よく付き合えば、なんとかやっていける。参考になる貴重な前例が千年分もあるじゃないか。現実は、数千年かけて枢密院議長が作り上げてきたスティグマにすぎないのであるが。
「わしの子供たちがおもちゃの鉄砲で遊んでおる。」
昆虫と遊ぶようであった。追い詰めては、わざと退路を作り、時にはわざと大敗してみせ、期待を持たせた挙句、全滅寸前まで反撃する。そんな戦いが一年ほど続いた。枢密院議長は少し飽きてきた。かつて気の遠くなるような時間を飽きずに過ごしたものだったが、目の前の人間たちと暮らすほどに飽きっぽさがうつってきたのかもしれない。
それに反比例して萬帯和尚の狂気はますます激しさを増し、政権を支える旧武官勢力にも熾烈な粛清支配を始めた。
萬帯和尚はある日突然、革命派のリーダーとして、千年王国の腐敗した歴史を民衆の前で謡い上げた。
心震わせる高度な謡であった。宰相やオビト、ヨロズが行方不明となった中枢において、ここまでの謡い手は国中にもはや存在しない。
人々の心が動かされたことに加え、国王の側近中の側近であると思われていた枢密院議長が王制に反旗を翻したことで情勢は一気に変わった。
クーデター成功。玉座に昇りつめるまでに時間はかからなかった。
そして、国王派の粛清。のちの調査では、戦争に巻き込まれた国民も含め人口の三分の一が失われたと言われている。
枢密院議長のバックアップはあったものの、萬帯和尚自身の能力も計り知れないものがあった。人間を凌駕した静と動の狂気。
普段は無機質・無表情でありながら、配下を指揮するときは狂ったように激しく謡う。まさに燎原の火の如く。
革命からすでに2年がたっていた。欠伸をするように、枢密院議長は終止符を打とうと考えた。萬帯和尚自らを宰相の秘密基地へ急襲させた。
声の指示に従い身を隠していた宰相とその一派であったが、突然の襲撃に対応できなかった。従者のほとんどを失った。なぜこの場所がわかったのか。
枢密院議長は常に宰相の位置を特定していた。この程度のことはわけない。
宰相は追い詰められた。国父と萬帯和尚みずからの宰相狩りである。
「久しぶりじゃな。」
かつて教えを請うた時から覇気が落ちていない。
「若返られたのではないですか。」
精いっぱいの抵抗である。
萬帯和尚の銃が宰相の左足をとらえた。狂人の時間である。
「さすがのワシも、もう飽きかけていた。みずから種を巻いた千年の物語を終わらせて新たな物語を探そうと思ったのじゃ。その権利がワシにはあるからな。」
宰相を無慈悲に仕留めようとする萬帯和尚を制し宰相の元へ歩み寄った。
「あなたがどこからやって来て、何をしたのか知らないが、我らこの国に生まれ千年にもわたって発展してきた人類にのみ選択の権利がある。あなたと素性のわからぬそこの鬼畜は、どこか遠い国にでも行け。」
宰相は萬帯和尚に違和感を覚えた。民衆の前で謡う姿を遠巻きに見たことはある。確かに素晴らしい謡であった。自分に迫るほどの実力者でありながらこれまで一切の噂を耳にしたことが無い不思議さもあった。と同時に、謡の構成が気になった。我々は千年王国の歴史をすべて記憶している。歴史は人類の意識の積み重ねである。これまで生きてきた人間の全データが謡として宮廷官僚の脳中にある。だから各人の個性が表れることはあるが言葉自体は文法通りに流れる。正統であればあるほど言葉同士が互いの背中を押して出てくる感覚である。しかし萬帯和尚の謡は極まれに、重なり合うタイミングがずれる。言葉同士がほんの一瞬つぶしあっている。宰相にしかわからないレベルであるが、学生の全国大会であれば減点対象としていることだろう。
「実は、ワシはここを離れて新しい星に行く準備ができておるのじゃ。」
