遅刻は嫌ですわ〜!
カーテンとシャンデリア付きの馬車の中。
16歳になった少女が一人、学園への到着を今か今かと待ちわびていた。
華やかで優美な金髪の長いツインテール。
左目はルビーの様な真紅で、右目はサファイアの如き神秘的な蒼色のオッドアイ。
その顔立ちはあどけなさが残りつつも、可愛らしさと美麗さの感じられる、大変美しく整った物である。
真新しい学生服に身を包む彼女の名前は、アシュリー・ヘルヴェチカ。
かつて栄華を誇った由緒正しき公爵家、ヘルヴェチカ家の最後の末裔である。
アシュリーはポケットから学生手帳を取り出すと、開き過ぎて折り目が付いた、生徒名簿のページまで飛ぶ。
そこには入学が確定している生徒が、顔写真や家柄の解説付きで記載されていた。
(そろそろ、最初にどなたを狙うかを決めないとですわね。)
アシュリーはパラパラとページを送り、自身が印を付けた場所に辿り着く。
(グラスイズ・スプリア伯爵令息。スプリア家は代々続く剣の名門。優秀な騎士も度々輩出し、王家からの信頼も厚い。グラスイズ様自身は温厚で心優しい性格で、顔は…笑顔が素敵なさわやか系ですわね。
安定を狙うならやはりここですが…爵位自体がそこまで高くない事もあり、ライバルはかなり多そうですわね。)
アシュリーが今向かう学校、“王立ビートロディア学園”は、主に王族や貴族と言った上流階級者の為の学園である。
高度な教育を受けられるのも然りであるが、此処への入学者の大半の目的は、将来に向けた具体的な活動を行う事である。
具体的には、嫁ぐ家又は迎え入れる家を探したり、今後の為のコネを作ったり、スタートダッシュを決められる様に実績を作ったり、と言った具合である。
(オズワルド・ブレアル侯爵令息。ブレアル侯爵家は爵位はそこそこですが、まだ新しい家の名な事もあり目立った情報はありませんわ。ただ最近、お砂糖産業に手を出してから羽振りが良いですわね。多少のリスクを加味しても、将来性が充分期待できますわ。
オズワルド様は無口で受動的な性格、顔は…いつ見てもとっっっっっても可愛らしいですの!まるで女の子みたいですわ!)
アシュリーはにやにや顔のまま、最後にマークしたページまで飛ぶ。
(レオナルド・ハーステスク大公令息。やはり本丸はここですわね。ハーステスク大公家は、貿易で国を支える王家の右腕。もしここを落とせば、あわよくばロイヤルファミリーの仲間入りも狙えますわね。
レオナルド様の性格に関しては、筋金入りのオレ様気質。万が一の為に、いい救急箱を買っておいたほうがいいかも…って、怖過ぎですわ!残りの余生をDV夫と過ごすなんて嫌ですの!やはりこの方は除外した方が…いえしかし、わたくしであればそれも何とかなるかも知れませんわ。一応は残しておきましょう。)
“ガタン!”
突如馬車が急停止し、シートベルトなど搭載していない馬車の中のアシュリーは前方の壁に頭をぶつける。
「あたっ!」
アシュリーは騎手に文句を言うべく、前方へと繋がる小窓を開ける。
「ちょっと!どんな運転をしているんですの!…あら?」
覆面やタートルネックで顔を隠した武装集団に、騎手は白い布で口を覆われていた。
「大人しく出てこい!この平和ボケした貴族め!」
「お前を処刑し見せしめにしてやるのだ!」
馬車は、民主主義過激派の包囲に遭っていた。
このイラスタマイア王国は一見平和な国だが、その実態は大国故に民の思想分断が激しい上に根深く、こう言った事は日常茶飯事だった。
