東京の夜、地上は星の町
久しぶりに展望台に行った。
11月の中旬、まだ極寒というほどではないけど、コートを羽織るにはまだ早く、軽めのジャケットですませてしまうような日に。
午後から散歩に出ていた。
都内でもいくつかは公園ぐらいはあり、秋には紅葉を見に行くことができる。
銀杏の葉が、アスファルトの上にちらほらと落ちていた。見上げると、大きな木。晴れたところは黄色く色づいていて、隣の紅葉も赤くなっていた。
去年、同じ時期に来た時は、絶え間なく降る、という表現がぴったりなほど、はらりはらり、はらりはらり、と常に降っていたくらいだったから、今回もそれを期待していたけれど、今年はまだ早かったらしい。
また来週行こうと思う。
夜になって、やっと、冬を感じる冷たい風が吹いてきた。
それでも暖冬のせいか、ぜんぜん寒さはない。
まるで今が、まだ長い長い秋の続きのような気がしてくる。この先も当分は、寒さは来ないとでもいうような。
それもまた、よきかな。
展望台は空いていた。
そして、平日だからだろうか。
カップル率高し。それも、付き合い始めみたいな。
なんていうか、甘い会話。
どんなカップルだ、と、チラチラ見てしまう。
よくある大学生カップルさん。
展望台がうす暗いから、恋人モードが炸裂しちゃうのかな。
おばさんが、見〜て〜ま〜す〜よ〜。
これで、カップルさんが薄気味悪さを感じていただければ幸いなり。
うーん。去るべき?いやいや。なんで自分が。私だってちゃんと、お客だから。
なんとなく観察していると、うまくいきそうなカップルと、これは難しいでしょ、というカップルと、分かるような気がしてくる。
それは、アイコンタクトの取り方だったり、会話するときの声だったり。
なんか、嬉しそうだったりつまらなさそうだったりするのが端々に現れている。たぶんそれは、意識しても装えない部分なんだと思う。
…のだけど、きっと、当事者になると見えないんだろうな。
そんな人間観察も、まぁ今することでもないから、夜景を見よう。夜景を。
こうして高いところに上がると、空は広いなと思う。
天上と地上と。
コントラストがいい。
それと比べると、地上は小さいなって思う。
無数のビルも、車の明かりも。
とても、ミニチュア模型のようで。
それが、車なんかちゃんと動いていて、信号機は変わっていく。
赤、あお、赤、あお
関係ないけど、なんで緑色なのに、『あお』なんだろうと、今でも気になる時がある。
窓に沿って歩いていく。
次々現れる夜空と街の明かりが、万華鏡に似ている。
新宿副都心の高層ビル群が見える。
それに湾岸のマンション群、お台場の橋や観覧車。
富士山の絵が描いてある方角は…当然ながら何も見えない。
晴れた冬の夕方なんか、きっと綺麗だろうと思う。
スカイツリーが見えた。
地上に立てた、ロウソクみたいだった。
都市の夜景はビルの灯りだから、夜になると互いに無関心な他人みたいに、白け過ぎて寂しい気分になる。
もう少しだけ、温かみがあるといい。
昔、一度だけ見たことがある、丘の上に家が集まっていて、窓の明かりが無数にきらめいていた景色を思い出す。
それに、昔、はるか昔に住んでいた住宅地の、宝石箱みたいな暖色の、オレンジや黄色の窓あかり。
実際は違うのかもしれないけど、まだこどもだった目には、何かとても温かい素敵なものに思えていて、それを見てから眠るといい夢を見れるような気がしていた。
それから、気がついたこと。
気持ちがリセットされていた。
それは、高い夜空に浮かぶ雲を眺めていたからなのかもしれないし、小さくて、それでも健気な街明かりを見ていたからかもしれない。
それとも、何も考えることをしないで、ぼーっとしていたからなんだろうか。
ただ、一人で来ていたからリセットされたことは確かだと思う。
誰かと来るのも楽しいけれど、こういう時間って、人間には必要なんだ。
視線を窓から外すと、白い屋内にはいろんな人たちがいて。
全くの他人なのに、ともに同じ場所にいて、似たような時間を過ごしていたことに、若干の不思議さを感じる。
まぁ、みなさんも、うまくやってくださいな。
とか、なんとか。