(エピローグ) 旧日
鉛色の空の下、老人と少女が、一つの火を囲って座っていた。
この場所の名は、“グラス平野”。
かつて青々とした草原だったこの場所は、凡そ100年にも及ぶ戦争によって灰色に染まり、いつしか“災厄の戦線”、“終わらぬ戦火の大地”と呼ばれる様になった。
「ねえ。おじさま。」
少女は火にくべられた鍋から目を離す事無く、老人を呼ぶ。
華やかな金色の、ロングツインテールの髪。
左目はルビーの様な赤色、右目はサファイアの如き蒼色。
その顔立ちはまだあどけなくも、実に愛らしく美しいものである。
煤で汚れたジャンパーを身に纏った齢8歳の少女の名前は、アシュリー・ヘルヴェチカ。
ヘルヴェチカ家と言う由緒正しき公爵家の娘である。
それ以上でも、それ以下でも無い。
「なんだ。」
老人は答える。
返り血で染まった赤いヘルメット。
そこから零れ落ちるのは、細くパサついた長い白髪。
病により白く濁った瞳。
身長は2mにも及び、その体躯は筋肉によりがっちりしている。
煤汚れた厚手のオリーブ色のジャンパーを着る老人の名前は、ゼノン・トラジャン。
アシュリーの父親、エドモンド・ヘルヴェチカの旧友であった。
「此処は、ひどい臭いがしますわね。」
二人が居る場所は、戦死者の山の上だった。
「そうだな。火薬に鉄、血に腐乱臭、そして何より、人の憎悪の臭いだ。今にもむせ返りそうだよ。」
「わたくし達、どうしてこんな場所に居るんですの?」
幼いアシュリーは、一週間置きの頻度でこの質問をゼノンにしていた。
答えも知っていたし、理由も理解している。
それでもアシュリーは、漠然とした不安に苛まれる度に、ゼノンにこの質問をした。
「人には人の道がある。何不自由無い道。過酷に溢れた道。望まずとも、悪の道を進む事もあるかも知れない。」
ゼノンは鍋を火からおろし、中を確認する。
小さな金属製の鍋は、コトコトと煮える芋粥で満たされていた。
「お前はきっと、修羅道に居る。闘い続け、生を拾う、戦狂いの道にな。」
ゼノンは背後に置いてあったバックパックから、皿と木製のスプーンを2組取り出す。
「だからお前は戦場に居るんだ。アシュリー。」
ゼノンが焚き火に向けて人差し指を向けると、その指先から一塊の水が発射され、火は一瞬で消えた。
そうして残った焦げた材木の上に鍋を置くと、ゼノンは蓋を取り、二人分の芋粥を配膳した。
アシュリーの祖国、“イラスタマイア王国”は今、内戦の冷戦とでも言うべき劣悪な状況に陥っていた。
毎朝貴族の変死体が発見され、毎日平民がデモを起こし、毎晩人々が大量に処刑される。
爵位最高位である公爵家の娘が暮らすには、そこはあまりにも危険過ぎる環境だった。
「お前はいつか、自分の国に帰る。だが、そこも此処とは変わらない。むしろ酷くなっているかも知れない。だからお前は戦うんだ。」
「嫌ですの。」
何度と無く交わされた、定型分の様な会話。
然し今回は、アシュリーの返しは少し違っていた。
「わたくし、そんなの嫌ですの。一生戦い続けるなんて嫌ですの。」
数多の凄惨な物が目に焼き付いたアシュリーの瞳は、すっかり光を失っていた。
然しそれでも、アシュリーは優しい少女のままだった。
「…そうか。それもまた良い事だろう。」
ゼノンとアシュリーは、ほぼ同時に芋粥を食べ始める。
味は殆ど無かった。
「だったらそうすれば良い。避けて躱して受け流して、戦いから逃げ続ければ良い。別に悪い事じゃ無い。だがいつか、どうしたって避けられない場がやってくる。どんな人間にもだ。そういう避けられない場がやってきた時の為に、お前には打ち勝つ力が必要なんだ。」
「はぁ…おじさまとお話しすると、いっつもそこにご着地あそばされますわね。」
ゼノンの傍には、二振りの太刀が置いてある。
持ち手、鞘共に非常に精巧に作られており、どちらも神秘的とすら思える代物だった。
ゼノンはそのうちの、赤い刺繍が施された方をアシュリーに投げる。
「来い。アシュリー。お前はまだまだ弱い。」
ゼノンは芋粥をかきこむと立ち上がり、青い刺繍の太刀を、鞘から抜かぬまま構える。
アシュリーは溜息を吐くと、ゼノンと同じ事をする。
「弱いままでは、駄目なのですの?」
「お前はあいつの忘れ形見だ。死なせたく無い。」
遥か遠方から、5機の戦闘機がブリッジを描いて飛んでくる。
猛々しいエンジン音と共に、戦闘機が二人の頭上を通過した時だった。
“ガコン!”