アシュリーは元の位置に座り直すと、右窓、左窓の順で外の様子を確認する。
見えているだけでも数は30人、多く見積もって40人は居るものと考えて良いだろう。
(困りましたわね…騎士団がいらっしゃるまで立ち往生となると…)
ふとアシュリーは思い立ち、ポケットから金の懐中時計を取り出す。
入学式まで、残り30分を切っていた。
「うわああああああ!」
アシュリーは大慌てでドアを蹴破り、暴徒満ちる外に飛び出した。
天気は快晴。
お洒落な雰囲気の高い建物が立ち並ぶ富裕層の為の街道は今、民主主義過激派達により完全に占拠されていた。
「へ。漸く出てき…ぐあ!?」
アシュリーは暴徒の一人を踏み付ける事で、少し離れた場所に着地した。
「ええっと…学園はこの大通りを抜けた先だから、馬車だとやや25分、つまりわたくしの全速力で10分弱。ただこの状況を加味するとなると…とにかく、このままでは入学初日から大遅刻ですわ!ああ…こんな事なら、ケチって一番遅い便などに頼まなきゃ良かったですわ〜!」
頭を抱え、昨日の自身の選択を公開するアシュリー。
暴徒達はそんなアシュリーを馬車ごと取り囲み、銃や剣、火炎瓶といった各々の武器を構える。
「なんだ、子供じゃないか。なら丁度良い。テメエを人質にとって、その親から大金をせしめてやるぜ!」
「勿論生きては返さねえが、それまでの間は俺たちとたーっぷり、素敵な思い出作ろうぜぇ?可愛いお嬢さん?ぎゃはははははは!」
「知ってるぜ。あの学校、学費が一切掛からないってな。そりゃそうだよなぁ?俺たち平民が汗水流して稼いだ血税で、ぜーんぶ賄ってるんだからなぁ!」
「分かったら大人しく付いて来い。貴族の娘。今なら銃殺刑で済ませてやる。」
アシュリーは恐怖で震え上がっていた。
然しその恐怖は、暴徒にもその脅しにも向けられた物では無かった。
「やるしか無いんですの?いやしかし、もし誰かに見られようものなら…」
アシュリーは周囲を見回す。
だが幸いにも、付近には暴徒と騎手以外は見当たらなかった。
「…判りましたわ。出来るだけ早く終わらせましょう。」
アシュリーの腰の両側に、青紫色の鬼火と共に二振りの太刀が顕現する。
左側は赤い柄、右側は青い柄である。
「わたくしの名誉と平和な将来の為に…」
アシュリーは右手で左の紅い刀を、右手で左の蒼い刀を抜き、構える。
刃もまた柄と同じ色に輝いており、丁度瞳の色と互い違いになっていた。
「お死にあそばせ〜!」
蒼光の刃の名は[蒼月白夜]。
真紅の刃の名は[紅月]。
二刃にて一御、現人神の刃である。
「へ…俺たちと戦おうってか?良い度胸だぜ。お前ら!掛かれぇ!」
先ず、サーベルを持った2人がアシュリーに斬りかかってくる。
“バシィ!バシィ!”
白銀の閃光が放たれ、落雷の様な音が響く。
「ぎゃあ!?」
「ぐあああ!」
切りかかっていた筈の2人は、サーベルを弾き出された事により体勢を完全に崩され、アシュリーによる不気味な程滑らかな一刀をその胴に受け、アシュリーの前に伏した。
「くそ…死ねえええええええええ!」
暴徒の一人が目の前に固定式のガトリング砲台を出現させ、アシュリーに向けて連射を始める。
「あらあらぁ?良いんですの?そんな事して。」
アシュリーの元に最初に辿り着いた弾丸が、青月白夜による一振りに当たる。
白い閃光と落雷の様な音が放たれ、銃弾は倍の速度で砲台に打ち返された。
その反射により砲台は破壊されたが、飛来してくる銃弾はまだ32発ある。
“バシシシシシシシシシシシシシ!”
