原初の文字、原初の会話
エジプトのヒエログリフや中国の殷の時代の絵見たいな文字を見ていると、文字ってどうやって生まれたのかなと思う。
絵みたいな文字。
絵自体は、石器時代だって描いていますね。
フランス中部にある、ラスコーの壁画とか。
あれは、クロマニョン人が描いたのだそうです。
文字を持つためには言葉が前にありますね。
言葉こそ、謎です。
ゴリラも鳥も、なんなら猫どうしでも意思疎通はしていますが、人間のそれは、何というか、別格に高度な気がします。
世界の意味付けというか、グループに分けていく、認識の仕方が独特というか。
似た形のもの、似た感触のもの、特別な効能のある植物、石、実や草を他と区別したり、同じ集団、敵と味方を区別したり。
わたし、私たち。
あなた、あなた方。
食べ物、食べられない物。
好きなこと、嫌いなこと。
嫌いでも役に立つこと。
植物、動物。
自然、人工。
空、大地、海……。
言葉とは、世界の捉え方と同じ、というようなことをどこかで読んだ気がします。
ヘレンケラーでしたか。
言葉を遺す。文字として残す。
それはまた別の働きですね。
この苦労して得た大事な記録を残したい。
この、クニとクニの取り決めを後々揉めないように残したい。
神様に言葉を伝えたい。
あるいは、呪いとして、祈りとして刻みたい。
こんなところでしょうか。
象形文字、表意文字、表音文字…、いろいろありますが、漢字なんかは、元の絵だった時の名残りが感じられますね。
文字を刻もうと最初にした人たちは、どんな人たちだったんでしょうね。
きっとある程度富の溜まった国家のお役人か神官か呪い師かなと思いますが、庶民だったらそれもまた面白いですね。
うちのとこのこの魚と、お前さんのとこの肉を、これから毎年この量で交換しよう。
諾。ここに刻む。
うむ。交渉成立。
そんな感じとか。
なんか、わくわくしますね。
しませんか?