あるがままでいい
お休みの日に、前によく通っていた本屋まで行ってきた。
前と変わらない本箱の配置、前と変わらないほっとかれ感、というか、どうぞお好きなようにという雰囲気にほっとする。
平積みの本を手当たり次第に手にしては、ぱらぱらと目を通す。
本を手にとる時は、タイトルと表紙と帯で決める。
だいたい直感なので、ハズレもよくある。
手にとった本が自分と相性が合うかどうかは、最初の1、2ページを読めばだいたい分かる。
どんなに面白そうな内容でも、文章の上手さなのか、文体の読みやすさなのか、はたまた句読点の位置みたいな呼吸のタイミングが合うかどうかなのか、それとも何かよくわからない未知の要因があるのか、理由は分からないけれど、読んでいて、どうしても頭に入らない本と、するすると自然に読めてしまう本とがある。
不思議だ。
まるでお見合いパーティーだ(したことないけど)
時には内容にとても惹かれるのに、なぜかぜんぜん中に入れない本というのに出会う。そういう時は、無理に買って読もうとしても結局読まなかったりするので、最近は、ご縁がなかったのだと思うことにしている。
が、そんなに思い切れない時も多々あるのが人間というもので、高いお金を出して買ってみたのに、どうしても数ページしか読めないという本が溜まっている。なんだか悔しい。
これはまるきり、学生時代の参考書と同じだ。
三つ子の魂百まで、とかいう言葉が思い浮かぶが、もちろん反省はしていない。
その日も本屋さんで、適当に斜め読みを楽しんで? あるいは無駄に時間を浪費していたが、なんだか気分がやたら自由だった。あるがまま、あるがまま。
あれえ? わたしはそんな悟った人じゃないはずなんだけど、今立ち読み中の本も、趣味の本ではあるが、そんな多幸感になる要素、あるー? おかしいなあ、と違和感を覚えて、頭が空白になった瞬間にお店のBGMが意識に入ってきて、これか! と思った。
本屋のBGMといえば、たいていは穏やかなアンビエントかジャズかクラシックのインストゥルメンタルかであるが、その時流れていたのは、今どきの穏やかなイージーリスニング(でいいのかな)、自然に前向き、あるがまま、な雰囲気のインストゥルメンタルで、聴くだけで、そっか、私たち、いまのままでよかったんだね、と思っちゃいそうな曲で、なんだか本を読むふりをしながら、曲が変わるまでいてしまった。
足と鞄をかけていた右腕は疲れたが、よいリフレッシュになった。腕はつかれたが。
思うに、人の気分は、音楽を聞くだけでずいぶん変わる気がする。
これを書いている今も、なんとなく思い出して、あるがまま、あるがままな気分だ。
というわけで、YouTubeであるがまま気分を増強してみようと思った。
おわり。