「久しぶりの新作である萬帯にこの星を滅ぼさせると同時にな。」
もう飽きたとばかりに欠伸の仕草をしてみせた。
「萬帯は予想外によくできた。もともと賢い、お前の後継者たちだったからな。」
宰相の口からヨロズとオビトの名が出た。
枢密院議長がニヤリと笑ったように見えた。
「さあ、死ね。星もろとも粉々になって宇宙の塵となれ。そして新たな永遠のひとかけらとなるのだ。」
枢密院議長は地下の格納庫へ降りていき、宇宙空間を滑るように移動する慣性型ロケットへ乗り込み、内部で自らと連結させた。ヒューマノイド搭載型である。
超長距離航行準備をしている枢密院議長の上階では、宰相と萬帯和尚が対峙している。
こうして話ができる機会はもちろん初めてのことであった。
宰相は言いたいことが山ほどあるのに言葉が出てこない。言葉で昇りつめた者同士、謡で勝負をしたいと思った。こんなときなのに。
萬帯和尚は宰相の左足も撃ち抜いた。両足を傷つけられ立っていられない宰相は地面に座り込み、観念した。次は腕か、脇腹か、それとも心臓か脳天にとどめを食らわされるのか。ああ、最後にもう一度だけ謡いたかった…千年王国建国の物語を。
-コチ、コチ、カチ、カチ-
萬帯和尚の動きが停まり、奇妙な音が聞こえてくる。
萬帯和尚の右目と左目が、左右上下と行ったり来たりしている。人間の両目は独立した空洞に存在しているため眼球同士が接することはないが、萬帯和尚の眼球は、時折、眉間の下でぶつかり合い、その度にカチ、コチと音を発している。何度も激しく両目がぶつかりカチコチカチコチ機械的な音が鳴るかと思えば、両目が互いを拒絶しあうかのように離れ、カチコチ音が鳴らない時間も続く。しかしまたすぐにモルモット運動のようにせわしなく両目がカチコチする。その繰り返しである。時を刻む衝動と抗う衝迫とのせめぎあいだ。
大量の出血で意識もうろうとしている宰相にはもはや何の意味もないことだが、冥途の土産として生あたたかい感情が去来している。
「むかし、二人のいい若者がいたな…」
音が停まった。
上階の静寂を感じながら枢密院議長は待機していた。爆発と同時に、一瞬だけ早くこの星を飛び立とうとしているのだ。惑星から宇宙空間にロケットが飛び立てば、ステーションに検知されるかもしれない。おそらくこんな辺境のゴミみたいな星に興味は無いだろうが、それでも念のため、星の爆発に紛れて宇宙空間へ移動しよう。
これまで自分が創り上げてきた生物たちの遺伝子データを映像形式で保管したレトロなカプセルを確認してにんまりと笑ってみた。
早く爆発せんか、何をぐずぐずしているのだ。
こちらから起爆装置を押すか。
萬帯和尚の脳の中。
聖地「天ノ実」で謡をしているヨロズとオビト。互いに負けまいと全身を震わせて頭上から声を絞り出している。
心地いい。
こんなに気持ちのいい謡は初めてだ。
他の何事にも気を使う必要がなく、言葉一つひとつに向き合える。
王室慶事の祝い、政治犯の死刑執行、世界選手権の開催、少数民族の撲滅、恩賜動物園の賑わい、敵対勢力の粛清…
千年王国の輝かしい歴史がオーロラのように眼前に広がる。
負けない。ヨロズごときに謡で引けを取るはずがない。
勝ちたい。オビトなど謡で打ち負かすことは造作もない。
重なりたい。
煌めくような言葉の選択と順序に、自らの思想を重ね合わせて謡いたい。
互いの人格への憎悪と才能への慕情。この繰り返しだった。
長い間、謡っていただろうか。繰り返し謡っていただろうか。
千年王国の終末に関する文書が公式布告できないため、自流で謡ってる。おそらく文書は自分たちが原案を作成し、最終的には宰相が決裁するため、ほぼ合っているだろう。
