31話 あの時の赤い薔薇
初めての社交界に着るドレスがヴォックスから送られたものとは、純粋に心が揺れた。
「第二皇子殿下がご相談にいらっしゃいました」
「え?」
許可なく不躾ながらと前置きの上で侍女が淡々と話す。
「女性の社交界のドレスについて詳しくないから教えて欲しいと。侍女の身分故、お応えしかねましたが、第三皇子殿下がカタログを取り寄せ、第二皇子殿下自身がそこから考え仕立て係と相談の末に作られたものになります」
「それはフルオーダーということですか?」
「はい」
皇族というのは皆こういうものなの?
手伝ってもらいながら袖を通すとぴったりだった。髪を結って白粉を施せば目の前から騎士はいなくなる。
「馬子にも衣裳ですね」
「大変お美しいです」
ヴォックスが私の為に用意したドレスというのが頭から離れない。
「あの」
「はい」
「お願いがあります」
「はい」
「私の部屋から持ってきて欲しいものがあるんです」
別棟専属の侍女に伝えると言って、第三皇子直属の侍女が一旦退室していく。
「……少しくらい、いいかな」
ドレスを着た自分を今まで想像した事もなかった。
「……ふ」
鏡の前の自分を見て笑う。薄い布を重ねたスカートの裾を翻せばひらひら舞う。
「ユラレ伯爵令嬢」
「!」
ノックの音と共に我に返りびくりと体が震えた。いけない、柄にもなくはしゃいでいたかな。
顔は赤くなっていないだろうか触れてみて問題なさそうなので、どうぞと招き入れた。
「こちらでよろしかったでしょうか」
「ありがとうございます。そちらです」
箱を開ければ赤い薔薇が詰まっている。もう開ける事はないと思っていた。
「良かった。枯れてない」
「え?」
侍女の様子を窺い見るも何も変わらないようだったので、気にせずその一つを手に取る。
「そちらをお召しに?」
「ええ。お願いできますか」
「はい」
こういったものをつけたこともないので任せるしかなかった。
前に立ち薔薇を一つ手に取った彼女が微笑んだ。安心したように見えたけど、一瞬のことでいつも通りの冷静な顔立ちに戻っていた。さっきの言葉といい気のせいだったのだろうか。
「こちらでよろしいでしょうか」
鏡を見れば右耳よりに薔薇が添えられていた。
「ありがとうございます」
「御似合いです」
今度はきちんと微笑むのが分かった。
同時、扉を叩く音がし名を呼ばれる。ヴォックスの準備が終わったらしい。直接来たのか。
「ユツィ、行けるか?」
「ええ」
立ち上がりヴォックスに向き合うと、部屋に入ってきたヴォックスが足を止めた。身体に緊張が走ったようだけど顔は無表情に近い。ここまで面倒を見てくれた第三皇子の侍女が会釈をした後出ていった。
二人きりになったとはいえ、扉は開けっ放しだ。侍女からはこちら側が見えているかもしれない。まあこの場合未婚の男女が密室で二人きりというのがよくないわけで。けどここを追及すると私達はどうして婚約状態で同棲しているのかという話になる。そこは無視しよう。
無言でこちらを凝視するヴォックスに視線を戻す。
「ヴォックス?」
「……」
「どうした?」
「あ、いや」
近づくと口元に手を当て視線を逸らされた。あからさまな様子が逆に動揺している事を物語っている。
「その……つけてくれたのか」
彼の視線ですぐに悟った。薔薇の事だ。ここまであからさまだと気づかないことはないと思っていたが、真っ先にこれに触れてくるとは思っていなかった。
「持っていてくれたのか」
「ええ」
王女殿下がよぎる。いや、これをつけたのは自分の意志だ。ドレスを送ってくれたヴォックスへ想いを返す意味も込めて。
ゆっくりとした動作でヴォックスの左手が上がり、私の耳元に触れる。
「良く似合う」
「っ」
目を細め目元を赤くして、ドレスと髪色によく合うと笑う。瞳も心なしか潤んでいるように見えた。
「ヴォックス?」
ああと頷いて触れていた左手を戻してヴォックス自身の目元を撫でた。
「あまりに嬉しくて感極まった」
「……仕様がないな」
少し呆れてしまうも、それが可愛いと思えてしまっている時点で私も相当なものだと思う。
「ユツィ。今日のことを何も伝えてなくてすまなかった」
「構わないよ」
「今更だが……私と一緒に父上の祝い事に付き合ってくれないだろうか」
するりと手が差し出される。
本当にこの男は真面目だ。ここまでくれば断るわけもないのに。
「喜んで」
手を取ると再び目を細めて満足そうにこちらを見下ろした。
そりゃあ嬉しいだろうよと思うのは私だけだろうか(笑)。昔、幼馴染に好きな花を教えてもらって、それを成人してから誕生日にプレゼントしたら凄く喜ばれた記憶あるなあという私の経験談でもあります。なにそれイケメエン。




