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第七回 ゲームは小説より奇なるや?

ゲーム「アークザラッド」感想込。ネタバレ、には全くなってないと思う。あ、指輪物語のあらすじ的なものも。


 エッセイなんて書くの久しぶりですよ?


 この企画はもう終わったものと、きっと以前のものを読んで下さってた皆様の半数以上が思っておられたことでしょう(残りの半数=存在すら忘れてらっしゃる方)。


 とりあえずこちらのエッセイは、作者が書きたいときに書きたいことを書くコーナーなので、よっぽど酔狂な方々がたまたま目についたときにななめ読みしてくださればそれで十分なコーナーです(コーナーって)。さあ、そんなわけで、今日も平成30年5月2日11時現在、あまりに暇で暇で、ちょっくらなろうサイトの連載新着に一瞬だけ上がったエッセイでも見てみるかなって人たちのためだけに書いてまいりますよ! あ、まさかのブックマークして下さっているあなたのことも当然忘れていませんからね! 見てるー?



 

 とまぁいつにも増したふざけっぷりで参ります今日のテーマ。


 最近小説を書くのに、よくニコニコ辺りで作業用BGMを探して垂れ流してるんですが、そういう時重宝するのがゲーム音楽なのです。私言うほどゲーマーってほどでもないんですが、一つ買うと結構その世界にのめり込む性質でして、一番多感な小中学生の頃はカッスカスになるまでやり込んだりしました。


 ジャンル的にはRPG好きなんですが、ドラクエ、FFといった王道は一つ二つしかやったことがありません。根が捻くれ者なので、メジャーどころってだけでやりもしないで敬遠しちゃう悪癖がありまして。そのくせ入り口次第だと、メジャーだろうがマイナーだろうがハマっちゃうんですけどね。


 で。一番やり込んだのは、多分ハドソンさんの「新桃太郎伝説」と、SCEさんの「アークザラッドⅡ」、そして当時もやり込んで、今改めて音楽なんかを聞いて懐かしんでいるのが、同じくSCEさんの「WILD ARMS」シリーズです。知る人ぞ知るおっさんレパートリー。おっさん言うなし!



 

 振り返ってみれば、我が実家にテレビゲームが導入されたのは、周囲から見れば遅い方でした。


 幼稚園の頃から、すぐ近所の友達の家にはファミコンがありましたが、自分の家にはなく、買ってもらいたいという衝動もそこまで大きくはありませんでした。小学生の時代にスーファミが出ましたが、我が家に来たのは自分が高学年になってから。それも父親の仕事の関係か何かでどこからかもらってきたもの、だったと記憶しています。買ってもらったわけではなかった。


 その中で、友人の家で見た新桃太郎伝説というソフトはものすごく惹かれて、ぜひ自分でやってみたいと思って、幸運にもスーファミ本体が家に来た後、ソフトを購入したんですよね。もうタイミングが随分ずれてたんで、値段の問題もあって中古でしか手に入りませんでしたけど。


 多分、誰しもが、「子供の頃に触れた、一番大事な物語」を持ってるんじゃないか思います。物書きの末席に座りたがっている身としては、本ではなくゲームだということに若干の引け目もあるのですが、ですが物語としての素晴らしさにはゲームも本も差はないと思っています。私にとってはこの「新桃太郎伝説」こそ、それでした。



 

 というくらい、私にとっては「新桃」は大事な作品なので、そのうちこちらのエッセイで物語を振り返ってみたりなどしてみようかなと思うのですが(多くの読者を置き去り上等!)、今回はいわゆるゲームの物語性と小説の物語性の違いなどを簡単に。ゲームと小説とどっちが優れてるか的なジャンル論争はやめにして、同じ「物語」として見たときにどんな違い、特徴があるかなってのをちょっと考えてみましょうかっていう話です。


 小説はいくらなんでもストーリーの幅が広すぎますので、ゲーム側に寄せて考えてみましょう。封印されてた魔王が今にも復活しそう! 世界を救うために、この魔王の復活を阻止するために、勇者が立ち上がりパーティを組んで旅に出た! よくあるストーリーですねぇ。はい、ゲーム代表「アークザラッド」。小説代表「指輪物語」。スケールの差が激しい! いやまぁゲーム代表はドラクエ5とかでもいいんですけどね。でもあの話、ラスボスゲマ様でしょう?


 えーと、ご存じない方のためにご説明しますと、アークザラッドは、主人公パーティ計13人くらいが頑張って、あちこちの国に潜り込んだ四天王が復活させようとする「闇の支配者」を再び封印しようとするお話。指輪物語は、やっぱり中つ国を支配しようとする冥王サウロンを滅ぼすべく、主人公フロドが率いる旅の仲間9人が、力の指輪を闇の国モルドールの火山に捨てに行くお話。


 なにが違うって、王道小説では強大な力を持った魔王は「復活させちゃいけない」んですね。復活を阻止して再封印ないしは魔王を消滅せしめないといけない。そんな強大な力を持った魔王と、一介のホビット風情が戦うことなんて考えちゃいけない。魔王復活=ゲームオーバーです。


 一方、ゲームはそんなこと言っていられません。いえ探せばそう言ったものもあるのかもしれませんが、大概のゲームは強い魔王を倒してナンボ。ゲーム内主人公が「なんてことをっ! お前は今何をしたか何もわかってないんだ!」とか封印解いた奴に叫んでたとしても、実際プレイヤーは「さてさて、魔王さまはどれくらい強いのかな? ポーション足りるかな」とか思いながら戦ってるわけですよ。そんで世界に平和が戻ってもなお戦いに飽き足らず、レベルカンストでも苦戦するような隠しボス(ラギュ・オ・ラギュラ)とか求めてふらつくわけですよ。あ、WILD ARMSな話。


 そもそもファンタジーを話題にしている前提で、リアリティだ科学的だと喚いてみても仕方がありません。ホビット風情が奇跡の力を手に入れて、サウロン一撃撃破!とかでも物語として破綻するわけではないと思います。現にいわゆる「なろう系」のお話には、そういったある種荒唐無稽なチート設定はありふれたものです。一方で、ゲームの側でも、まぁせっかくの魔王と戦えないっていうのは一つストレスの原因にはなってしまうかもしれませんが、たとえば逆に魔王を再封印するための手順にゲーム性を持たせたりすれば、ちょっと新しいストーリー展開が考えられるかもしれない。


 そうやって考えると、ゲームと小説とどっちが優れている、なんて考えるよりも、それぞれの特徴をピックアップしていって、じゃあ逆にしてみたらどうなの? 逆は応用が利かないの? 利かせるためにはどんな工夫が必要なの? って考えてみる方が、ストーリーテラーとしては面白いよなぁ、と思うわけなんですが。そう思いません?



 

 てなわけで私はゲーマーではないけどゲーム大好きなんですってお話でした。


 ネトゲ一つだけやったことあるんですけど、ムービーゆっくり見てお話追っかけてたら、パーティの人たちに置いてかれるんですよね……。悲しいことだ。


 あっ、11時30分過ぎちゃった!

 




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