将来の夢はカエルです!保育園編
我が家の次男坊は自閉症スペクトラム、ADHD、学習障害と診断されています。
産まれてから、とにかくほとんど泣かない
赤ちゃんでした。
母親からすれば、すごくありがたい!!
泣き声は小さく、夜の21時頃から寝始め
ミルクが欲しくて泣くのは朝方5時頃。
あまりにも静かなので、逆に心配になり
顔を覗くこともしばしばありました。
仕事復帰のため生後半年から保育園に預ける
ようになりました。
あれだけ静かだった次男坊が激しく
泣くようになりました。
四六時中泣いていて、赤ちゃんながら
保育園のストレスがあったのだと思います。
現在、声がハスキーなのはこのせいではないかと
私は思ったり…
ミルクを卒業→離乳食→普通食となった頃、
先生から連絡がありました。
1分も座ることが出来ず、給食中は机と体の間に
クッションをいれて体を固定させてほしいと。
それで固定が出来るのか?と思いはしましたが
了承しました。
確かに家でも私が追いかけながら食べさせることが
ほとんどでハイハイ→歩行が出来るようになって
から次男坊が座るという姿を滅多に見ることは
ありませんでした。とにかく家中を徘徊。
でもまだ年齢も小さく、長男も落ち着きがある
ほうではなかったので、こんなものでは?と
思っていました。
言葉の発達が遅く、「マンマ」「ママ」以外を
喋ることがなく少し心配になりました。
雨の日になると保育園の教室を飛び出し
裸足で水たまりをバシャバシャ。
送り迎え時もバシャバシャ。
服と身体中泥んこまみれで次男坊は嬉しそうに
していました。
2歳を過ぎるとこの頃には、
チャイルドシートが嫌で暴れまわり、
ベビーカーに乗らない、スーパーへ行けばカートに
座らない、商品を勝手に開けようとする、迷子放送
がかかるなど、大人一人ではスーパーすら
行くことができませんでした。
3歳半集団検診へ行きました。
保健師さんとの簡単な知能遊びや質問があったの
ですが、まず座ることが出来ない。
「落ち着いたらもう1回呼びますね」と
言ってくれたのですが、落ち着く時がないので
いつまで経っても進みませんでした。
内科検診や歯科検診もほぼ押さえつける状態。
保健師さんに心療内科の先生が別室に
来ているので話をしましょうと言われました。
実は長男のときも、タイヤを回し続けたり、
集中すると自分の世界に入ってしまうので
別室で話をしたことがありました。
ですが、結果、大丈夫と言われたので
次男坊もまあ大丈夫だろうと思っていました。
ここでも簡単なテストをしたかったみたい
ですが、次男坊がしてくれるはずもなく
遊んでいる様子を観察するだけでした。
「私の病院でもいいし違う精神内科でも
いいから予約してちゃんとした検査をしよう」と
言われました。
それでも私はやっぱり3歳半だし、男の子だし
と、楽観的で病院に行くことはありませんでした。
そのまま次男坊は年長になりました。
多動は相変わらずで
さらに食べ方は汚く、箸を使うのが苦手で
手で食べてしまうので保育園では
スプーン、フォークが用意されていました。
10までの数もまともに数えることが出来ず
お風呂で毎日特訓をしました。
とにかく好奇心旺盛で高い危ない所に登ったり、
誰にでも付いていったり、虫取りにハマった時は
ポケットや保育園カバンにそのまま虫を入れ
そのことを知らない私は何度絶叫したことか…
敏感肌で靴下がはけない、衣類も決まったものしか
着れず、年長になっても成長があまり感じられず
さすがに焦るようになりました。
姉が看護師をしており、姉のススメで
3歳半検診で見てもらった先生とは
違う病院へ行くことにしました。
姉のススメ通り、すごく優しい女医の先生で
相談し終わるとまず一言目に「次男坊君もお母さん
もよく頑張りましたね」「相談してくれて
ありがとう」と言ってくれました。
本人は受診の間も椅子へ座ることなく、大きな
窓から金魚鉢をのぞいていました。
「マイペースちゃんだね」とニコニコの先生。
小学校まで時間がないので見切り発車で
療育の手続きをしてから発達検査の予約・実施と
並行して物事が次々と進んでいきました。
そして結果、自閉症スペクトラム、ADHD、学習障害
と診断がつきました。
秋になり小学校の支援学級に入るかどうか
決めるときが近づいてきました。
療育に通い始めてから少し落ち着きが出てきたので、保育園の先生は普通学級で大丈夫じゃないかと
言ってくれました。
病院の先生からは支援学級のほうが
次男坊にとって環境がいいのでは…と
色々アドバイスをくれました。
学習障害ですが、算数全般と国語の読み書きが
苦手な傾向があると言われています。
先生が黒板に書いたものを書き写したり、
本読みが順をおって読めなかったり、
算数は全体的に苦戦するのではないかと
言われています。
私が住んでる町では支援学級を希望する家庭が
多く、症状が重い子から一学年8名前後が選ばれます。
逆に次男坊が支援学級へ入れるかわからないよと
担任から言われていましたので、私も普通学級へ
行ってほしいと言う気持ちが強く安心して
いました。
就学前検診当日
保護者は体育館に残り、子供だけで
内科、耳鼻科、眼科など周りました。
私がいなくて大丈夫かなという不安が
的中してしまいました。
みんなが戻ってくる中、次男坊だけ
なかなか戻ってきませんでした。
次男坊は学校の先生に手を繋がれて
最後に戻ってきました。
後日、園長先生に呼ばれ、支援学級へ
入ることが決定してしまいました。
説明を聞くと、最後に適性検査があったそうで
待ち時間に教室に寝転び鼻歌を歌っていた
そうです。担任から入れるかわからないと
聞いていたのでまさか選ばれると思っておらず
ビックリしたのと同時にそのときの行動を想像して
次男坊らしいと笑ってしまいました。
そのあとは教育委員会と面接、手続き、
入学式前に支援学級の子は入学式の練習を
したりとバタバタと過ぎていきました。
卒園式
長男より大変だったことがたくさんあり
思い出深く号泣してしまいました。
運動会は次男坊に先生が付きっきりで指示
してくれたこと。
学芸会では舞台から何度も降りようとする次男坊。
数を覚えるのも字を書くのも苦手で苦戦したこと。
友達には優しくケンカもあまりなく、小さい子、
大きいお兄ちゃん歳なんて関係なく、たくさん
友達がいて可愛がられたこと。
卒園式の最後にインタビュー動画が流れました。
一人一人、将来の夢を語り、みんな
アイドルやサッカー選手、野球選手と
発表していく中で次男坊が映りました。
「僕の将来の夢はカエルになることです!」
最後にみんなから笑いをとった次男坊でした。