歴史が違うのですわ~!
延期になっていた入学式は、何事も無く終わった。
「我らが偉大なる初代国王陛下が70もの国々を統括した結果、現在の我が国、イラスタマイア王国の前身が生まれたのです。」
入学最初の授業は、歴史だった。
「では初代国王陛下と旧シッタハダザルム共和国が合併の際に結んだ取り決めの名前を…では、アシュリーさん。」
「………」
「アシュリーさん?聞こえてますか?」
「………」
隣の席から伸びた手が、机に伏せるアシュリーの頭を叩く。
「ふぇ!?て…敵襲ですの!?」
飛び起きるアシュリー。
教室は、笑いで満たされる。
「ふふふ。ではねぼすけ公爵令嬢さん。シッタハダザルム共和国が我が国の一部となる前に締結した規約の名前はなんですか?」
「え?えっと…なんですたっけ…確かポスト…」
「そうです。正解はポストグロス盟…」
「ああそうですわ!ポストグ隷属宣言ですわ!」
アシュリーはこの70分、授業を全く聞いていなかった。
だが、自身の国の歴史に関してはかつての恩人から聞かされていたので、きちんとした真実を答える事ができた。
だが教室は、再び笑いの渦に包まれた。
「なんだよ隷属宣言って!初代陛下がそんな事させるわけが無いだろ!」
「そうよ!どこの賊国と間違えたの?あはははは!」
この件を以って、生徒がアシュリーに抱く第一印象は“アホの子”で決定した。
だが教師はそんなアシュリーの事は笑わず、ただ冷たい視線を向けていた。
「???」
不思議に思ったアシュリーは、手元にあった教科書をパラパラとめくる。
そこに載っていると殆どの歴史が、アシュリーが実際に見聞きし体験した物とは大きく異なっていた。
(おっかしいですわね…もし結んでいたのが盟友契約なのだとしたら、ポストリアのスラムは一体どうやって説明を付ければ良いんですの?)
教科書をパラ読みし、この国で適応されている偽の歴史が全てアシュリーの頭に入ったところで、授業終了のチャイムが鳴った。
「さ。今日の授業はここまでですが、明日からは入学早々の週末です。来週もまたこうして会える事を楽しみにしております。では皆様、御機嫌よう。」
教師のそんな号令に呼応し、生徒達は次々と荷物を纏めて帰っていく。
「うーん…数学や国語は普通ですわね。魔導学に関しては…わたくしでは判断がつきませんわ。」
そんな生徒達の流れに従い、アシュリーも帰ろうとする。
不意にアシュリーは、教室からの去り際に右肩を叩かれる。
「?」
アシュリーが振り返ると、そこには教師が居た。
「歴史には踏み込んではいけない場所があるの。貴女も長生きしたいなら、変に首を突っ込まない事ね。歴史の授業には来なくても良いわ。単位は入れてあげる。」
教師はそれだけ言うと、アシュリーを置いて教室を出て行った。
「…国家運営も大変ですのね。」
ーー4年前ーー
“ザクッ…ザクッ…ザクッ…”
曇り空の下。
アシュリーは一人、鉛色の大地を歩いていた。
戦火による煙幕のせいで太陽が覆い隠されており、真夏だと言うのに地面には霜柱が立っていた。
あちこちにはスクラップの山や、スクラップを縛って作った粗雑な家々が建っている。物陰では顔色の悪そうな老人や女子供が小さな焚き火を囲み、身を温めたりネズミの肉を焼いていたりしている。
「旅のお方。どうか…どうかお恵みを…」
赤子を背負ったボロボロの女性が、不意にアシュリーにせっついてくる。
「…申し訳ございませんわ。わたくしは、貴女にあげられる物は何も無いんですの。」
「その上着を…その上着を下さい。もう今夜を越す燃料も無いんです…」
「………」
アシュリーは、上に着ていたジャンバーを脱ぐ。
「ああ…ありがとうございま」
「本当に良いんですの?」
アシュリーは周囲を見回す。
視界内に存在する全ての浮浪者が、アシュリーと女性の事を見つめていた。
「貴女は本当に、わたくしからの施しを受けられるだけのお力、持っておられるんですの?」
「それは、どう言う…」
「わたくしが貴女に上着を渡せば、今度は他の誰かが、貴女からその上着を奪おうとするでしょうね。もしくはわたくしが襲われてしまうかも。こんな寒空の下で追い剥ぎになんて逢いたくありませんわ。」
「…」
「貴女は妬みに駆られた群衆達から、わたくしと貴女自身の身を守れるだけのお力を持っておいでで?」
「………」
女性は、アシュリーに差し出していた手を戻す。
それを見たアシュリーも上着を着直す。
"おんぎゃあ!おんぎゃあ!おんぎゃあ!"
