ガールズトークwithツナ
その夜。
疲れ切って誰よりも早く寝床についていたウィルベルがふと目を覚ましたのに、ぼくは気づいた。
マグロは泳いでいないと呼吸できないっていう性質上、ほとんど睡眠を必要としない。
なので、ぼくはうつらうつらとしながらも、ずっと起きている状態なのだ。
(ウィルベル、どうしたの?)
時間は丑の刻。みんな寝静まった時間。
ぼくが寝ている部屋は女性たちの共同部屋らしく、幼女たちも一緒である。
おおっと! 言っておくおけどぼくはロリコンではないので、そんなことでは興奮したりはしないからね!?
部屋は簡単な仕切りで区切られていて、ぼくが横たわっているのはウィルベルの顔も見えない仕切りの奥。
これはウィルベルに同衾を拒否されたのではなく、生まれて初めてマグロを見て興奮したチビッコどもに拉致られた結果である。
いまのぼくはチビッコたちが用意してくれたマナ板の上に鎮座し、横たわってるんだけど……気分は解体ショー直前のクロマグロ。
死刑執行前の囚人ってこんな気持ちなのかもしれない。
(この音って、なんなんよ?)
ウィルベルが言ってるのはパチンパチンと算盤を弾く音。この世界って算盤あるんだね。
その音の主はエーリカちゃん。
さっきからずっと部屋の端にある机に向かって、わずかな明かりをつけて帳面とにらめっこしている。
「あら、ウィルベル。起こしてしまったかしら。ごめんなさい」
「ううん。エーリカ、なにやってんよ?」
「あなたの旅費をなんとか捻出できないかって。
何かの間違いでレヴェンチカに行ける手段があったとして、旅費の問題でいけなくなっちゃうと嫌でしょう?」
「エーリカ……」
「ま、行けなかったとしても誰も笑ったりしないから、あんまり無茶はしないように。
だから変に気を使わずさっさと寝なさい」
毛布くらいかけてあげよう、と立ち上がろうとしたウィルベルを制止しながら、エーリカは振り向きもせず算盤や帳面とのにらみ合いを再開する。
「なんか……負担をかけてごめんね」
「そこはありがとうって言うところでしょ? ま、チビッコたちも働ける年齢になってきたし、気にしなくてもいいわよ」
「うん。ありがとう。エーリカ」
イイハナシダナー。
ぼくが感動していると、エーリカは寝転がったままのウィルベルにレヴェンチカへの案内が封入された封筒を投げる。
「ウィルベル、さっきは疲れてたみたいだったから言わなかったけど、自分が受験するんだからちゃんと見ておきなさいよね。
出発したあとに忘れ物があって受験できなかったなんてなったら指をさして大爆笑してやるから」
「あはは……。うん」
上半身だけ起こして、背中を壁にもたれさせたウィルベルは封筒の中身を確認する。
ウィルベルの目を通して、ぼくにもその紙に書かれた内容が見える。
ウィルベルが寝ている間にエーリカやマークが先に目を通しておいてくれたらしい。注釈や難しい文字にはルビが振られているのが見て取れる。
えーと、必要なものは住民票の写し……これはマークが慌てて取りに行ってくれたらしい。写真のついた身分証明証……これはクランの所属証でよし。あとは保護者の署名――って、えらい現実的だな。おい。
「保護者のところはわたしの名前で署名しておいたから」
封筒に混ざっている保護者の署名の紙には、言われた通りエーリカ・フュンフの名前。なんてママ力なんだ。おかーさんって呼んでいいですか?
あとはなになに……試験中に死んでも構わないっていう同意書。って……物騒すぎぃっ!
そして、
「受験者証としての魔力宝石? そんなものはいってたかな?」
言って、ウィルベルが封筒をまさぐると、確かに封筒の下のほうに小さな石っぽい感触。
「これかな?」
封筒を逆さに向けて揺すると、コトン、と丸くて赤い宝石のようなものがウィルベルの寝ている布団の上を転がる。
「……きれい」
「それが魔力宝石なんだって。当日までに各々アクセサリーに加工して身につけておくように、って書いてたはずだけど」
「加工……」
明日にはどうにかして出発しなきゃいけないのに、さすがにそんな時間ないよねー。
「身に着けておけばいいって話だから、お守り袋にでも入れておけばいいんじゃない? はい、これ」
用意周到とはまさにこのこと! なんて保護者力なんだろう!
