昔に滞在していた街のこと
ある朝起きると、夢を見ていたことに気がついた。
夢だと理解するまでには少し時間が必要だった。気がついたら前に暮らしていた町の日用品店の自動ドアから入ってすぐの辺りに立っていて、特に何か買うあてがあるわけでもないのにふらふらと季節の柄のタオルやインテリア雑貨なんかを手に取ったり選んだりしていたのだった。時間帯は午後二時から四時の間くらいのそれほど遅くない時間な気がした。
ただそれだけだった。それでも店内の白くて明るい感じとか、広い店内の棚や台の上に、手に取りやすいように雑貨が並んでいる景色は、まるで本当にその場にいるかのようにはっきりとしていて、あの通路の先には食器と家電とテーブルウエアのコーナーがあって、その隣に行くと衣類のコーナーがあって、という記憶とともに、実際にその店に来ているような感覚がしていた。
そしてそれと同時に、その当時のあっけらかんとした、毎日が安定しているような、未来はずっと遠くにあって、今はまだ向かっている途中だから心配なんかしないで大丈夫とでもいうような気分も蘇っていた。
その店に寄っていたのは今から十年以上も前のことだった。毎日きちんと通う場所があり、それなりにいつも考えなければいけないことがあり、好きな本を読むのが楽しみで、未来は漠然としていて白くぼんやりとしか考えられずにいて──それは今も変わらないのだけれど、なんとなく、そのうちなんとかなると思って、毎日の雑事に追われて過ごしていた頃のこと。
今から考えればそれはかなり贅沢な時間だったわけだけれど、当時はそのありがたみが分からないで、ちょっとしたことで落ち込んだり、喜んだりしていた。
今ならもっと上手く立ち回れるのにと思うこともあった。けれど、もし戻ることがあれば、やはり同じ道を辿るのだろうと思う。ただ、そうなる道を辿ってきたからこそ、今ここでエッセイなど書いているのだと思うと、どんなことも、完全に悪いことばかりではないのかもしれない。
分岐点という言葉がある。当時は見えていなかったことが今になって振り返るとよく見えて、あのときのあれが分岐点だったと気づくわけだ。できれば分岐点を過ぎている最中に、こちらを選ぶとこうなるという未来が漠然とでも分かればいいのだけれど、やっぱり予想することはとても難しい。
特に、どんな人と関わることになるのか、なんていうのは偶然の積み重ねだし、その人たちと上手くやれるかなんていうのは、なおのこと予想なんてできない。上手くやれるときはやれるし、合わないときは合わないのだ。
となると、ここでこうしてエッセイもどきやら何やらを書いていることにも、今は特に何の意味も見いだせなくて、ただ女子会のようなノリが楽しいというだけでも、何年か、あるいは何十年近く経ってから振り返ると、何らかの意味が見つかるのかもしれない。そう思うと、ひとつひとつのやりとりは大切にしたい、なんて思う。
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まあ、そう書いておいて、きれいにまとまりかけているなぁと自分でもちょっぴりドヤ顔で思うわけではありますが、作者はそんなに記憶力がいいほうではなくて、残念なことに真面目でもないから、結局は脳天気にな〜んにも考えないでいろいろなものを書いたり晒したりして、後になって恥ずかしくなったり、なかったことにしたくなったり、また、やってしまった…なんて後悔するのかもしれません。
いずれにせよ、今は今やっていることの意味は分からない。分からないからこそ、こんなエッセイなど書いていられるのだろうと思うのでした。