1-12
「あッ・・・・・・かぁ!かはっ……!」
深夜、心臓が止まるようにしてミロの目が見開いた。
眼球が飛び出そうなほど驚いた彼は、小さな口に拳が飲み込めるほど大きく口を開けていた。
口を開けてはいるがうまく息ができない。
口腔の奥あたりで、かっ、くぁ、こっ、と意味不明な音がしているだけだ。
目を泳がせ首を振り、手足を無茶苦茶に動かす。
パニックを起こしたミロの視界に黒いなにかが映りこんでいることに気付く。
その黒いなにかから伸びた棒状のものが自分の口へとつながっている。
すぐさまそれを引き抜こうとするが、それはミロの中で張り付いて剥がれない。
自己の生命維持のため一心不乱にそれを掴んで再度引き抜こうと力を入れて、ミロは知った。
それはパーカーというパンダ人形の腕で、それが意志をもって喉奥へと押し込められていること。
およそ人形がもつ力とは思えない、意志と物理、双方の力によってそれが行われていること。
いよいよ意識が遠のくかと思われた寸前、力比べの勝敗は決し、ミロはそれを吐き出すことに成功した。
えずき、嘔吐するミロ。
床に手足をつき激しく身体を上下させる。
呼吸のみを繰り返し、本来の心身へと回復を図る。
傍らのパンダ人形はただ、立っている。
落ち着こうと必死になっているミロは横目で、それを盗み見る。
何を思っているのか皆目見当もつかないその立ち姿にミロは恐怖を覚えた。
時計の針はちょうど2時を指していた。
依然呼吸を整えることに尽力していたミロに、沈黙を破りパーカーが投げかけた。
「……チクっただろ」
ミロはパンダ人形のほうを見ているが、いまいちその意味がわからない。
ミロはただ荒い息をしながら、そちらに注意を向けることしかできない。
こちらの呼びかけに気づいていながら、返事をしない少年にパーカーは怒りを露わにした。
「おまえがチクったんだろ!」
はっきりと人間の声とわかるそれは、相変わらず言葉の意味はわからないが、ミロを恐れさせるには事足りていた。
「俺がやったこと。親に言ったんだよな、兄弟?」
パーカーは一歩、また一歩とゆっくり交互に足を出しながらこちらに近づいてくる。
「そりゃそうだよなあ。お前がやったんじゃないものなあ。……でも、どうだった?お前の親は、俺たち兄弟の親はそれを信じたか?いいや。信じなかっただろう」
うっすらと窓から入る月明かりを半身に浴びながらパンダ人形は陰から出てきた。そのままさらにミロに近づく。
ここでミロはその変化にはっきりと気がついた。
「手、足、目、耳、鼻」に限定されていたはずの黒毛が、まだら模様のように人形全体に広がっていたのだ。
その様は、もはやそれをパンダと呼ぶことを憚るほどだった。
その姿に畏怖を感じながらも、ミロはさきほどパンダ人形が言ったことを否定できなかった。
ミロの両親は少年の意見に耳を傾けることなく、彼を断罪した。
しかし、幼い内なる炎は彼らこそが間違っていると糾弾しているのだ。
とはいえ犯行を犯したのはパーカーその人(形)であり、その矛先は誤っている。
しかし、今のミロの処理能力ではそれが限界であった。
劇中の人形を目で追うことはできても、人形を操る人形使いまでは見抜けなかった。
迫りくる異常な人形に、さらに不可思議な見た目の変化まで加わり、ミロが人形を嫌悪する気持ちは振り切れるほどに高まった。
そこに自分を擁護するかのような示唆が与えられ、それは味方のいなかったミロにとって歪んだ助け船のように感じられた。
無意識のうちに、彼はパーカーに許しを乞うていた。
「ごめんよ、パーカー」
もう善悪の判断はわからない。
口をついて出たその言葉に、人形はなにも答えない。
饒舌だった人形は急にただの置物になったようにその場に座り込んだ。
それからミロは事あるごとにパーカーに呼びかけ続けたが、その日を境にパーカーは動くことも、声を発することもなくなった。