第9章 禁楼の妃
その日、一同は再び使徒と面会した。ミツキの奪還と、それからの逃避経路等、想定する事態について話し合うためである。
「承知している。奪還の際は私が逃避経路の手筈を整えよう。」と、パウロは言った。
パウロは、ミツキを救い出せと言う王からの勅命をそもそも知らないのかもしれないと言う不安は杞憂に終わった様だ。
その証拠に、パウロはハヅキ、七袖、セレステの3人のために、禁楼への入楼許可証を申請してくれた。
禁楼は男子禁制のため、バルキエルとオングは正式なルートでは入れない。
「さすがパウロ様。これだと随分と有利に計画を進められますね。」とオングが言った。
「暫く禁楼の見学を兼ねて皇帝シヴァの妃の1人を選び、傍付きにしてもらうのはどうかしら。異国の文化見学という名目で。」
とセレステの目がキラキラと輝いている。
「随分と楽しそうだな、セレステ。」と七袖が窘めた。
「あら不謹慎ですわね。ごめん遊ばせ、ハヅキ様。」と申し訳なさそうにセレステはハヅキに謝った。
ハヅキは相変わらず、セレステが話しかけるとサッと七袖の背に隠れる。
「ここに来てから伸び伸びとしすぎじゃないのか?」と七袖が続けてセレステを揶揄う。
「うふふ。だってこんなに自由な生活、夢みたいだわ。私、今では自分で家事もできる様になりましたのよ。」
お嬢様育ちのセレステにとって、陽王朝での留学生としての生活は自由気ままなものだった。これまでの貴族としての堅苦しい式たりや作法を忘れ、随分羽を伸ばしている。
「妃達の中に王国出身のシャーロット様がいらっしゃると、コルトバ様に聞いておりますわ。」とセレステは続ける。
(あ、あの眼鏡の…)とハヅキは親善大使の任命式で見た、カナン王の側近を思い出す。しかし眼鏡しか思い出せない。そして眼鏡を掛けていたかどうかも怪しく思われる。
(あれ、もっと前にも会った事ある様な…ん…それよりシャーロットって言った…?)とハヅキは人差し指を前頭部につけながら、その思考の変化が目紛しい。
「それだと話を通しやすいかもしれないですね。」とオングが答えた。
「げっ、あのシャーロット…?」とハヅキが呟いた。
皇帝シヴァの妃の1人として輿入れされたとなれば、それはまさに政略結婚。
その相手は当然カナン王の親族である。
そう、シャーロットはハヅキの義理の姉に当たる。王国と陽王朝の友好の為、皇帝シヴァの妃となった姫君である。
そして過去にグロシャークハウスにてハヅキと同居していた姫でもあった。
ブルネットの髪を惜し気もなく巻き上げ、その栗色の瞳で意地悪くハヅキを見つめるシャーロットの顔を思い出すと寒気がした。
「私もオングさんと一緒の潜入組でもいい?」とハヅキは懇願した。
「おいおい、俺も潜入組だぜ?」とバルキエルが突っ込むが冷たくスルー。
未だ「誰このおじさん、知らない人」という目でバルキエルをチラ見するハヅキ。
「もちろんダメだ。シャーロット様はお前の義理姉上では無いか。あんなに親しかったであろう?」と七袖が言った。
「えっ…ナナちゃん、何を見てたの?あの糞ビッ…、あ、いやあのお姫様が私を散々苛めてたの知らないの?」とハヅキは大袈裟に涙ぐんだ。
「何を言っている。いつも親切だったじゃないか。」
「きゃー、本当に信じられない。ナナちゃんの鈍感!トンチンカン!阿呆!」とハヅキが取り乱し始める。
「おい、グズ。悪口が混じっているぞ。」とハヅキに厳しい七袖。
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使徒から禁楼への入楼許可証をもらうと話は急速に進み、ハヅキと七袖、セレステの3人は禁楼の南側に位置する妃達の宮殿の一つ、『楊媚宮』へ来ていた。
すると宮殿の奥から聞き覚えのある甲高い笑い声が聞こえて来た。
「オーホッホ、ああら、ハ・ヅ・キさ・ま。お久しぶりね!」とブルネッテの巻き毛を両手で後ろに勢い良く払いながらシャーロットが現れた。
(魔物が現れた。)的な扱いをするハヅキ。シャーロットを見る視線がまごう事なく淀んでいる。
「し、シャーちゃん。久しぶり、元気そうね。」とハヅキは棒読みで挨拶した。
「きゃー、七袖様!お久しぶりでございますわ!ささ、どうぞ中へお入りになって。あら、こちらのお方は?」とあからさまにハヅキを無視するシャーロット。
「セレステと申します。シャーロット殿下、ご機嫌よう。」
セレステは片方の膝を折ると、王国の騎士風に挨拶をした。
「まあ、なんて麗しい!ささ、セレステ様、七袖様。こちらでございますわ!」
シャーロットは目をキラキラさせながらお尻でドンっとハヅキを押し退けると、七袖とセレステの2人を中へと案内する。
「シャーロット様…」と七袖が話しかけようとするとシャーロットが不満そうに遮った。
「もう、七袖様っ。前々からシャーロットとお呼びくださいと言ってますでしょう!そもそも王国にいた時でさえ、アタクシには王位継承権もありませんでしたのに。」
寝不足ではないがハヅキの目元に隈が浮かぶ。そして、シャーロットはハヅキを横目で見ながら続けた。
「まあもっとも、今は皇帝陛下の妃ですけれども…」と勝ち誇った笑みを浮かべている。
「シャーロット、ありがとう。暫くの間、ここで王朝の文化について勉強させてもらうよ。楊美宮での君の使用人として来たのだから、何でも言ってくれ。」と七袖は言った。
「まあ!七袖様を使用人だなんて!そんな事、アタクシが断じて許しませんわ!ここではお客人として、どうぞごゆるりなさいませっ。」
そう言うとシャーロットは七袖とセレステを客人用の寝室へ案内した。
そして戻ってくると、徐に窓の淵に小指を載せるとハヅキへ向かって言った。
「あら、埃が。そこの使用人、今すぐ拭きなさい。」
ハヅキはこれからの禁楼での生活を思うと目眩がした。
実はシャーロットはこれが「槍の王」シリーズ初登場では無いのです。色々こんがらがっている伏線をお楽しみくださいませ。