こころにある渚のこと
夜、眠りと覚醒の狭間にいると、聞こえてくる音がある。
さざ波にも似たサーサーという音が、横になって目を閉じていると、どこからか聞こえることに気づいたりする。
耳の奥を血潮の流れる音だろうか。それとも普段は意識していない、世界の音が聞こえているのだろうか。
それはたとえば、雨の夜に窓を開けていると、風とも違う、何か遠くから来るような音が聞こえることがあるけれど、それに似ている。
たぶん、世界中からやって来た音の集まりが、遠くの見えないくらい離れている場所で、ぶつかって、空気と混ざって、聞こえるか聞こえないかくらいに微かになって、そうして生まれた音が聞こえているような、そんなふうに思う。
目を閉じて、その音を感じているうちに、静かな静かな眠りに落ちていく。
それは幸せな時間なのかもしれない。
深い眠りにつけることは、幸せなことだという。
こころが波立つときは、あまり眠れない。
何か、日中にやり残したことがあったり、意に沿わないことや、やるせないことばかりが降り積っていくと、夢という形で反乱を起こしてくるようだ。
そんなときは窓を開けて、静かに世界の音を聞く。
聞こえてくるのに任せて。
そうしているうちに、不思議とこころが凪いで、静かになっていく。
どこでもない、心象風景のなかの渚が世界の音とシンクロして穏やかな海となり、緑の風にそよぐ樹のようになって、気づけば眠っている。
そんなことがある。
夜明けが来ると、音はあまり聞こえなくなる。
代わって、小鳥が鳴いて、今はあまりとる人もいなくなった新聞配達の音がして、生活の音が聞こえてくるようになる。
そのときには世界の音は聞こえていないけれど、なくなるわけではないのだろう。
現実の物音の陰になって、隠れている。
密かに、静かに、夕方になるまで。
夜になると聞こえてくる、朝になると聞こえなくなっている。
そんな音が、確かにあると思う。