第23章 パウロの葛藤
アンドラスが消滅した後、雪殺の集会場に静けさが戻った。
「皆さん、良くご無事で。」とパウロが言った。
「興味深いです。今のは封印の儀式詠唱を組み換えたもの。パウロ様、あなたは一体…」とオングは驚きを隠さない。
「旧約の外典は封印された悪魔を使役するために理にかなう。私たち使徒の力はそれとはまた違うのです。」とパウロが答える。
「それはどう言う…」とオングとパウロの会話を他所にハヅキは漸く逢えた姉と七袖と共に再会を喜んでいた。
だがミツキの表情はどこか悲しい。
「どうしたの、お姉ちゃん?」とハヅキが尋ねた。
ミツキが意を決した様に何かを言おうとした瞬間、七袖がそれを遮る。
「そういえば、セレステはどこに?」と七袖が尋ねた。
「彼女は一足先に、楊美宮へ戻りましたよ。シヴァ皇帝と上手く話をつけるために私がお願いしたのです。」と彼女たちの会話を聞いていたパウロが答えた。
「わ……、私はてっきりパウロ様が私を助けてくれたのだと…。」と七袖は困惑する。
先ほどシヴァとの戦闘途中で意識を失ったことが悔やまれた。
「心配には及びません、七袖。セレステが皇帝とあなたとの戦いに駆けつけた後、雪殺に到着した私が仲裁に入ったのです。セレステは私の代わりに大使として皇帝と一足先に帰っただけのこと。しかし……」
《ククク、嘘も方便だな。兄弟。》と突然パウロの脳裏に静かな声が囁く。
それはひどく聞き慣れた、うんざりする程いやらしい声だ。
オングはパウロのその答えに少し違和感を感じたが、気に留める程では無い様だ。
そしてパウロは軽くため息を吐くと、一同を見渡して続けた。
「話が随分と複雑になってしまいました。あなたたちをこのまま王朝に残すわけにはいかない。」
パウロはどうしたものかと両腕を組んだ。
《演技が様になってるぜ…。ククッ。》パウロはその声を無視し続ける。
「おっと、沙汰を決めるなら急いだ方がいい。アスラの奴も来ている。シヴァが帰ったとしても余計に話がややこしくなるのは必至だ。」とバルキエルが言った。
「そもそも、彼らの目的は吸血鬼の殲滅。あなた方と戦う気は無かった筈。ですが、……」パウロはそう言うとミツキの方に視線を向けた。
ハヅキはその視線に気づくとハッとして言った。
「シヴァ皇帝がお姉ちゃんを王国へ連れ帰る事を許してくれるでしょうか?」
パウロは暫く黙って考えると静かに首を振った。
そしてパウロとミツキが視線を交わすと、ミツキが徐に語り始めた。
「私が陽王朝に囚われていたのは、各国の力の均衡を守るため。すでに2体の熾天使を保持する王国は、各国から疎まれる存在になりつつあるわ。その力は強大になり過ぎて、また戦争が起きても不思議では無い状況になるの。」
「で…でもっ…」とハヅキは当惑する。
ミツキは悲しそうにハヅキに微笑んだ。
「だから言ったのに、来ちゃダメって。私はここに残るべきなの。」
「そんな!」とハヅキは叫んだ。
「つまり、ズッキー姉の力は熾天使と同等って事か…」と珍しくバルキエルの頭が冴える。少なくともバルキエルはそう心の中で自画自賛する。
(先程の詠唱で『神の秤』と…。つまり大天使サリエル様の眷属。確かサリエル様は対になる存在が…。ま、まさか……)とオングは自身の推理を口に出すことはせず、パウロに尋ねた。
「パウロ様。こんなにも4大熾天使の眷属が地上に揃うことなどあり得るのですか?これではまるで……」しかし、そこでパウロがオングを制して答えた。
「やれやれ、オング。あなたは少し賢すぎる様ですね。」
そしてパウロはミツキとハヅキを交互に見つめると静かに言った。
「幼い少女たちよ。私の力が至らない事を許して欲しい。」