銃弾は全て、二刀のどちらかで弾き返される。
正確な角度で弾かれた弾丸は全て、アシュリーの前方半円の範囲に居る暴徒の眉間を正確に貫いた。
「うおおおおおおお!」
背後から、サーベルを持った者が突撃してくる。
それと同時に、上から火炎瓶も迫ってくる。
「味方ごと燃やすつもりですの?全く、品の無い戦法ですわね。」
アシュリーは先ずサーベルに刃を当てて弾き返し、襲撃者を怯ませる。
その隙にアシュリーは、火の付いた火炎瓶を、刀を持った手のまま当然の如くキャッチした。
「く…どうなってやがる…」
「いい加減諦めたらいかがかしら?」
アシュリーは紅月で襲撃者の腹を深々と突き刺して横に放り投げ、火炎瓶を後方に居た覆面男に勢い良く投げ返し、蒼月白夜を宙で一振りする。
火炎瓶は真っ二つに割れ瞬時に中の油に炎が引火し、それが豪速で持ち主に返される。
「やめ…ぎゃあああああああ!」
アシュリーが火だるまになる事を望んでいた男は最後、自身がその望んだ姿となり息絶えた。
後頭部に突如気配を感じたアシュリーは、感に任せて紅月を背後に振る。
白い閃光と落雷の様な音が放たれ、不可視の攻撃が弾き返される。
だがその透明な攻撃は相手には当たらず、道に沿って遥か後方まで飛んでいき自然消滅した。
「背後の攻撃すらも【パーフェクトパリィ】を決めるとは。認めよう。貴様は強い。」
そこには、上裸に黒いジャケットを羽織った筋骨隆々の男が居た。
先程の攻撃の名は【虚殴拳】。
高速のパンチにより空気を圧縮し、それをそのまま前方に放つ格闘技の奥義の一つである。
「だが!お前程度の者など今までも…」
「【獄圏界降・等活】!」
アシュリーが両の刀でクロスを描く様に構えると、その周囲に20本の白い刃が現れる。
「な…まさか、貴様も奥義を!?」
「申し訳ございませんが、わたくし今大変急いでおりますの!」
20本の刃は、片方の太刀につき10本づつが追従する様に漂っている。
「…どこまでバカにすれば気がすむんだ…貴族と言うのはあああああ!」
男は二発の【虚殴拳】を放つ。
浮遊する刃のうちの2つがそれを【パーフェクトパリィ】で打ち返す。
「何故お前まで奥義を使う!貴族!」
「練習したからですわ。貴方様と同じ様に。」
「有り得ない!そんなの認めないぞ!この奥義だけが…この奥義へ至る俺の努力だけが!唯一貴様らよりも優れているべき物だ!そうあるべき筈なのだ!」
「だから…ごちゃごちゃとるっさいですわ!」
アシュリーはそう言うと、2つの刀の刃を、背中合わせになる様に寄せる。
すると10の刃は塵となって消失し、代わりに組み合わせられた刀に黒い気が集まりだした。
「わたくしだって、努力してきましたわ。とあるムカつくおじさまがお遺しになられた持論に全力で逆らう為に、平和な暮らしを手に入れる為に。」
「持てる者が何をほざくか!俺達平民が毎日舐める苦汁に比べれば、貴様の努力など砂塵の粒に等しい筈だ!【ローリングキック】!」
男は回し蹴りをするが、アシュリーはそれを一瞬だけどしゃがんでかわす。
アシュリーはそのまま、技の後隙を使い、歩いて男の背後まで移動した。
「そうかもしれませんわね。もしかしたらわたくしは、恵まれているのかもしれませんわ。ですがそれでもわたくしにとっては、」
アシュリーの周囲に、黒い雷のオーラが出現する。
「その努力が全力なのですわ!【獄圏界降・黒縄】!」
組み合わせられた刃が黒い気によって吸収され、そこに一振りの黒い斧が完成した。
「な…!」
それを見た男は、一瞬で理解した。
等活も黒縄も、確かに同じ力を資本として発動している。
がしかしその本質は、全く別の奥義だと言う事を。
「お前…お前…お前ええええええええええ!」
それは、男の努力に対する完全なる冒涜だった。
一人の人間が2つの奥義を持つには、途方も無い時間と労力が必要だからだ。
「観念して下さいまし!ナルシスト様!」
男は向かってくる。
アシュリーは、斧を振り上げる。
「【導斬・黒縄】!」
気で出来た黒い縄が現れ、男の肩から腰にかけて巻き付けられる。
縄自体には、実態も拘束力も存在しない。
「はああああああ!」
然しアシュリーが斧を振り下ろすと、刃は男にかすりもしていないにも関わらず、男は縄の通りに叩き切られた。
その斬撃は紛れも無く、アシュリーの斧による物だった。
その後も、切りかかってくる刃は全て弾き返し、向かってくる弾丸は全て打ち返し、アシュリーが攻勢に転じる前に、襲っていた暴徒は壊滅した。
「皆様、何も考えずに攻撃し過ぎなんですの。」
アシュリーはポケットから、純金フレームの懐中時計を出す。
入学式まで、残り2分だった。
「ひいいい!」
アシュリーは騎手の方を見る。
騎手はまだ、薬によって眠らされていた。
「本当に、貴族以外にはお優しい方々ですわね。」
アシュリーはそれだけ言い残すと、競走馬顔負けの猛ダッシュで学園へ向かっていった。
犠牲者の大半が銃撃による死傷であるのと、唯一の生存者である馬車の騎手の記憶が曖昧な事もあり、この事件は、貴族街で起きたテログループの内乱、と言う事で片付いた。