聖ペテロ女学院 謎解き部の日常
放課後、教室を出た私はいそいそと「謎解き部」の部室に向かっていた
もう同級生の瑠璃子ちゃんは来ているかな。今日はどんなお話が出来るのかな。私が持ってきたクッキー喜んでくれるかな。
歩きながらも私の頭の中は瑠璃子ちゃんの事でいっぱいだった。
この聖ペテロ女学院高校に入学したての私が「謎解き部」に入った理由は、先輩に勧誘されたからである。以上。
本当にそれしかなかった。
特に何の信念も信条も無い上に断れない体質の私は、押しの強い先輩に言われるがままホイホイ入部届にサインをし、ホイホイ部室に足を運ぶようになった。その先輩は私の入部三日後「宇宙の真理を探しに行ってきます」との書置きを残して失踪しちゃったんだけど、その話はまた別の機会に。
部室のドアを開けるとふんわりと柔らかい匂いが漂ってきた。
床一面に敷かれた赤い絨毯と壁に飾られた西洋風の絵画を見れば、誰もが普通の教室ではないことに気付くだろう。ところがこの教室の正式名は「多目的教室E」。
元々は絨毯も絵も無いごく普通の殺風景な部屋だった。これらの物は全て瑠璃子ちゃんの私物であり、ほかにも観葉植物、ティーポット、ティーカップ、食器棚、etc.
彼女の入部1か月後には、まるで中世ヨーロッパの御屋敷の一室へとリノベーションされてしまった。
「あら日向さん、こんにちは」
澄み切った直線的な声がした。
声の主はシックなアンティーク調のテーブルを挟んで向こう側に座っていて、私に穏やかな笑顔を向けている。
「ああ瑠璃子ちゃん、ごめんね、ホームルームが長引いちゃってさ」
あたふたしている私を見ても彼女は笑顔を崩さず、黒く艶やかな長髪を掻き上げてみせた。
「お気になさらないで。もうお湯が沸いているから、これから紅茶を淹れるわね」
「い、いいよ! 私が淹れるよ!」
「ふふっ、良いのよ。座っていて」
瑠璃子ちゃんは笑顔のまま、電気ケルトから銀製のティーポットへお湯を移している。
相変わらず見惚れてしまう。その仕草や振舞いはおおよそ高校生になったばかりとは思えず、何よりその美貌が完全に浮世離れしている。
入学してから毎日下駄箱にラブレターが届き(女子高なのに)、先輩からもひっきりなしに告白されているという噂だ(女子高なのに)。
「ところで日向さん、今日はアレ、用意してくださいましたか?」
「ナゾナゾでしょ? もちろんだよ!」
何故私がナゾナゾのネタを持ってきたかというと、この部活が謎解き部だからだ。……身も蓋も無い言い方になるけど。
失踪した先輩曰くこの部活は元々「宇宙誕生の秘密からクロスワードパズルまで、この世のありとあらゆる謎に迫る事」が目的だそうだ。
先輩が失踪した今となっては創世の謎解き部が具体的に何をしていたのかは謎だけど、私も瑠璃子ちゃんも謎解き部としてこの部室を使う以上は謎を解かないといけない。
決して放課後にお茶をすすりながら楽しくおしゃべりをするだけで終わらせてはらないのだ。うん。
「ふふっ、今日はどんなナゾナゾを用意してくださっているのか楽しみだわ」
瑠璃子ちゃんは私のティーカップに紅茶を注ぎながら言った。
「瑠璃子ちゃんありがとう。ナゾナゾと呼べるか分からないんだけど」私はゆっくりティーカップを持ち上げながら続ける。
「『OMG』って聞いたことある?」
「ええ。確か英語圏のネットスラングで『Oh My God』の略ですよね?」
「正解!」
「他にも『Thanks』が『THX』に、『Girl Friend』が『GF』に略されているとか」
「そうそう、瑠璃子ちゃん詳しいね! 今回はそれの一つなんだけど『TBH』っていうのがあるんだよ。さて、『TBH』とは何の略でしょうか?」
「『TBH』……」
瑠璃子ちゃんは一度紅茶を啜った後、顎に手を当てて目を伏せ、物憂げな表情になった。
その仕草と表情に思わずドキッとする。女の子同士で惚れるとかは無いけど(多分)、私が男の子だったら一瞬で恋に落ちてるんだろうなぁ。
やがて瑠璃子ちゃんは再び紅茶を啜った後、言った。
「チンコビンビンハムスター」
沈黙が、部室を覆っていた。
遠くから外を走る陸上部の掛け声と吹奏楽部の演奏が聞こえてくるのを感じながら、私はひたすら静止していた。動いてはいけない気がしたんだ。
瑠璃子ちゃんは相変わらず私を真顔で見ていて、その気品の漂う凛とした顔からは自信が満ちている。やがて彼女はもう一度口を開いた。
「チンコビンビンハムスター」
「なんでもう一回言ったの、瑠璃子ちゃん……!」
「ツィンコビィンビィンハムスター」
「発音の問題じゃないよ? あとそれ日本語の部分だし……」
「チンコビンビンヘァムスタァア」
「違うんだよ、そもそもハムスターじゃないんだよ」
「チンコビンビン日向さん」
「なんで私の悪口にシフトしたの……?」
「残念、不正解ですのね……」
瑠璃子ちゃんは頬に手を当てて溜め息をついている。
もしかして本気で当てに来ていたのだろうか? 本気で当てに来た結果がチンコビンビンハムスターだったのだろうか? なんかもう、怖い。
瑠璃子ちゃんは凄く優しくて落ち着きがあって美人だけど、さっきみたいに突発的に下ネタを言う事がある。本人曰く発作のようなものらしい。
「ねぇ、もう私が答えを言って良い?」
「どうして? 私は今正解を考えていますのに」
瑠璃子ちゃんは口に手を当てて、再び考えるポーズを取った。
その穢れを知らない唇から今度はどんな爆弾を投下してくるのか怖くて怖くて仕方ない。
「うぅん、でもチンコビンビンまでは合っているはずですの」
謎の自信を見せる瑠璃子ちゃん。全部違うし、正解に近いか遠いかで言えば光の速さで1年かかるくらい遠い。
「ちょっと一旦落ち着いて。ね? クッキー持ってきたから」
「クッキー!?」
私がカバンからクッキーの入った缶を取り出すと、瑠璃子ちゃんは途端に目を輝かせ始めた。ちょろい。
時々変な事を口走ったりするけど、私は瑠璃子ちゃんの事が大好きだ。引っ込み思案の私が高校に入学してから出来た、心から信頼できる唯一の友達だから。
まだ慣れないことが多くて戸惑うこともあるし、不安に駆られることだってある。だけど、この時間が大好きだから、瑠璃子ちゃんと笑って話せるこの部室があるから毎日が楽しいって感じられるんだと思う。
これからも大事にしよう。
「分かりましたわ。チンコじゃなくてチンチンですのね?」
「うん、もう私の負けで良いからさ、チンチン連呼するの止めよ?」
おわり
お読みいただきありがとうございました!
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ちなみにTBHはTo Be Honestの略で、「ぶっちゃけ」とか「正直に言って」という意味があるそうです。