お出かけですわ~!
悪路を行く馬車の中。
「うっぷ…この揺れ、何とかなりませんの…?」
アシュリーはソファにもたれかかり、ぐったりしていた。
「すみませんねお客さん。この辺りは整備がおざなりで…」
アイカラーム領は国境に接した辺境。
ただ方角が幸いし、戦火には殆ど晒されていない穏やかな領地である。
少なくともそれが、アシュリーの調べた事前情報の内容だった。
アシュリーは窓の外を見る。
荒廃した街と、そこで暮らすギャングや貧民の姿がゆっくりと流れていく。
その様相は平和とは程遠い。
「お客さん…本当にこんな場所を視察するんですか…?」
「ええ。そう言うお約束をお結び致しましたので。」
暫くすると、馬車はゆっくりと停車した。
「すみませんお客さん。ここから先は、ちょっと厳しいかも知れません。」
貧民しか居ないこの街では、豪勢な馬車は目立った。
いつの間にやらアシュリーを乗せた馬車は、ラフな服装に覆面を纏ったギャングの集団に包囲されていた。
「ここまで来れば、後は歩いて行けますわ。乗せて頂きありがとうございましたの。」
「え!?お客さん、まさか外に出る気ですか!?」
「ご心配なさらずとも、自分の身くらい自分で守れますわ。」
アシュリーはそう言い残すと、国の金で動く馬車を後にした。
「御機嫌よう。わたくしの名前はアシュリー・ヘルヴェチカ。お約束を果たしに来ましたわ。」
アシュリーは、誰にとも向けずに挨拶をする。
ギャングは皆アシュリーに注目していたので、問題は無かった。
「…まさか本当に来るとはな。」
ポロシャツを着て、黒い覆面を被り、アサルトライフルを抱えた若いギャングがアシュリーの元にやって来る。
学校占拠事件の、実行犯の一人である。
「来い。アジトまで案内してやる。」
「ありがとうございますわ〜。」
かくしてアシュリーはギャングに連れられ、荒廃した市街地へと消えていった。
「大丈夫かなぁ…」
そんな様子を、指を咥えて眺める馬車の騎手。
「おい!お前!」
「ひぃ!」
ギャングの一人が、荒々しく騎手に声をかける。
「は…はい!何でしょう!」
「お前は直ぐに帰った方が良い。この領じゃ、いつ何処で銃撃戦が始まってもおかしくないからな。」
「はい!すみません!直ぐ帰ります!」
騎手はそれだけ言うと、大急ぎで領地を後にした。
「ここ、良い街ですわね。お洒落なビルに、きちんと整備された道路。お金が貯まったら別荘を建ててみたいですわ。」
一方アシュリーは、物々しいギャングに囲まれながらアジトを目指していた。
「変な無駄口叩いてると、ここがお前の墓場になるぞ。」
「あら、お気に触ってしまいましたか?」
ギャングの案内の元アシュリーが辿り着いたのは、一見すれば何の変哲も無いただの古びた屋敷だった。
「ここが…皆様のアジトですの?」
「アジトってのは、地味であればあるほど良いんだよ。ほら、誰かに見られる前に入れ。」
アジトの中は部屋を区切る壁が全て取り払われているせいで、外見よりも広く感じられた。
床には銃や銃弾や酒やタバコが散乱し、壁のあちこちに物々しい武具が掛けられている。
「ボスは二階に居る。普段は幹部しか入れない部屋だ。光栄に思え。」
「まあ、それは楽しみですわ。」
アジトの階段も、普通の家のそれと何ら変わらない様に見えた。
強いて普通と違う点を言えば、いつ板が抜けてもおかしくないくらいにはガタが来ていた。
アシュリーはそんな階段を登り切り、アジトの中で唯一残っている別の部屋へのドアを開け中に入る。
「…お前が噂の、アシュリー・ヘルヴェチカか。」
部屋の中は外よりも薄暗く、ソファやテーブル、ワインセラーといった家具が揃えられていた。
部屋の再奥のデスクには、一人の中年男性が座っている。
「あなたがその…“ボス”ですの?」
(思いの外普通の方ですわね。)
「ああ。そうだ。」
(どんなもんが来るのかと思えば…何だこいつただのガキじゃねえか。)
ギャングのボスは立ち上がる。
オリーブ色の分厚い防弾ジャケット。
ボロボロのジーンズ。
くすんだ赤色のシャツは、その下の筋肉によって隆起している。
顔は、半分ほどが髭と髪の毛で覆われていた。
「俺の名前はロカ。一応はこのレジスタンスのボスって事になってる。」
「初めまして。わたくしの名前は…」
「もう聞いてる。まあ取り合えずは掛けろや。」