女性が背負っていた赤子が、腹を空かせて泣き出す。
「あ!こら、ほーらよしよし…」
その赤子をあやす女性。
アシュリーはそんな親子を尻目に、先へと進む。
「………」
ふと目をやったスクラップの山の中に、アシュリーは一本のバールを見つけた。
アシュリーはそれを引き抜き、親子の方へと放り投げる。
「よしよし…ん?」
女性はバールを拾い上げる。
「貴女はきっと、餓鬼道に居ますの。常に飢え、常に奪い、なおも満たされぬ苦悶の道。貴女に必要なのは恵みでは無く、恵みを勝ち取る為の力ですわ。」
女性はバールを持って立ち上がる。
「さあ。欲しければ奪いなさい。貴女にその意思があるのなら!」
「うわあああああああ!」
女性はバールを構え、アシュリーの方まで走ってくる。
「そうですわ。それで良いんですの。」
アシュリーは振り下ろされたバールを手で受け止め、女性のうなじに手刀を加える。
「う…」
女性は子供を背負ったまま昏倒する。
"おんぎゃあ!おんぎゃあ!おんぎゃあ!"
「貴方様もよ。小さな怪物さん。」
アシュリーはジャンパーのポケットから、小さな缶詰を取り出す。
「お母上の御勇気に免じて、今回は無償で差し上げますわ。【獄圏界降・等活微関・鋼爪】」
アシュリーの右人差し指の爪が、鋼に変わる。
アシュリーはそれを使い、慣れた手つきで缶を開けた。
缶の中は、そのまま食べれる状態に調理された生のミンチ肉で満たされていた。
「この事は内緒ですわよ。」
アシュリーは指を使い、肉を少しづつ赤子に分け与える。
相当飢えていたのか、初めて見るものでも赤子は美味しそうに食べた。
「痛!まあ。もう歯が出てきているんですのね。」
赤子の食欲もあり、缶は直ぐに空になった。
「これでおしまいですわ。わたくしの今日の昼食を平らげたんですもの。ちゃんとこの世界、生き延びて下さいまし。」
泣き止んだ赤子を見て、満足げに立ち上がるアシュリー。
「テメェよそもんだろ。何しに来た。」
不意にアシュリーは、背後から声を掛けられる。
「此処に、わたくしを次の場所まで送って頂けるブローカーがいらっしゃるとお聞きして参りました。」
アシュリーは振り返る。
そこには、小柄でスキンヘッドで歯がボロボロで顔が皺くちゃの老人がいた。
「…て事は、お前さんがアシュリーか?」
老人はアシュリーの元まで近寄ってくる。
「お前、本当に貴族のボンボンか?」
老人は、母親の背でスヤスヤと眠る赤子を見る。
赤子の口元には、僅かに脂が光っていた。
「俺ん知っとる貴族ってのぁ、分け与えるって概念も知らねぇ、馬鹿で醜いいけ好かねぇ連中なんだがなぁ。」
「さぁ。わたくしは人生の殆どを戦場で過ごしてきましたので、他の貴族と会ったことが無いんですの。」
「へ。へへ。そりゃ良い。じゃあおめー、もう此処で暮らせよ。国になんて帰んねーでさ。ババアしかいねーここじゃぁ、若い女は貴重なんでねぇ。」
「有難いお誘いですが、ご遠慮させて頂きますわ。わたくしはお国に帰って、お父上様がやり残したお仕事を山程こなさなければいけないんですの。」
「はー…貴族ってのは仕事があって良いなぁ。俺たちゃ死ぬまでスクラップ拾いだってのによぉ。」
老人はアシュリーに背を向ける。
「来い。“ズワップランド”まで行きてーんだろ?あそこの国境を越えるにぁ、入念な準備と最適なタイミングが居るんだ。今日は一先ずウチ泊まってけよ。」
