おテロ鎮圧ですわ〜!
入学式開始まで、残り10秒。
アシュリーは学園の閑静な廊下を、猛ダッシュしていた。
(初日から遅刻しようものなら、わたくしの第一印象は地の底に!そんな事になれば、良き殿方の元へと嫁ぐなど、夢のまた夢になってしますわ〜!)
入学式まで残り5秒。
角を曲がるとその先に、式の会場である武道場へと続く、大きく重厚な、チョコレート色の二枚扉があった。
(見えましたわ!はあ…危ない所でしたの。)
入学式まで残り3秒の所で、アシュリーは扉の前に辿り着く。
残りの2秒を使って呼吸を整え、1秒未満の長さでドアから入場した。
「はぁ…はぁ…何とか間に合…」
広い武道場の中は、倒れた学生達で埋め尽くされている。
僅かに空気が桃色に霞んでおり、壁側には学生達を取り囲む様に覆面の集団がいた。
その手には、銃が握られていた。
「…って、思い切りテロられてますの〜!」
アシュリーの誰にとも向けられていないツッコミによって、男達は瞬時にアシュリーを認識する。
「ん?まさかまだ来てない奴が居たとは。」
アシュリーの背後の扉が独りでに閉まる。
男達は驚きはしたが、さほど同様はしていなかった。
何故ならアシュリーも、そこで倒れている生徒と同じ道を辿るだろうと踏んでいたからだ。
「皆様〜!大丈夫ですの〜!?」
アシュリーは生徒達の元へ向かい、身体をゆすったり声を掛けてみたりする。
しかし反応は無い。
どうやら眠らされている様だった。
「くぅ…貴族学校の入学式当日、何か起こるとは思いましたが、まさかここまとは…」
部屋には強力な催眠魔法が充満していた。
アシュリーにもそろそろ効き始める頃である。
その筈だった。
「全くもう…何なんですのよ次から次へと!」
アシュリーが立ち上がると、その両腰に鬼火と共に二振りの刀が出現する。
この学校の入学式は神聖な物とされており、騎士団に事が露見するのはもう少し先になりそうである。
「何故だ?何故【ギガスリープ】が効かない!」
アシュリーは再び、両方とも抜刀する。
「“眠り”などと言う低級の状態異常など、蒼月の加護を受けたこのわたくしには効きませんわ〜!」
「【物体召喚】?いや、帰属型のアーティファクトか。中々良い物を持っている様だが、たかだが貴族の娘一匹に何が出来る。お前ら、構えろ。」
テロリスト達は一斉に銃を構える。
「おーっほっほっほ!お言葉ですがテロリスト様方?何の力も持ち合わせぬ雑魚が例え何人集まろうとも、何も成し遂げる事など出来ませんのよ?」
アシュリーは挑発交じりに、自身を取り囲むテロリスト達を注意深く観察する。
先程馬車を襲った者達よりも統率が取れており、武装も数段上のランクの物である。
人種も若干違う事から、先程の襲撃者とは別の組織である可能性が高い。
「何の力も持ち合わせぬ雑魚…か。富裕市民には、我々がそう見えているのだな。」
「ではお聞きしますが、彼らを眠らせてどうするおつもりですの?ただこの社会への抗議が目的なのであれば、とっとと連れ去って処刑してしまえば良い筈ですのに。」
「…確かに今の我々では、何も為す事は出来ない。だからこそ、力を手に入れる必要がある。」
テロリストの1人が、バックから大掛かりな映像用カメラを取り出し、組み立てる。
「これもその一環だ。ここに居る全員を人質に取り、軍資金や物資を手に入れる。それが我々の目的であり、今お前達に求めている物だ。」
「ふふ。成程ですわ。確かにお金は大事ですわね。こうでもして大金を稼がないと、直ぐにわたくし達貴族に取られてしまいますからね。」
「はは。自覚があったとは驚きだな。」
「しかし、課税は貴方達の為にやってる事なのですわよ?知りませんの?外国ではお病院に行くだけでもお金が掛かるのですわよ?」
アシュリーがそう言った瞬間、テロリストたちの理性が少し外れた。
「俺達の為だと…?ふざけるなよこの小娘が!」
「あら?わたくし、何かおかしなことをおっしゃってしましたか?」
アシュリーのその一言で、テロリスト達は更に激昂する。
「お前達貴族の貸す重税で、俺達が一体どれだけ苦しんでいるのか解っているのか!?」
「俺の母親は病院に掛かれずに、治療法のある病気で死んでしまった!父親は貧困に耐えかねて自殺し、残された妹も毎日腹を空かせている!」
「俺達が汗水垂らして稼いだ血税で、ただただ私腹を肥やしているだけの貴族にはもう我慢ならない!」
安全装置の外れる音があちこちからする。
「…なるほどですわ。そう言う事でしたの。」
アシュリーは刀の柄に添えていた手を、そのまま上にあげる。
「テロリスト御一行様。もしや皆様、同じ領のご出身でして?」
「…それがどうした。」
「取引をしましょう?わたくしと貴方方、どちらも得をする、大変有意義なものを。」
「断ったらどうする。」