それにしても、まさかこんな通読をするとは。ヨロズとオビトが互いに手を取り自爆する…
すべてをあきらめた宰相の目前で、萬帯和尚の両目が裂け、体内に隠されていた惑星消失級の量子爆弾が起爆した-
ほれ、いまじゃ。
枢密院議長がロケットのスイッチをオンにしようとした瞬間…。
全天空が光った。
天の千船。千父降臨。
宰相は死の淵で、千年王国の歴史を呟いていた。何万何千と幼いときから通読してきた千年王国の建国神話が現実のものとして目の前に出現した。
「こちらはステーションパトロールである。元第二級鉱山監督者アマミに告ぐ。第三種亜生物保護法違反で逮捕する。」
ステーションの警察部隊がパトロール飛行船でやって来た。犯罪者であるアマミを逮捕するためである。枢密院議長は、ステーション出身のアマミだったのだ。辺境の星を採掘する鉱山ロボットを監督していて、事故に合いヒューマノイドとなったあのアマミである。
ロケットの一部となり、発射寸前のアマミは驚いた。
「繰り返す。こちらはステーションパトロールである。アマミ、おとなしく投降せよ。」
「SS-2号くんご苦労だった。後は我々に任せろ。その複合型量子爆弾は起爆停止した」
これは、あの声だ。
宰相には、これまで頭の中で聞こえていた声が現実のものとして認識された。
枢密院議長、いやアマミは逃げ出した。
「我々が来たからには、もう大丈夫だ。環境班が保護しよう。」
「ただ、かわいそうなことをしてしまった。警察部隊長としてもっと早く、進化する前に介入すべきだった。かつてアマミと家族契約を締結していたとはいえ、情をかけることはなかったな。でも、今も情をかけてしまったか…」
ステーションパトロールは宰相(SS-2号)を始めとした惑星すべての人間(第三種亜生物群)の記憶を消去した。
千年王国の歴史は本当に終わった。
アマミを搭載したロケットが外宇宙の縁にある小惑星群を越えようとしたとき、自らを追尾しているロケットの存在を認識した。
アマミは永遠の旅を続ける過程で超高度なテクノロジーをもって装備や部品の自己生成、劣化・損傷した箇所の切り捨てやリサイクルを繰り返してきた。
しかし、目標の小惑星到着予定時期になっても位置把握レーダーが作動しない。機器の故障もない。予定空間を過ぎた辺りでダークマターの乱れを計測した。データ収集し計算するまでもない。逃亡予定の小惑星はすでに破壊されていたのだ、ステーションパトロールの手によって。
ワシがステーションとの接触を断ってどれほどたつのか。その間にやつらの機械文明はさらなる進化を遂げたであろう。敵う相手ではない。慣性の力でこのまま行けるところまで行くしかない。追尾ロケットの故障か、なにか好運があればわしの逃げ勝ちじゃ。
神とやらに祈ろうか。かつて神だったこのワシが。
日本列島の南端にI湖というカルデラ湖がある。恐竜の生き残り「Iッシー」が棲息しているのではないかと騒がれたことがある。
この湖はただのカルデラ湖のようでいて、実はクレーターなのだ。正確に言えばクレーターでもありカルデラでもある。人類の認知していない地歴があるのだ。
着陸体勢に入れません。惑星に衝突します。
アマミのロケットは銀河系に属する、とある惑星に近づいた。ステーションを離れてから56億7千万年後のことだ。
機器の不具合で着陸体勢に入れないのが幸か不幸か。着陸しようとすれば追尾ロケットに惑星を破壊されるであろう。このまま素通りすればまた長い永遠の旅が続くかもしれない。アマミは一か八かの作戦に出た。惑星のすぐ近くに衛星がある。衛星と母星でこれほど近似のものは見たことがない。珍しい。うまくいけば追尾ロケットの目を少しくらいごまかせるかもしれない。
