表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
30/31

3-7

ミロには三歳年上の兄がいた。


いるのではない。

いた。


ミロが一歳のときに彼はこの世を去っていた。


当時まだ歩き始めて間もないミロには、記憶と呼べるものがなかった。

なかったというよりも、それは曖昧で、はたして記憶と呼べるのかわからない、ぼやけた意識の堆積であった。

その堆積のことを、ミロが把握しているわけでもなかった。

脳の奥深く、地層のようになった一番下敷きにそれは格納されていた、かもしれない。

だから、意図的に呼び起こせるような、記憶、として認識されるレベルには程遠く達していなかったのだ。


それゆえに、人形の発言はミロにとって青天の霹靂だった。

前提が取り除かれ、唯一設けたルールもさっぱり無に帰したような、そんな意識の裏を突かれた気分だった。


当然、ミロは言葉を失った。

かろうじて成立したかに見えた会話は、すぐに糸口を見失った。


白人形はミロの反応を待つように黙っていた。

しかし、ミロはリアクションらしいリアクションを取れずにいた。

呆然と、ただ意識がなくなったように立ち尽くしていた。

それは、どちらが人形か判別しづらいほどだった。


しびれを切らすことなく待っていた人形は、急かすわけでもなく助け船を出すように、ミロ、と声をかけた。

ミロは、はっとしたように人形を見つめた。


ミロは我に返る。


そして、こう思う。

パンダだった人形は真っ黒になって動き回り、しゃべり倒し、そして暴れまわった。

それはぼくの命すら狙おうとした。

そして今、人形は白一色になって、またぼくに話しかけてきた。

人形は動き、話すことができる。

だけれども乱暴な様子はないし、見るからに前とは別人(別熊)だ。

そして、ぼくのお兄ちゃんらしい。

……。

兄弟。


その響きはいまのミロにとって一種のトラウマを含んでいた。

少年をズタボロに追い込んだ、J・パッカーが連呼していた忌まわしき呪文(ワード)だったからだ。


ミロは白人形を正面から見据えた。

体の横に沿っていた小さなこぶしをグッと握る。


「お兄ちゃんだっていう、証拠はあるの?」

力強い口調でミロは訊いていた。


別に相手を責めたいなんて意志はない。

ただ、勇気を振り絞って、確かめなくてはならないことを確かめたのだ。

安易に相手の言うことに流されず、自分なりの判断を下そうとした。

彼は男の子だった。


ミロの声がこだましたあと、部屋は元どおりに静まり返った。

人形はいまだ答えない。

ミロは負けないように、まっすぐと人形の目を見つめていた。


観念したように、もしくは満足したように、人形は両腕をまっすぐに真横に伸ばした。

そして。


「ないよ。僕にはミロのお兄ちゃんだって証明するものはない。なにもない」

ミロが信じなかったら、それまでだ、とただ静かに話した。


ミロは確かに自分が訊きたいことを、訊かなくてはならないことを訊いたはずだった。


しかし、彼の胸に残ったのは、満足感なんかではなく、締め付けられるような、自責の念だけだった。

波となってそれはミロに押し寄せた。

声にも、仕草にも、それは表れていなかったが、人形が悲しそうなことが、ミロにはなぜかわかったからだ。


なぜ、悲しい思いをしているんだろう。

それは、人形の言うことが本当だったからではないか。

信じてもらえなかったことに、悲しみを覚えたからではないか。

よりによって――



ミロは気が付くと視線を床へと落としていた。

人形の気持ちが憑依したように、身体は苦しく硬直しているみたいだった。

部屋のなかで最も目立つ色彩を放つ人形に、ゆっくりと視線を戻す。


それを見た瞬間、ミロは身体をびくりと、収縮させた。

固まった感じはどこかへいってしまった。


白人形はゆっくりと、うっすらと、本来のパンダ人形に戻っているようだった。

黒色に変わりきった部分はまだない。

しかし、ぼんやりと本来の姿に向かっている兆候は、ミロの見間違えではなかった。

それは、変化する間違え探しのようにじんわりと行われていた。

目に見える病気の進行のようでもあった。


そんな変化に気付いたのか。

人形自身も身体を眺めていた。


「ああ、思ったよりも僕は短いみたいだ。残念だなあ」

人形は、本当の名残惜しそうな気持ちはどこかはぐらかすように、あっけなくそう言ってみせた。


途端、ミロの視界は、ぐしゃぐしゃになった。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