「一応お聞きしますが、信用しても良いんですの?」
「あいにく、俺ぁ年を取り過ぎた。もうおめーに何かできる力なんざねーよ。」
アシュリーは老人の案内の元、二階建ての小屋に辿り着いた。
この辺りでは一番大きな建物だったが、それでもトタン板を縫い合わせただけの簡素な物だった。
「これは…」
小屋の中には、様々な武器や道具が保管されていた。
最も多いのはガトリング銃やアサルトライフルといった大型銃、次いで拳銃などの小型銃や魔石の埋め込まれた剣や防具、僅かだが魔道具もあった。
「物々しいとこですまねーな。俺のウチだが、事務所と武器庫も兼ねてんだ。客用の寝床は二階にある。ま、ゆっくりしてってくれよ。」
そう言い残すと老人はデスクにつき、拳銃の手入れを始めた。
仕方が無いのでアシュリーは、ただの武器置きになっていた古びたソファに腰掛けた。
(床に転がってる手榴弾…これ、どう見てもピンが抜けてしまっていますわよね…)
ソファは既に皮が剥がれ、そこら中からバネが飛び出ていて、日焼けしていて、脚は全てシロアリに食べられていた。
「ねえ、おじさま。」
「トゥンで良い。」
「トゥン様。その、ずっと気になっていたのですが、この場所は一体なんなのですの?どう見ても国と呼べる代物ではございませんが。」
「此処を言葉で表すなら、イラスタマイア王国に喰い散らかされた、シッタハダザルム共和国の残骸だな。」
シッタハダザルム共和国は元々、農業を生業とする平和な国だった。
だがある日、アシュリーの祖国であるイラスタマイア王国に突如として戦争を吹っかけられ、10年もの交戦の末に大敗を喫した。
敗戦国であるシッタハダザルム共和国は、財力のある貴族やその他優秀な人材をイラスタマイア王国に献上する“ポストグ隷属宣言”を一方的に受理させられ、国としての形を失ってしまった。
イラスタマイアへの移住が出来なかった平民達は行き場を失い、かつて国土だった場所で生き抜く他なくなてしまった。
「外に出りゃどっかの国の銃弾で蜂の巣。ただ此処に居れば、そのうち飢えて死ぬ。だが外に出よりかは少し永く生きられる。だからみんな此処にいるのさ。」
「…酷い話ですわね。」
「世界がどんなに変わろーともな。獣みてーに醜く地ぃ這って生き抜くしかねーんだよ。それが俺達の道。今生きる事だけ考えて生きてく、自由になんてなれねえ道。これが畜生道って奴なんだよ。きっと。」
「…その言葉、どこで…」
「こう見えてもゼノンたぁ古い付き合いだったんだぜ?そうじゃなきゃ、タダでおめーを国境越えなんてさせねーっての。」
ーー現在ーー
(あの子はどうしておられるのでしょう。ちゃんと生き延びられたのでしょうか。)
寮への帰路で、アシュリーは物思いに耽っていた。
トゥンはアシュリーを国境越えさせた翌年に、別の客の仕事中に当局に見つかって射殺されてしまったらしい。
(この王国が夥しい屍の上に成り立っていると言う事実を、一体どれだけの方がご存じなのでしょうか。そういう事こそ学ぶべきだと思いますが。)
ふとアシュリーは、道の脇の藪の中に黒い物を捉える。
アシュリーは瞳を藪の方に向けてみたが、その頃にはもう何も無かった。
(早速掛かってくれましたわね。)
アシュリーの背後の藪が、かさかさと音を立てる。
(思う存分調べれば良いですわ。自分が情報を探る側だと勘違いをなされたまま、せいぜいわたくしに情報を明け渡し続ければ良いですわ。)