「勿論、皆様方は血族諸共、反逆罪で国外追放ですわ~。」
「お前…最初からその腹づもりで…!」
「ただしもしご承諾頂けるのであれば、今回の件は事故と言う事でお片付けて差し上げますわ。ここは神聖な学園。有事の際でも無ければ騎士団すら立ち入らない隔離空間。今であれば、どうとでもごまかしは効きますわ〜。」
アシュリーは不敵な笑みを浮かべる。
「それとも…ここで唯一の目撃者たるわたくしのお始末でもお付けあそばされます?うふふふふ。公爵家令嬢のお命、高く付きますわよ?試してみますの?」
アシュリーは知っていた。
この者達には、貴族を殺せるだけの度胸も狂気も無い事を。
「さあどうしますの?早くしないと騎士団が来てしまいますわよ?お・じ・さ・ま・が・た♡きゃはっ♡」
この少女はきっと、自らの地位、大変貴重であろうアーティファクト、そしてこの場にいる自身含めた全ての者の命を秤にかけ、その刺激を愉しんでいる。
己が命すらも弄び、ただただドーパミンに溺れているのだ。
テロリスト達は皆一様に、この結論に至った。
「…お前の言う取引とは、何だ。」
テロリストの主犯格が交渉のテーブルに付いた事を見届けたアシュリーの表情が、相手を誘う不敵な微笑みから、歯をにかりと見せる無邪気な笑顔へと切り替わる。
「一週間前までお庭付きの豪邸に住んでいた大貴族が、地に這い蹲り、靴を舐め、許しを請うている所。見てみたくありません?」
アシュリーの示す取引は、とても単純だった。
欲に駆られ民を苦しめる貴族を失脚させて民を救う事を条件に、事が済んだら自分がその領地を貰い受ける。
一見すればアシュリーの言葉通り、お互いが得をする物だった。
しかし、テロリストの疑いは晴れない。
「だがそれでは首がすげ変わるだけで、俺達は何も変わらないんじゃ無いのか?」
「結論から言いますと、わたくしが領を貰い受けたあかつきには、貴方方の生活の改善は絶対に保証しますわ。貴方方が税を納める様に、本来であれば貴族も王家に税を納める義務がある筈なのですが、医療院符が行き届いていない所を見るに、その貴族はきっと、領民を実際よりも少なく申請して、納めるべき税を安く済ませているのだと思いますの。しかし次期公爵たるわたくしには、その様な貧乏臭い真似をする理由など何処にもございませんもの。」
「じゃあこの取引で、お前には何の得がある。」
「実績と領地、貴方方平民への恩。色々ありますわね。あ、もしかすれば全領主の資産をそのまま簒奪できるかも知れませんわ!別にお金に困っている訳ではございませんが、今後の為にも出来るだけ沢山溜め込んでおきたいんですの。」
「分かった。じゃあ最後に一番重要な事を聞く。お前に、それだけの事をこなせるだけの能力はあるのか?俺達は、お前を信用して良いのか?」
「ふふふ…あはははははははは!」
アシュリーは両手を腰に当てる。
いつのまにか、両腰にあった太刀は両方とも消えていた。
「その貴族が不正を働いていた事実が存在する時点でもう、わたくしの勝ちは決まったも同然ですわ!それに、仮にこの計画が失敗してしまう未来にあったとしても、少なくとも貴方方が今此処で捕まってしまう可能性はなくなりますわ。」
「………」
部屋を囲んでいたテロリスト達は、ぼそぼそと相談を始める。
この者達は、元々は平民。
武器を手に取り此処へ来たのも、一応の計画性はあったものの殆ど惰性でしか無い。
故にこの者達には、凶行に走れるだけの狂気も、未来ある若者を銃殺できるだけの残忍さも、騎士団と戦うだけの度胸も力量も何も無かった。
総意は、決まっていた。
「分かった。貴族の娘よ。お前を信じよう。」
「あは!決まりですわ!」
アシュリーは懐中時計を見る。
入学式の終了時刻とされていた時間までは、まだもう少しある。
「ではそうですわね。最後に、貴方方の領地の名前を教えて下さいまし。」
「アイカラーム領だ。グリーディアス領と国境の間にある。」
「アイカラーム領…聞いた事はありませんが、覚えましたわ。」
アシュリーはそう言うと、ポケットから一欠片の青い水晶を取り出し、主犯の男に投げる。
「さ、貴方方はこれにてお帰りあそばせ。この件については、明後日からの2日間の休日の間に終わらせますわ。」
「おい、これってまさか…」
「[テレポートクリスタル]ですわ。本物は初めてでして?」
アシュリーは制服ポケットから、一掴みのテレポートクリスタルを取り出す。
明らかにポケットがとるであろう容量と符合しない量だった。
「おいそのポケットどうなって…」
「昔受けた呪いも、制御さえできればお手軽収納魔法に早変わりですわ。そんな事よりも早くして下さいまし。あとは誤魔化しておきますから。」
アシュリーが望むのは、あくまでも素晴らしい貴族。
戦神では無かった。