ホスピタリティは難しい。
ホスピタリティ。
それは、おもてなしのこころ。
あるいは、相手への気遣い。
おもいやりの気持ち。
大人なら持つべきもの。
べき、は言い過ぎか。
べきべき言っていては、折れちゃいそうですもんね。
持つと、素敵なおとなになれるもの、でしょうか。
何か、格があがるといいますか。
持っていると、真の上品になれる、といえましょう。
最近、でもないですが、薄々気がついてはいたんです。
自分も、自分の書くものも、ホスピタリティ少ないなと。
少ないんです(笑)
他人など、どーでもいいですしぃ。
お恥ずかしいことです。
ごめんあそばせ。
(↑ごめんあそばせ、は、山の手ことばというらしい。
実際こんな言い方している人を、未だに一度も、デビィ夫人や黒柳徹子さんを除けばお一人も、少なくともリアルでは見たことはないですが、スネ夫のママが使っていたような記憶がありますね。
あそばせ、とはいかに。
あそばす(あそばせる)の命令、依頼形らしいですね)
……激しく脱線しました。
歳をとると話が横道に外れやすくてのう。
まぁ賢明な読者さまなら、しかたないと思って、苦笑いしてあきらめてくださるじゃろう。 テヘペロ❤︎
いえ、なんでそう思うかと言いますと、自分は基本的に、読み手のことは考えないでなんでも適当に日記的に書いては出してるので、視界にみなさまが入っていないのです。
詩なんて、視野に他人を入れたら、それはもう詩じゃないべ。メッセージだべ。
別に悪くはないけんども、別ものだべよぉ。
という自論を持ってますし。
なので、たまに、やってられない事があって辛抱の閾値を超えると、黒い詩やエッセイを出してしまい、少しばかり、しまった、とは思ったりしますが、、、
自己責任で読んでくだされ。
それはそれとして。
世間には、いろんな人がいますねえー!
見た目は似たようなホモサピエンスの日本人なのに、なぜ、同じシチュエーションでこうも反応が違うんだろう、とつくづく思う。
職場に、なぜそんなことでいちいち怒るのか、と思う人や、なんかじめーとした人がいらっしゃる一方で、ほんわかした人や、ボク、不満なんてないですよ? などとおっしゃる聖人君子くんがいらっしゃるのです。
最後の方には、ええっ? である。
あなたが一番こき使われてますよっ! と皆が思ってるというのに。
なぜでしょうねえ。
遺伝子によるところもあるらしいですね。
ほんのちいちゃな、ばぶばぶ言ってる赤ちゃんからして、積極的に愛想をふりまく子と、何かあると火がついたように泣き出す子といますし。
そういうことでしょうか…。
なぜ急にそんな話題なのかと言うと、今日の帰りに少し大きな本屋さんに立ち寄った際に、オラクルカードというタロットに似たカードの売り場を通りかかり、きれいな絵柄に惹かれて、なんとなくめくってみたからだ。
カードには、ハッピーハッピー、と書いてあった。
おっ! なんかいいの引いたかな。
解説書によれば、そのカードを引いた人は今現在、幸せであって、幸せをしっかりと楽しむべし、というようなことが書いてあった。
そっかー。自分はいま、幸せなのか。
そうかなあ?
……衣食住、足りてますね。
贅沢いわなければ。
誰ひとり味方がいないってわけでもない。
幸せ、かあ。
確かに、そうかも知れないな。
と、考えさせられたのでした。
いろいろ見ちゃうと何かがない、あれもない、と、足りなさに目が行きがちですが、欲を持ち過ぎなければ、ハッピーハッピーかも知れないですね。
そのハッピーだと思えるハードルが低い人には世界は優しく、ハードルが高い人には世界はハードモードなように感じられるんだろう。たぶん。
どうせなら、ハードルはさげて、ちょっとしたことで喜んで、毎日ニコニコ楽しく過ごしたいものです。
なぜなら、そうなってはじめて、あかの他人に対しても、ホスピタリティみたいなものを発揮できるような気がしまして。
……まとまりにくいですねえ。
まあ、日が変わったので、これで。