エーリカが投げ渡してくれたお守り袋を受け取って、ウィルベルは魔力宝石をイン。
と、
「あ、手が」
昼間に酷使された筋肉がぶるっと震えて、魔力宝石がお守り袋の外に飛び出てしまう。
こーん、と転がり落ちた魔力宝石はタイヤが転がるようにぼくの前にコロコロと。
――言い訳させてもらうと、マグロが片方の脳ずつ起きてるっていうけど、ぼくは元人間なわけで精神的に疲れてるわけ。
本来のマグロだって、脳の半分が寝るときは代謝を落として寝るわけで、起きてるって言っても半分くらい夢現な感じなわけだしね。
……なにが言いたいかっていうと、そのときのぼくは右脳の本能を制御しきれてなかったわけ。
そう。つまり。
あ、イクラみたいのが落ちてる。おいしそう!
「ぱくっ!」
「「あああああああああああぁぁぁ!!!!」」
孤児院に響き渡るエーリカとウィルベルの悲鳴。
なんだなんだ、と起き上がるチビッコたち。数秒後には隣の部屋にいた男性陣も何事かとなだれ込んでくる。
彼らが見たものは――
「吐け! 吐くんよぉぉぉっ!」
「ウィルベル! これ、口の中に手を入れても大丈夫!?」
「ぐえー。口からネギトロが出ちゃう」
2人がかりで、逆さにつるし上げられているクロマグロの姿であった。
この光景を簡単に言うと一本釣りした釣り人が釣ったぞぉぉぉ! って誇ってるみたい。
なだれ込んできた彼らがぼくらを見る視線は「こいつら何やってんだ」って感じ。
さっきまでのイイハナシダナーなムードは消えうせて、完全にコメディのノリである。
あばばばばば! エラに手をいれないで! 窒息しちゃう!
仕方ないじゃん! だってぼくはしょせんクロマグロ。本能には逆らえなかったんだもん!
それもこれも魔力宝石が小っちゃくて赤いのが悪いんや!
「そのうち糞として出てくるだろうから、それを使えばいいじゃん!」
「絶対にノゥ! 乙女としてそれは譲れんのよ!
吐き出さないっていうなら、尻の穴から手突っ込んで奥歯ガタガタ言わししちゃるんよ!」
やめて。それ絶対に乙女のすることじゃない。
エーリカもエーリカで、
「マーク! マグロ包丁って厨房になかったかしら!?」
「さすがにそんな大きいのは……。あ、でも牛刀みたいのを見た記憶が」
「オゥケィ。とってくるから、この精霊が逃げ出さないように見張っといて」
「やめて! 死んじゃう! っていうか、ほんとに厨房のほうに行くのやめて!? ジョークだよね!?」
「わたしは本気よ。死にたくなければ戻ってくるまでに吐き出しなさい!」
「あばばば! 転生した初日に死ぬのはヤダー!!」
てんやわんやの乱痴気騒ぎ。
――と、そのときだった。
【アイテム『祈りの宝珠』を取得しました】
「「へ?」」
ぼくとウィルベルの声が被る。と同時に、きゅぽーんとぼくの額に青い宝石みたいのが出てきた。
大きさはちょうど魔力宝石くらい。形も魔力宝石。
どこをどう見ても魔力宝石だけど、色だけが青い感じ。
え……? なにこれ寄生虫?
【マグロ豆知識】
脳の左右、片方の脳だけを休ませる特殊な睡眠を半球睡眠といいます。
渡り鳥(長い時間飛び続ける必要がある)やサメ(泳ぎつづけないと死ぬ)、イルカ(肺呼吸をしているので、溺れると死ぬ)などで確認されています。
人間の場合も睡眠とまではいきませんが、片目を瞑ることで、それぞれ右脳左脳への負担を軽減できると言われています。
頭が冴えて眠れないときや、思考が空回りしてるときは片目を瞑ってみてはいかがでしょうか。
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