ロカに促され、アシュリーはソファに腰掛ける。
ロカもアシュリーと机を挟んで向かい合うように座ると、机の下に隠してあったワインとグラスを取り出す。
「新物の赤は好きか。」
「申し訳ございませんわ。わたくし、まだ未成年なんですの。」
「はん。お堅いお嬢ちゃんだこった。」
ロカはそう言うと、自分の分のワインを注ぎ、一気に飲み干した。
「で、何の用だ。」
「…あら?呼びつけたのはそちらでは…」
「がはははは。冗談だよ冗談。」
たった一杯の赤ワインで、ロカは完璧に酔っぱらっていた。
「お前、ウチのクソ領主を何とかしてくれるんだろ?レジスタンスとして、何か手伝える事はねえか?なぁに、お前の入学式を台無しにしちまった詫びをさせてくれ。」
「そうですわね…では、この領についての事を教えて欲しいですわ。国のアーカイブでは、治安評価は最高の星五とされていましたけど、とてもそうには見えませんわ。一体何があったんですの?いつからこの場所は荒廃してしまったんですの?」
「…いつからかって?」
次の瞬間、ロカはワインボトルを机に叩きつけて割った。
「俺の妹が殺された日からだよ!」
ロカとアシュリーは共に、赤ワインでべしゃべしゃになる。
「あいつは…ここの領主だった。チンピラ崩れみてーな俺や俺の仲間を、あいつは笑って迎え入れてくれた。あいつは良い領主だった。あいつのお陰でただの更地だったこの場所は、都会になるまで発展したんだ。」
ロカの手の中で、ワイングラスが握り潰される。
「そこに突然、あのクソ野郎がやって来たんだ。」
ある日、目覚ましい発展を遂げるアイカラーム領の経済に目を付け、他領から一人の貴族がやって来た。
その者の名前は、クラキ・ストルグフスキ男爵。
クラキは初め善良な領主の仮面を被り、アイカラーム領にとって有益な投資や取引を持ち掛ける事によって信頼を勝ち取り、内政の内部へと侵入。
完全に取り入った瞬間、八方に張り巡らされていた罠を一気に発動させ、現領主の体制を一気に崩したtp言う。
「あれだけ領に、国に尽くしてきた妹は、最後は根も葉も無い汚職の罪に問われて処刑された。
…あいつは死ぬ間際に俺にこう言ったんだ。“みんなをよろしく”ってな。だから俺は俺と同じ思いを持った連中を掻き集めて、こうしてレジスタンスをやってるんだ。」
「状況は、大体理解できましたわ。しかし一つ気になることがありますわね。貴方方のアジト?を拝見させて頂きましたが、立派な武器や防具が沢山ご用意されておりましたわよね。何故、とっとと反逆を起こさないんですの?それに武力で無くとも、国や他の貴族に告発すれば直ぐに対応して頂けそうな物ですが…」
「国には何度も掛け合った。だがその度に国は、内政不干渉の一点張りだ。他の貴族もあたってみたが、こんな辺鄙な領に興味を持ってくれる奴なんて一人も居なかった。…どいつもこいつも、自分の利益の事しか考えてねえんだよ。」
「なるほど。それは災難でしたわね。」
アシュリーは自身をハンカチで拭く。
戦場の返り血を浴びる前提のこのドレス型防具にとって、赤ワインの染みなど存在しないも同然だった。
「それに武力で勝とうにも、奴は…領憑きの騎士に守られているんだ。」
「まあ、それは手強そうで…ん?領憑き?」
騎士は圧倒的な力を得る対価として、ナイトの位を得た日より国の管轄下に入る。
騎士は職務の全うを引き換えに望むものほぼ全てが手に入る最高の待遇を約束される訳がだ、買収されるなどして、稀に国の制御を離れてしまう者が居る。
その中でも、国家では無く領に付いた者を領憑きと呼び、この国では問答無用で捕縛対象となっていた。
「でしたら、なおさら国に頼れば良いのでは…」
「貴族からの告発で無いと無効だとよ!」
つま先までピカピカに拭き終えたアシュリーは、そのハンカチをポケットに仕舞う。
「はぁ…解りましたわ。お約束通り、来週までには解決しましょう。」
この国には、基本的に市民に参政権は無い。
自領を変える為には、他の貴族を頼るしか無い。
例え国家の定める規律に違反した何かがあったとしても、告発は自領の領主を経由しなければならない。
(…やはりこの仕組みでは、領主が腐敗した瞬間に領民がほぼ詰みますわね。)
アシュリーは席を立つ。
「…どこ行くんだよ。」
「領主様の元ですわ。後はわたくしにお任せ下さいまし。貴方方に、最高の月曜日を差し上げますわ。」