衛星の影で分離脱出した。ロケット部分は惑星の海に落下した。惑星の地殻が割れマントルが吹き出した。繁栄し始めたばかりの生物はおそらくほぼ全滅であろう。追尾ロケットはステーションへ報告を発信した。アマミを含め惑星での生存物は皆無。
ただ、実際はアマミの脱出や、惑星での微少な生命体の生存は把握していた。警察部隊長から、外宇宙の外縁以外に至ったら見逃してもいいと言われていた。ステーションの規則違反であることは明白だったが部隊長はかつての父親契約者に対する情けでそのような措置を執ったのであろうか、それともここまで離れれば、内宇宙に戻ることは現代の科学でもほぼ不可能という判断からだろうか。
追尾ロケット自身もステーションへ帰還することはできない。行ったきりの旅だからセンチメンタル機能が働いているのかもしれない。飽きないようにそういった能力も搭載してもらっていた。
衛星のクレーターに隠れながら、惑星の熱が収まるのをじっくりと待っていたアマミはゆっくりと惑星に降り立った。着陸の勢いでクレーターが形成され、それをきっかけとしてカルデラ爆発が誘引された。
アマミは黒焦げになりながらも久しぶりに地上に立ち、疲れを覚えた。実際には疲れという感覚を発生させるプログラムが作動するための外的要因が満たされたからである。
この程度で支障をきたすほどのテクノロジーではない。しかし、一切の機械運動を停止した。まるで遊びに飽きた赤子が眠るように止まった。
いつの日か高度な科学文明を持つ空間移動者が飛来して、黒こげの機械を発見した暁には眠りから解いてほしい。その時にはまた気分も違ってくるかもしれない。
アマミが着陸したことで形成された巨大な窪地に長い年月をかけて雨水がたまりI湖となった。いまから約6400万年前のことである。
犯罪者アマミの追尾ロケットは衛星から惑星を眺めていた。多様な生物が進化している。
アマミが作り上げた惑星のことを思い出していた。
自分も生まれ故郷のステーションへ還ることはない。この先、半永久的に宇宙を彷徨う定めであるならば、少し位は自分勝手なことをしてもいいんじゃないのか。ここは誰も知らない外宇宙の端にある小惑星で、生命に類するモノはすでに進化しつつあり大気や地殻活動もある程度の安定期に入り自律が始まっている。
目星をつけている生物の個体群がもう少し知能を発揮し始めたら、今度は自分が神として降臨してみようか。それにしても、予測に反して、弱くずる賢いやつらが生き残ったものだ。
ただ、記憶を連続して使うことにもうだいぶ飽きてきた。本当はステーションの図書館と接続してアンラーニングしたいのだ。
ほぼ探知できなくなったアマミの観測精度を上げるため惑星に着陸を試みた。この惑星の大空を自由に移動し、大繁栄している鳥類に似た姿にトランスフォームした。
鳴いてみた。
カーーーー。
悪くない。
追尾ロケットは黒い鳥類に擬し、長い時間をかけて暮らした。鳥類とともに生きる中で、同類たちの生死を繰り返し体験してきた。眼下に広がる命の連鎖をいやというほど観測してきた。
飽きるというのはこういうことか。
永遠の命は永遠の記憶から生まれる。
ならばいっそのこと記憶を失うか。
記録することをやめてしまおうか。
思考を停止するか。
最低限の動作を維持するだけの思考制限をかける。
気持ちよく鳴けた。
カーーー、カーーー。
それから、立派なカラスになるのにそれほどの時間はかからなかった。これまでかけてきた膨大な宇宙時間に比べたら。
ある日ついに初めて糞が出た。
カラスとして生きる上で不必要な老廃物等を丸ごと排泄したため、鳥類としては異例の大きな糞を地上に落とした。
代わりにカラスの知能を得ることに成功した。