刹那の内に、二人は鍔迫り合いを始めていた。
鞘同士がぶつかっているだけなので火花はでなかったが、発生した風圧は二人の周囲の物を弾き飛ばした。
「戦うにしろ、逃れるにしろ、どちらも資本は己が力だ。」
ゼノンが、アシュリーを刀ごと弾き出す。
体勢を崩すアシュリーの胴体めがけて、ゼノンは渾身のひと蹴りを放つ。
「きゃあっ!」
アシュリーは、為すすべも無く後方に吹き飛ばされ、二回バウンドした後更に地面にこすりつけられる様にして滑り、5m程先で漸く停止した。
「尚も剣から手を離さないとは。少しは成長したみたいだな。」
「く…まだまだ…ですわ…!」
アシュリーは剣を杖代わりにして立ち上がる。
今回は、今までで一番強い力で弾き出された。
つまり、今までで一番手加減ができていなかったと言う事だ。
「来い。まだまだ、なのだろう?」
ゼノンは剣を構え直す。
「おじさまめ…今に見ていなさい!はあああああああ!」
アシュリーも剣を構えると、ゼノンに向けて走り出す。
ゼノンにはその太刀筋が手に取るように分かったので、いつ来ても良い様に先制攻撃の構えをとる。
「愚直で、素朴な剣。まるであいつの様だ。」
剣筋は完全に読めていた。
そのつもりの筈だった。
「なっ…!」
ゼノンの剣は、空振った。
アシュリーが、ゼノンの間合いに入る寸前で立ち止まったからである。
「そこですわ!」
アシュリーはゼノンの空振った剣を更に剣戟で押し崩し、彼の姿勢の崩れを更に大きな物にする。
そしてそのがら空きになった胴体に向けて、更に一振り。
“ガコッ!”
鈍い音と共に、アシュリーの剣は差し出されたゼノンの手のひらに当たった。
「あーもう!この作戦なら上手くいくと思ったのにですわ!」
「見事な受け流しだ。だが射す場所が悪かったな。この場合、そのまま刃をずらして小手を狙うか、切り返して剣側の胴体を狙え。その方が反撃される時間を相手に与えずに済む。」
「く〜!もう一回!もう一回ですわ!」
「嫌がっていた割には、随分と楽しそうじゃ無いか。」
「るっさいですわ!」
アシュリーはゼノンより離れ、再び剣を構える。
「躱し、流し、打ち返す剣。それがお前の剣か。」
「何か言いましたか?」
「ああ。そろそろ本気で掛からねば、お前の成長には足りなくなってきたか、と言ったのだ。」
「…それって…どう言う事ですの?」
「【獄圏界降・等活】。」
光り輝く10本の白銀の刃が、ゼノンを取り囲む様に現れる。
鋼すらも容易に切断する強度まで圧縮、硬化された、10本の“気”の刃だった。
「お前も開け。死にたいのか?」
「へ?ご…【獄圏界降・等活】ですわ!」
アシュリーの周囲にもまた、同じ物が出現する。
然しアシュリーの気の刃は半透明で、光も弱く若干小さくもあった。
「おじさま!?正気ですの!?ただの練習の筈ですわよね!?」
「ああ。俺は至って正気だ。だから開けるんだ。」
ゼノンは鞘より刀を抜き、構える。
蛍火の様に淡く輝く蒼色の、透き通る様な美しく刃である。
それは浄土を司る神秘の霊刀、名を[蒼月白夜]と言った。
「ば…抜刀まで…!わたくしに死んで欲しく無いんじゃなかったんですの!?」
アシュリーもまた刀を抜く。
禍々しくも鋭く輝く赤色の、血と狂気の気配漂う恐ろしの刃である。
それは穢土を司る殺戮の魔剣、名を[紅月]と言った。
「ここから先は、一瞬の隙で命を落とす。覚悟はできているな。」
「そんな訳無いじゃないですの!わたくしまだ死にたくございませんわ!」
「なら、どうして笑ってるんだ?」
「るっさいですの!」
二人はその後、剣を構えたまま睨み合う。
二人の間を横切った風すらも、微塵に切り刻まれるのではとさえ思えた。
“グオオオオオオオオ!!!”
突如、地の底よりゾンビが現れる。
数十の死体が融合して生まれたそれは腐肉でできた巨人であり、名を[コープストール]と言った。
ひとたび出現してしまえば、街一つを殲滅するとも言われている、大変危険な魔物である。
「邪魔を…」
「しないで下さいまし!」
次の瞬間には、巨人は22振りの刃で突き刺され、ただの肉塊へと帰す。
そのままの勢いで、二人は苛烈な打ち合いを始めた。
11本の剣が、それぞれ独立して打ち合っている。
それら全ては持ち主の意思で動いており、どれか一本でも打ち勝てば、勝者の剣は持ち主で無い方を切り裂きに行くだろう。
アシュリーとゼノンは、一度に決闘11回をやっているも同義だった。
「一年だ。」
剣の舞の中、ゼノンはふと呟く。
「なんですの?」
「あと一年で、お前に俺の60年を叩き込む。」
「…冗談ですわよね?」
「冗談なのはお前の飲み込みの早さだ。」
「るっさいで…え?今、わたくしの事褒めて…」
「そこだ!」
「きゃ!?」
アシュリーの刀が宙を舞う。
「あうう…」
「さあもう一回だ。日が昇る前に、お前には等活の一つ下。黒縄まで会得して貰う。」
「そんな…わたくしを殺す気ですか!?」
「何者にも殺させない為だ。ほら、始めるぞ。この地区も、いつ冷戦が解けるか分かったものじゃ無いからな。」
結局その日から二人は三日三晩戦い続けたが、その間両者が傷を負う事は無かった。
翌年の冬。
ゼノンは息を引き取った。
夢の中に出てきた子って何故か好きになりますよね(*´ω`* )