《ハーッハッハ!まるで役者だな!》パウロの額に汗が滲む。
するとパウロは両手を地面に付け、深々と頭を下げた。その褐色の額までも地面に擦り付けている。
「そ、そんな。パウロ様。どうかお顔をあげてください。」とミツキはパウロに駆け寄った。
そしてミツキは続ける。
「私はむしろこれで良かったのです。ハヅキが無事であるならば、私はここで耐え続ける意味があった。なぜなら…、本当に奪われては行けないのは…」しかしミツキはそれ以上口にする事を躊躇した。
(私はまたこの少女たちの運命を狂わすのか…)とパウロは思った。
彼女たちは許されるなら、王国のマギア聖学院で普通の学生としての人生があったであろうに。
そう思うとパウロは彼女たちが不憫でならなかった。
《ケッ…、この偽善者め。》
パウロの脳裏に悪魔の様な声が囁き続ける。しかしパウロは心を奮い立たせてその声を打ち払った。
「いえ、ミツキ。あなたはここにいる者たちと一緒に王国へ行きなさい。」
「で、でもそれでは…」とミツキは考えても見なかった事の様に驚いて目を見開いた。
するとハヅキはミツキの右手を取って言った。
「行こう、お姉ちゃん。」ハヅキの目には涙が浮かんでいる。
もう決して離れまいと言う妹の決意を姉は感じ取った。
未だ躊躇するミツキの左手を今度は固く、七袖が握った。七袖はミツキの戸惑った瞳を見ると、黙って頷いた。
「しっかし、どうやって…」とバルキエルが呟く。
すでにシヴァ皇帝に目論みは露見し、雪殺は壊滅、そしてミツキは恐らく未だ囚人奴隷として、陽王朝の所有物に違いないからだ。
「正規のルートではもう帰れません。最後の手段がおありでしょう?」とパウロは言った。
「ジャンゴジャンゴ…」とハヅキは当初の計画を思い出した。
「知っておられたのですね…」とオングがパウロに言った。
「この場は私に任せて行きなさい。」とパウロが毅然とした表情で答えた。
ミツキは両手を握るハヅキと七袖を見つめて言った。
「わ、私…本当に行ってもいいのかな…?」とミツキは初めて、年相応の少女の顔をした。そして、ハヅキと七袖の手を固く握り返した。
ハヅキと七袖は静かにミツキを見つめて頷く。
パウロは3人の少女たちを見つめながら、彼女たちの絆が壊れない事を祈った。
《ケッ、くっだらねえ。》また声が聞こえるが、パウロは聞こえないフリをした。
そして一同を安心させるかの様にパウロが続ける。
「セレステは私に任せておきなさい。必ず王国まで帰る手配をしよう。」
「パウロ様、どうかセレステをお願い致します。」と七袖が頭を下げた。
「最後にもう一つ。ミツキ、君の力について王国ではカナン王しか知らない。ミルティアス様は勘付いておられると思うが、君の力については他言無用としなさい。王国も一枚岩ではないのでね。」とパウロは言った。
「分かりました。この力、来たるべき時まで秘密に致します。」とミツキは誓った。
するとパウロはニッコリ笑うと、「さあ、行きなさい。」と最後に言った。
こうして、一同はパウロを残し雪殺を後にしたのだ。
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一同が去った後、雪殺に残されたパウロの背後に影が現れて再び囁いた。
《お見事だよ。兄弟!》
まるでその影が拍手をしているかの様に左右に揺れる。
パウロはその声が不快で堪らなかった。
何より耐え難いのは、その声が自分のものであるからだろう。
「黙れ、ユダ。」
《ハーッハッハ!パウロよ、これでカナンの思い通りだな。おめでとう。》
影が薄れてゆく。
パウロはその影が薄れていくと共に、自分の意識も遠のいていく事を感じた。




